第50話 【実況】#10 ワイ氏、Aランクダンジョン『死霊の臓物』に挑戦


 ヒュッ――


 

 なにかが、僕の頭頂部を横切る。

 速過ぎて見えなかったが、敵が辺りの神経を束ねて、鞭のように振るったらしい。


 一拍置いて、僕は自分の頭のてっぺんがズレてゆくのを感じた。


 

 ズルズルズル……どちゃ。


 

 床の上に落下する僕の頭の皿。


 必死に体を動かそうとするが、マリオン氏の操神に全身を支配されているため、ぴくりとも動けない。


「さあを回収しようか」


 ゆっくり僕の頭のなかへと手を伸ばすマリオン。


「や、やめろ!」


 ひいらぎさんが叫ぶが、すでに彼女も敵のスキルに嵌ってしまったらしく、その場を動かない。


《ぎゃー、脳みそを取り出しやがった》

《これ、いくらオッズ氏でも大丈夫なん?》


 命が大丈夫かという意味なら大丈夫だけど(なにせ不死身なので)、自分の脳を目の前で見せつけられるというのは、すさまじく気分が悪くなる体験だ。


「では、これは廃棄させてもらう」

「ぼ、脳味噌ぼくをどうするつもりだ?」


《緊迫した状況だけど、なんていうかこう……すげえシュールな台詞だよな^^;》

《世の99.99%の人は『僕の脳みそをどうするつもりだ?』とかいう言葉と一生縁がなさそう》

《ていうか、こいつマジでどうするつもり? 喰うの?》


「喰うか!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るマリオン。


「こうするのだ!」


 彼は低い声で、呪文の詠唱を始めた。


 

「#%$、*****ー@」


 

「これは――」

「転移魔法!?」


 柊さんと、彼女の腕にしがみ付いたままのトレ坊リーダーさんが叫ぶ。


 マリオン氏の傍らの床がほの白く光った。

 いつの間にやら、そこに複雑な幾何学模様が描かれている。

 例のゴーレムの部屋で見た転送魔法陣だ。


「最後に一つチャンスをやろう」


 僕の灰色の脳みそを捧げて、ニヤリとほくそ笑むマリオン。


「……なに?」

「転移魔法の発動には、実はタイムラグがある。一瞬だけ体を自由にしてやるから、その隙をついて自分の脳を救出してやるといい」

「……なんだって?」

「だが、急いだ方がいいぞ? ラグはほんの刹那、それこそ音速で動かないと間に合わぬほどなのでね、くくく……」


 嗜虐に満ちた含み笑いをすると、マリオン氏は、ゴミを放るように僕の頭の内容物を無造作に魔法陣に投げ込んだ。


 同時に、すっと僕の全身が軽くなる。


 僕は慌てて魔法陣に駆け寄ろうとするが――

 

 

 ヒュッ。


 

 床に触れた瞬間、僕の脳味噌はどこかへ姿を消してしまった。


 ……………………なんてことだ。


「間に合わなかったようだな、はははははは」


 哄笑するマリオン氏を前に、僕は呆然と立ち尽くす。


「……え? てことは、いまの僕って、IQゼロ?」


《気にするとこ、そこかよw》


「そんなことは、もう悩まずとも良い。これからは、ワタシがその肉体の主になるのでね」


 バクリとマリオン氏が口を大きく開いた。


 顎が外れるのではないかと思うぐらい開かれた口の奥から、なにかが這い出してくる。


 灰色の皺の刻まれた塊――マリオン氏の脳髄だ。

 太い神経細胞が、脳の周囲をタコの足のようにのたくっている。


 次の瞬間、ロケットのように彼の口から、脳が飛び出た。


 宙を矢のように突き進むと、僕の開放されたままの頭頂部に触手を使ってへばり付く。


 そして、そのまま内部に潜り込んできた。


 ――想像していただけるだろうか。自分の頭の中に他人の脳みそが入り込んでくる、この感覚を。


「チートスキル『操神』!」


 マリオン氏の大きく開かれた口から、叫び声が響き渡った。

 そして、それが最後の務めだったというように、彼の体が崩壊を始めた。


《うお、イケメン顔がいきなり皺くちゃに》

《一瞬で、何十年も歳をとったみたい》

《ていうか、ミイラ化してね?》

  

「その体はもう必要ない。新たな肉体を手に入れたからな!」


 僕の口から声が上がった。


「ふふ……はははははは。ついに手に入れたぞ!」


 僕の声で、見知らぬ誰かが興奮した叫び声を上げる。


「老いず! 朽ちず! けして死なない! 永遠の肉体をなあ!!!」


《なに言ってんだこいつ? オッズ氏だって歳は取るだろ》


 たしかにそうだ。

 

 僕がスキル『無事死亡』を発現したのは、2年前。

 それから身長も少し伸びたし、毎日顔を合わせている妹からも、「ちょっと大人っぽくなった」と言われている。


 つまり、成長しているのだ。

 成長する。それはすなわち歳をとっているということに他ならない。


 しかし――


「愚者どもが。今のこの体がどんな状態だと思っている?」


 マリオン氏はニヤリと口の端を歪ませた。


。脳を体外に取り出した時点で、人間なら誰だって即死だ。そして、その脳味噌は遥か隔たった場所に転送した。なので、これまでのように再生を完了することもできない」


《――あ》

《そういうことか!》


「そう。なのだよ」


 肉体が再生中の僕は、生きているでもなく、かといって完全に死んでいるわけでもない。

 

 たしかにその状態が永遠に継続するなら、成長もしないし、歳もとらないだろう。


「そして、その肉体とワタシは同化した。これからは、ワタシがオッズとなるのだ!」


《あー、はいはい、なるほどねぇ~》

《これは完全な死亡フラグですねえ》

《マリオン氏、終了のお知らせ》


「んん~? 猿共リスナーども、なにをほざいておる? 新生したワタシを畏怖するなり、驚嘆するなりせんかい――痛たたたたたたっっっっ!?」


 不意に苦しみだすマリオン氏。


「な、なんだこれは…………体中に激痛が…………」


 ――ちょっと僕、脳みそがどっかいっちゃってるから、誰か代わりに説明してくれる?


「オッズ君は、レベルアップした時に『往生極め』というスキルを得たんだよ」


 僕の意をくみ取ってくれたのか、柊さんが代弁する。


「なに…………?」

「その反応を見るに、おそらく現在発動させているのは、中往生だな。死ぬ時の痛みと苦しみが10倍になるモードだ」

「……………………」

「これが大往生になると、1000倍になる」

「ちぇ……ちぇん倍いいいいっっっっっっっ!?」


 今までの余裕はどこへやら、裏返った声で叫ぶマリオン。

 よほど全身を駆け巡る苦痛が辛いのだろう。


 ……言っておくけど、僕もいま滅茶苦茶痛いし苦しいからね?


「悪いことは言わないから、もう降参したほうがいい」


 柊さんが、僕=マリオン氏に向かって警告する。


 正直僕もこの苦痛が100倍とか考えただけでもぞっとするし、ここらでギブアップして欲しい。

 

「だ、誰が降参なんかするものか! わ、ワタシはこの肉体で永遠に生きるんだ!」


 じゃあしょうがない。


 僕はスキルを大往生に設定した。



「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃやああああああああああああああああっっっっっっっっっっっ、らめらめらめらめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ逝っちゃああああああああああああうううううううううっっっっっっっっ!」



 床の上を転げまわり、幼児のように手足をバタバタさせるマリオン。


 僕もきついけど、正直ドローンで自分のアヘ顔を世界配信されているほうがきついんだけど……。


 苦痛のあまり、マリオン氏がスキル『操神』を維持できなくなったのか、柊さんやトレ坊の猟犬の人たちが体の自由を取り戻していた。


 しかし、彼らは、僕を遠巻きに眺めているばかりだ。

 敵と僕が同化しているため、どう対処していいかわからないのだろう。


 ……単純に、全裸で転げまわる(なぜかマリオン氏は身もだえしながら服を脱ぎ捨てていた)僕に近付きたくないからじゃないよね?


「無理ぃ、もう無理ぃぃぃぃぃっ!」


 次の瞬間、僕の口から灰色の塊が飛び出した。


 再び元の肉体に戻ろうとしたようだが、時魔法を解除してしまった彼の肉体は、すでに塵と化して霧散してしまっている。


 脳だけの存在になったマリオン氏は、グチャッと床の上に着地した。

 丘に打ち上げられたタコのように、しばらくの間、神経束をのたうち回らせていたが、徐々に動きが弱々しくなってゆく。


 最後に、神経の一本が救いを求めるように、僕の方へと持ち上がった。


 パタリと地に落ちる。


「死んだか……」


 柊さんが呟いた。


「……尾妻君、大丈夫?」

「――うん」


 彼女にぎくしゃくと頷きかける僕。


「――体の主導権は戻ったみたいだ」

「良かった。……でも、少し動きがぎこちなくない?」

「――たぶん本体のうが遠いところにあるせいだと思う。頭で考えてから体が動くまでに、かなりの遅延が出てる」


《新事実。脳と体を遠くに引き離すと、ラグが生じる模様》

《それ、オッズ氏以外、体験できねーだろw》

《無線通信かな?》


「そ、そう。とにかく無事でよかったわ」

「――うん」


「他のメンバーも元に戻ったようです」


 トレ坊リーダーさんが告げた。


 彼女の方へ視線を飛ばすと、床に倒れていたトレ坊の猟犬のメンバーたちが起き上がって、頭を振っていた。

 少しフラフラしているものの、皆、元の若者の姿に戻っている。

 術者が死亡して、老化魔法が解けたのだろう。


「――地上の人たちも、元に戻ったかな?」

「おそらくね」


 画像で見た少女を始め、マリオン氏に魔法をかけられた者は市内に多数いたと思われるけど、この分なら全員、元の姿に戻っているだろう。


「――とりあえず、どこかに飛ばされた自分の脳味噌を探しに行きたいな。このままじゃ不便だし」

「わかった」

「――ところで、さっきから気になってたんだけど、柊さん、なんで目元を手で隠してるの?」

「…………」


 彼女は片手で目を覆いながら、もう一方の手で僕の下腹部あたりを示した。


「――あ」


《 《 《 その視聴者サービスいらねえから、早よ履けや 》 》 》

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