第二話『魔法』

 異世界転生の醍醐味と言えば、やはり圧倒的な力か、現代知識だろう。

 私自身が異世界転生の作品を書くとしてもその辺りを題材にして、現代の鬱屈とした空気感を拭う作品を書くと思う……たぶん。

 まあ、そういうことで私としても何か『力』が目覚めているんじゃないのか、そう思って「生きたがり? 死にたがり?」なんてキメ台詞を吐いてしまった訳なんだが、結果は御覧の通り。

「遊んでる暇ねぇんだ! さっさとその鎧、脱げ!」

 取っ組み合いの後に蹴り飛ばされた子供と同じように螺旋状の階段を転げ落とされ、立つのもままならない状態でナイフを突き付けられた。

 見た目も痩せこけ、服装も決して綺麗とは言えないが、それでも男は男だった。それとも女であった生前のステータスが反映されているのか、力じゃまるで敵いそうにない。

 だが既視感のある光景にぼうっとした私の意識が認識した男の焦り様というのは少し……いや多分に異様で、必要最低限の筋肉しかついてなさそうな腕で目が回っていた私を立たせすらしたのだ。恐らく中身はないであろうが、鎧だけでも片手で持つには重そうなこの私の体を。

 そして至る。

 私は男のその様相に身に覚えがあり、ただ全く同じではない、けれど生前、死ぬと決めたに至る直前の悪足掻きにそっくりなのだ。

「くそっ」

 そうやって男の問いに気付かず考えていると、風呂など暫く入っていない薄汚れた男の肌に突如脂汗が浮かび上がる。

 別段気温に変化は無いように思えたが、だからこそ一瞬の思考を挟む間もなく、それが男の感情の内側で混ざり合った黒さが滲んできたものだと察してしまう。

 この男が一体誰なのか知らない。それでもその覚悟は触れられているだけの私にも伝わる――瞬間、右手に持っていたナイフを私の首元にある隙間へあてがい――悲鳴を上げた。いや、私ではない。男が苦痛の悲鳴を上げたのだ。

 一体何が起きたのかと辺りを見るも、横薙ぎにされた木のテーブルや足がへし折れた椅子、散乱する食器だった物、破られた扉に割れた窓とこの惨状だけであの男が正気ではないということ、ただし男の状況を理解するには足りず、蹲った男を見下ろす形になって初めて私の視界に、

「あ……」

 喘ぐ少年の姿が映るのだった。

 名前はわからないが確かに先程階段へ蹴り飛ばされた少年で、よくよく考えれば私が転がり落ちてきた先に彼の姿が見えないのはおかしな話。

 蹲る男、少年の血に濡れた手を見るに、男が下に降りてくるのを刃物か何かを手に待ち伏せていたらしく、奇襲は見事に成功したようだ。ぐるりと少年側へ回ると男の左腰辺りに果物ナイフが生えている。

 専門知識は持ち合わせておらず、致命傷になっているかは判断できないが、とめどなく流れ出てくる血の量から判断すると、マズイ状況だ。みるみるうちに床板が血溜まりへと変わりつつあり、けれど私は、さて、と無力化されたことに次はどうするべきか、と思考するが、

「おい! 早くし……っ!?」

 木造とは言え上部が破られ風通しの良くなった玄関扉、それが勢いよく開かれたと思うと、仲間と思しき男が入ってきた。

 男は私達の眼前で蹲ったまま動かない男と似たような風貌で、同じように酷く痩せていた。正気であるかと言えば農具であるクワを片手に、飲み込まれ続くことはなかったが仲間らしき声かけをしている。正気である訳がない。

 しかし、その男は室内で静かに時を刻み続ける時計の秒針が一つを数える間に、何が起きたのかを理解し、まるで正気であるかのように薄汚れた肌に覚悟を滑らせた……手に持たれた農具を棍のように上段へ、続いて力強く床板を蹴った。

 私は――覚悟を決めたとは言え人を刃物で刺した事実に、両手についたまま冷えて凝固しつつある血を眺めながら、ただ呆然とする少年の前に盾代わりとして立ち塞がった。

 意図してかはともかく、助けてくれたのだから助けるのが義理だろう。

「くそ、くそくそくそくそっ!!」

 少年の安全を確認して私は改めて前を向き、駆けてくる男と対峙する――――そこで初めて狂気と暴力に染まった男を目の前にして、現代ではまず感じることのない感覚が、背中を覆っていた髪の毛一本、産毛すら逆立てる。

……『死』だ。

 ビルからの飛び降りはじんわりと体を侵されるような感覚、ぬるま湯に長時間浸かり体温を徐々に奪われる感覚、あるいはあの時の空に浮かんでいた天の川に吸い込まれる感覚だったが、これは、この感覚はまた違う……言えば、覚悟をしていない恐怖と言うべきもの。

 肌に触れるのは粘つきのある液体だか固体だかわからない何かで、腹の奥、肉でも骨でも腸でも子宮でもない、というかそれらを押し分けて存在する球体が萎縮する。

 私は初めて知った、学校で習った百姓一揆なども決して侮れないことを。痩せこけているとは言え、大の男が振り回す農具は容易に鈍器と化すことを。

 事実、悪態を吐きながら振り回されるクワが私の鉄兜のバイザーへ火花を散らして掠めていく。救いだったのが男の目は血走り、そんなことに意識を割くほどの余裕がなかったこと。

 男は血溜まりに倒れるもう一人の男の服を乱雑に掴み、自身が入ってきた扉の外へ引き摺っていった。

 床板に残る血をなぞる痕、適当な武器でも拾い上げそれを追おうとも思ったが……みすぼらしい姿、必死の形相、手に持たれた粗末な道具、そして仲間を助ける勇気。

 まずはこの世界への理解を深めないと判断できないが、あれがファンタジー定番の野盗や盗賊の類だとしたらあまりにもイメージとかけ離れている。

 よしんば野盗や盗賊だとしても……と嫌な予感に「どうしよう……?」そんな風に呟いた時だ。


『たすけてあげて』


――――私が猟奇的で無と形容するに相応しい闇の中を、上下左右不明瞭で漂っていた時のような広い空洞を思わせる反響をさせて、女性の声が聞こえてきた。

 視界に人はおらず反射的に、ばっ、と後ろを振り向くも、そこには呆然とする少年しかいない……だとすれば、と左右をきょろきょろと見ても何かがいる訳じゃない。ならば、そう天井を見上げても何もいない。誰かがいたような痕跡もなかった。

(気のせい?)

 不思議に思って自問してみるものの、蝸牛にこびり残る垢と謎の声を綿棒でこそぎ落とすような不快感と、誰の存在も確認できないのに死角にべったり張り付く誰かの気配が自答を許してくれなかった。

 あの闇の中で一人遊びをし過ぎたのかとも思うが、私は既に死んでいる、狂う気などないはずだ。

 そもそも、ここはそんな反響するような空洞でも洞窟でもない。


『はやく』


 だが、声はまた聞こえてくる。

 まるで地平線に近い山の姿を明瞭とする冬の大気のようでもあり、一部の生物しかおらず光の届かない深海のように澄んだ声で、反響させながら。

「あなたは、誰なの?」

 不愉快で言い様のない胸のむかつきに、これが女性用であることを示す胸の膨らみが作られた胸部鎧の中心辺りを手で掴む。別に気分が良くなる訳ではない、むかつきと同時に締め付けられるような痛みが走ったのだ。


『たたかいかたなら、おぼえているはず』


 気のせいだと一言で片付けられない私自身の気が狂ったとしか言えない謎の声は、私の問いなど聞こえていないのか、一方通行にそう言った。

(戦い方? それに私が狂ったのなら何か答えても……ッ!)

 心の内で謎の声の言葉を反芻しつつ思いつく仮説の一つに焦点を当てようと思考をするが、そこに横やりが入った。

 もっと具体的な言い方をすれば、知らなかった物事を思い出し、感覚的に言えばラジオのチャンネルの切り替えのように、周波数をかちりと変えたら唐突に番組のオーブニング曲が流れて来た感じだ。

 ただ、それはラジオやテレビなどの暢気な番組ではなく、敵と相対した際の対処法、謎の声が言った通りに『戦い方』であった。

 体術、剣、盾を使う戦い方……もちろん生前の私は剣道など習ってはいなかったし、柔道や空手もできるほどの体格もなければ、運動神経もなかった。

 なんなら自慢ではないが、五十メートル走十一秒前後と決して良くない数字……なのだが、


『けっしてころさないで』


 気付けば不快感など気にならず、不思議と自信に満ち溢れていた。

 やはり肉体が完全に無いからなのだろう、生前あった体の動かし方に対する『遅延』というものを感じない。

「ふっ」

 腹に力を入れて短く呼吸し、試しに体術のうちの一つで思い出された動き、相手がいると想定して剣劇からの無力化、というのをやってみるも、体の隅々が関節、指先一本ですら先程と違って自在に動かせている。

 その上、疲労を感じないので調子に乗って見様見真似のシャドーボクシングもしてみたところ、傍から見たら素人丸出しかもしれないが空を切る音が鳴った。

 思った以上の出来事に、運動神経が良いとこんなこともできるんだ、と楽しくなり始めた頃合、すっかり意識外に吹っ飛んでいた謎の声とは違う、複数の男達の息遣いにハッとする。

……同時、めちゃくちゃに荒らされた室内に、扉下部の破片しか残っていない玄関から風が入り込み、ふわり宙を揺蕩うたんぽぽの綿毛、周囲に春の匂いが立ち込めた。

「それで、刺したのはあんたかい?」

 いつの間にか私達を囲んでいた四人の男達、その内の一人でこの家と外とを行き交わせる玄関への動線を完全に塞いだ男が、床板を二度ほど踏み鳴らすと、そう問いかけてきた。

「いや、私じゃない」

 事実、刺したのは私の後ろで呆然自失のまま動かない少年であり、素直にそう答え、数歩こちらへ歩んできた男へ目線を合わせた……そこで気付く。この山賊連中の中で唯一、その男だけ雰囲気が違うことに。

「ま、見てわかるが」

 男はおどけたように肩を竦ませた。

 彼が着ている服に他と変わりはない、痩せすぎでもあるが体格や筋肉量に関しては他よりも明らかに一回り上に見える。もっとも、それ以上の違いは手に持たれている武器が農具ではなく、多少年季は入っているがよく手入れされ、鈍色に光を照り返す両刃の剣であること。

 右手に持たれているので長さも大したことはなさそうだ、が立ち居振る舞いに違和感を感じる。

――すぐに解消されたが。

「交渉には……ちっ、時間がねぇ」彼は部屋にあった時計をちらと見て、舌打ちと共に他三人へ目配せした。

「覚悟決めろよお前ら! 板金鎧の弱点は関節だ! ナイフで首を狙え!」

 腹の奥底から出された地響きのような声、垣間見えるリーダーシップは、この男の覚悟と他三人の覚悟を固めさせ、手に持たれていた武器を素早く農具からナイフへと持ち替えさせた。

――――私は、その勢いに一秒にも満たない時間、怯んでしまった。それはごく普通の剣劇ならば死を伴う代償が必要である。

 予想通り片手剣を持った男は見逃さない――既に数歩近づいていたこともあり、たった一歩の力強い踏み込みで恐らく剣の間合いに入れさせられたのだろう――電光石火、横薙ぎの一撃が私の頸椎をへし折ろうと放たれた刹那、訓練されたかのような動きをした男の姿が遅くなり、やがて止まる。

 そして、


『あなたがちかくするかぎり、あたらない』


 謎の声が、この瞬間に鳴っていた男の怒声から呼吸音、どしんと床板を踏み締める足音どころか風で揺れる木々、外で歌う小鳥の囀りまで、全ての音に上書きされたように聞こえたと思うと『私の視界』に『半透明の私の虚像』が現れたのだ。

 その虚像は私から何かが抜けるかの如く前に踏み出した。一拍、何が起きたのか理解が追いつかないが、その先には剣で今にでも私の首を刎ねようとしている男の姿があり、踏み込むとその懐に入り込めるのだと気付く。

 しかもそれだけじゃない。

 あらかじめ伸ばし切っていた右手のひらが、踏み込むことで男の喉仏を潰す勢いの突きとなり、更に左手で男の腕を内側から振るおうとする力を抑え込んでいた。

……それが一体何なのか、考えるまでもない。

 私は数多の疑問を幾重と連なる生の思考の隅に追いやり、私の虚像と同じ動きをした。

 右手のひらを広げ腕を伸ばし突き出し、左腕を折り曲げて頭と首を守るガードの形を取って、踏み込む……瞬間、私が動くのを待っていたとも思えるタイミングで、止まっていた世界が動き出した。

 僅かな右手への衝撃、続いてそれよりも遥かに強い衝撃と甲高い音が鳴り響く。

「うげっ!?」

 カンダタと呼ばれた剣を持った男は、喉を突かれたことと攻撃を防御されたことに目を見開き、呻くように喘ぐと後ろへ大きく後退る。

「カンダタッ!!」

――囲まれているのだから当然だが、カンダタという男が後退るのを見てすぐに二人目が動き出す。場所は私の左斜め後ろ、武装はナイフ、とは言え他と変わらず男は痩せているし武器にリーチはない――

 そう横目で見つつ分析をしていたところ、再度あの半透明の虚像が私の視界に映し出された。

 男の攻撃は、右の手に逆さで持たれたナイフを私の左後ろから首元へ突き刺すような動きだったが、私の虚像は頭一つ分だけしゃがみ込んで外させ、次に何をするのかと思えば左足を軸にくるり正対すると同時、男の細い首を右手で鷲掴み、なんと驚きなのがそのまま体を持ち上げた。

 大の男を片手で持ち上げるなんて普通できない、と旧い常識が頭の中から湧き出てくるが、常識に囚われるなど既に非常識だろう。

 この状況そのものが不可思議で奇怪なのだから、持てなかったものを持てるようになるなんて、逆に普通のことと言える。

(為せば成る、だ)

 やろうとすることに意味がある。

 私は虚像通りの動きを真似し、男の首を掴み軽々と持ち上げた。そしてその場で左足を軸に百八十度回転し、大の男を河原で水切りをするが如く、放った。

「えいやっ!」

「えっ」

 息を吸って本気ではない掛け声を一つ、次に苦しさすら忘れた素っ頓狂な声を最後に男は宙を飛んでいた――――

 方向で言えば割られた窓の方であり、一拍置いて男の骨か壁そのものか、随分と重い音が聞こえてくる、がまあ知ったことじゃない。

(残りは二人)

 心の中で視認できた四人の内、動けるはずの二人へ向き直ろうとした瞬間、ぐんっ、と視界が揺らいだ。

「っ……んのやろーが!!」

 何が起きたのかと思い間近に聞こえてくるまた別の男の声に視線を下げてみれば、蛮勇とも言える決して讃えることのできないタックルをおみまいされていた。

 酷い悪態と共にまた背後からとあって、つんのめるように押された私の体は、バランスが取れなくなるのは必然、そのままずざざと視界いっぱいのならされた地面を映し出す。

「じめ――わわっ」

 室内からの変化に少しの喜びを感じる……が、次の瞬間には現実に戻される。私の左腰辺りにタックルをしていた男が、うつ伏せとも横向きとも言えない微妙な恰好だった私のことを強制的に仰向けにさせたと思うと、そのまま馬乗りの状態になり、にやりと不気味に微笑んだ。

 するり、首にあった鎧の隙間へ小さな刃が入り込む音がする。

 そして――――男の手から力が抜け、ナイフが自重で地面へ落ちた。

「な、な、んで……うあっ」

 男の動揺に震える手、恐怖に染まる顔、何かを問いかけようとした次の瞬間、風を切って何かが飛来した。

 馬乗りになっていた男は私から見て左側へ突き飛ばされたように倒れ、血飛沫が散ったのが見えた。

 何かが飛来してきたであろう方向を見れば、町の広場であろう少し離れた地点に一人の男がおり、手には弓を持っている。再度左側へ倒れ込んだ男へ視線を動かせば、左肩には深く矢が突き刺さっていた。

「くそっ! 時間切れだ!」

 私がいたあの家から、カンダタと呼ばれていた男が壊された扉の上部を手に、外へ出てくる。

 彼は声を張り上げながら自分が盾になりつつ、家の中にいた大した傷を負っていない三人を射貫かれた男の元へ送り届け、担がせる。

 それを見届けたところで少年に果物ナイフで刺された最初の男と、それを連れ帰った男の二人の盾になるが、所詮はガラクタな破片だ。

 手にしていた扉の破片に一つ、二つ、三つ、と矢が突き刺さっていき、四つ目の矢で盾は真っ二つに、その上殺し切れなかった勢いで彼の右胸辺りにそのまま突き刺さってしまった。

「ッ」

 彼は衝撃に一歩下がりながらも息を飲み、その激痛に耐えて声を振り絞る。


「……行け、お前らには妻も子も、みんな待ってる!」

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