第38話 【実況】#1 ワイ氏、Aランクダンジョン『死霊の臓物』に挑戦

 多利無たりむ市は都心から電車で小一時間の距離にある地方都市だ。

 人口20万人ほどで、特産物や観光名所など目立った特徴はない。


 いや、と言うべきだろう。


 数年前、町の郊外に忽然とダンジョンが姿を現すまでは――


 

 

「まだパニックにはなってないみたいだね」


 僕は傍らを歩くひいらぎさんに言った。


 駅から伸びるアーケード街には、多くの人々の姿が見受けられる。

 どの住民も、買い物や外食など、夕暮れ時のごく普通の生活を営んでいる様子だ。

 

 異常事態の発生はすでに報道されているはずなので、市内から逃げ出そうとする住民たちが駅のホームに溢れかえっているような光景を想像していたのだが……。


「さすがAランクダンジョンの街に住む人たちだけあって、肝が据わっているみたいね。でも、あれを見て」


 彼女の示す先へ目を飛ばすと、シャッターの降りた店が映った。


「むこうもあそこも。まだ19時前なのに、営業を終了しているわ」


 たしかに早目の店じまいをしている店舗が多い。

 それに、注意深く観察すると、通りを行きかう人々の表情も、そこはかとなく陰気に見える。


「探索者!?」


 すれ違った人々の中で、叫び声が上がった。


 商店街を練り歩く僕たち9人は、年齢も見た目もてんでバラバラなので、察しのいい人がと勘付いたのだろう。


「おお! あの人テレビで見たことあるぞ!」


「この前、Aランクダンジョンを攻略したオッズさんじゃね?」


 興奮した声が方々から上がり、わらわらと人が集まってくる。


「あんた、頼むよ! 私の愛犬たち……アッキー、ドーベル、チワワンの仇を取ってくれ!」


 50代半ばぐらいの男性が、僕に言い募る。

 どうやら、例の写真に写っていた三つ首犬の飼い主のようだ。


「朝、起こそうとしたら、うちの娘があんな姿に……」


 涙を流しながら、女性が訴えかけてきた。


「あの子は、ついこの前10歳の誕生日を迎えたばかりなんです! なのに老衰で死ぬなんてあんまりだわ!」


 ドローン画像に出てきた老婆の姿をした少女の母親だろう。


『助けて。なにもできない』


 目の前にぬっとプラカードが突き出された。


 だが、持ち手の姿が見えない。


 不思議に思った僕は、何気なく視線を下に落として、「わっ!?」と声を上げた。


 地面に、動く影絵が映っている。

 影から突き出した黒い手がプラカードの下の方を握っていたのだ。


『マ○クで順番待ちしていたら、突然目の前に金色の瞳が現れて、気が付いたらこの姿に』


 影絵は慌ただしく、プラカードを持ち替え、訴えかけてくる。


『腹が減ったり眠くなるのに、身体がないから食事も睡眠も取れない、苦しい。助けて』


 救いを求める声はひっきりなしに続いた。


「どうしましょう? このままではダンジョンまで進めそうにありませんが」


 トレ坊のリーダーさんが僕に耳打ちする。


 市民の声はどれも切迫していて、訴えずにはいられない気持ちがひしひしと伝わってくる。


 でも、全員相手にするわけにもいかない。

 彼らのためにも一刻も早くダンジョンまで行かねばならないのだ。


「みなさん、そこまでにしましょう!」


 ふいに群衆の後ろから誰かの声が届いた。


 怒鳴ったわけでもなく、それどころかさしたる大声でもなかったのに、居並ぶ人々が静かになる。


「彼らはこれから皆さんを救いに行ってくださるのです。皆さんのお気持ちはボクにも痛いほど理解できますが、どうか道を譲ってあげてください!」


 声には、心に直接響くような不思議な力が宿っていた。


 自然と人垣が割れ、僕たちの通り道を作る。


 そして、その道の真ん中に三人の人物が立っていた。


「『カシナートの翼』所属のフランケだ。噂は聞いてるよ、オッズくん」


 向かって右側に立つ、筋骨隆々たる大男が告げた。

 全身真っ黒に日焼けしているが、顔だけが妙に生白い。

 

「同、じく『カシ、ナートの、翼』、マリオ、ン」


 筋肉男の反対側に立っている少年が続く。


 美少女と見まがうような容貌だが、表情がまったくない。

 喋り方もカクカクしてるし、失礼だけど、まるで人形みたいな印象だ。


 最後は、彼らの中央に立つ青年だった。


「先程はご挨拶できず、申し訳ございません。『カシナートの翼』にてリーダーを務める、ブラムと申します」


 金髪碧眼の青年は、優美に腰を折った。


 ただそれだけの動きなのに、まるで映画の中に迷い込んだような錯覚をおぼえる。

 そのぐらい様になっていた。


「……『狼と不死鳥』のリーダー、尾妻涼おづまりょうです。よろしくお願いします」


 僕は、ひねりもなにもない自己紹介を告げる。


 あ、ちなみに、『狼と不死鳥』は僕たちのパーティ名ね。

 その名前を決めたのも、2時間ぐらい前だけど。


 ザッ、とトレ坊のリーダーさんが前に進み出る。


 僕は心の中でパーンと自分のおでこを叩いた。


 こちらに向かって話しかけてるみたいだったから思わず名乗っちゃったけど、本来はキャリアもランクも上である、彼女の挨拶を優先すべきだろう。


「『トレ坊の猟犬』のリーダーを務める――」


「よろしく、オッズくん」


 ブラム氏が白い歯をこぼしながら、右手を差し出した。


「……ああ、申し訳ない。今なにか仰ろうとしましたか?」


 美しいけど、どこか冷たい眼差しをトレ坊のリーダーさんに向ける彼。


「…………いえ、大丈夫です。失礼しました」

「そうですか」


 くるりと僕の方へ向き直り、再び満面の笑みを浮かべる。


 そんな彼の脇に、フランケ氏が並び立った。


「よろしくな、オッズくん」


 にかーっと乱杭歯をむき出して笑い、手を突き出してくる。


「よ、ろ、し、く」


 マリオン氏も片手を差し出す。


 古いPCの処理落ちみたいにカクついた動きで、顔に浮かぶ笑顔も、ぎぎぎぎぎぎ、という錆びついた音が聞こえるようだ。


 にこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこ。

 

 彼らは満面の笑みを浮かべながら、僕に手を差し出し続ける。

 

 若干引きつつも、僕はおずおず手を伸ばしかけたが――


 

 ガシッ。


 

 ふいにフランケ氏の手をトレ坊リーダーさんが握った。


 

 ガシッ。


 

 反対側を見ると、柊さんもマリオン氏の手を握っている。


 必然的に、僕は残ったブラム氏の手を――


 

 ガシィッ。


 

 柊さんが反対側の手で、ブラム氏の手を握り締める。

 握手の二刀流だ。


 …………え? これどういうこと?


「…………………………」


 ブラムさんは相変わらず笑みを湛えながら、無言でもう一方の手を伸ばしてきた。

 なにがなんでも僕と握手を交わしたいらしい。


 

 ガシィッ。


 

 しかし、その手も強制的にトレ坊リーダーさんが握り締めた。

 

 彼女も握手の二刀流だ。

 しかもこっちは、腕をクロスさせて逆ハンドでつかんでいる。


 にこにこにこにこ。


 彼女たちも笑みを浮かべていたが、傍で見てわかるぐらいの女性特有の営業スマイルだ。

 帰れや、という内心の声が聞こえてきそうなぐらいである。


「帰れや」


 いや、実際に言っていた。


 カシナート男性陣が、すっと同時に手を引っ込める。


「……オッズくん、先に行っているね。迷宮でまた」


 そう告げて、立ち去るブラム氏。

 他の二人も後に続く。


 ……あれが日本一の探索パーティ『カシナートの翼』か。


 僕は彼らの後姿を見送りつつ思った。


 ――悪い人たちじゃないんだろうけど、少し変わってるなあ……


 ほどなく僕は思い知ることになる。

 それが大いなる間違いであると…………。

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