第15話 【実況】#3 ワイ氏、Aランクダンジョン『死の顎』に挑戦

 それは、一見ごく普通の通路に見えた。

 

 石造りの長い廊下がまっすぐ奥へと伸びている。

 ダンジョンの壁面にしては妙に小綺麗なのが気になるといえば気になるが、それ以外特筆すべき点はない。


「よし! 行こう」


《いやいや待て待てwww》

《普通に考えて、ここにもなんかあるやろ?》


「私もリスナーの皆さんと同じ見解だ。確実に罠があると思う」

「でも、とにかく行ってみるしかなくない?」

「それはそうだが――」


 ひいらぎさんは、妙にのっぺりとした細長い通路を見渡す。


「…………なんとなく嫌な予感がするんだ」


《S級探索者の直感かあ》

《なんか当たりそうw》

《言うて死なない奴がいるんだし、とりま特攻するしかなくね?》

《せやな》

 

「まず僕が先行するから、大丈夫そうだったら、ひい――フェンリルナイトさんもついて来てくれる?」

「…………わかった」

 

 僕はおそるおそる足を踏み出した。

 なにも起こらない。

 

 そのまま数メートル進む。

 やはりなにも起こらなかった。


 ――これは取り越し苦労だったかな?


 そう思って、柊さんの方を振り返った瞬間――


 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………



 重々しい音が響き始めた。

 巨大な石臼を挽いているような物音だ。


 僕は慌てて周囲を見回す。


「!」

 

 原因はすぐにわかった。


《壁だ!》

《左右から壁が迫ってくるぅ!》

《オッズ氏、逃げてえええええ》


 僕は慌てて、通路を駆け戻り始める。

 だが、到底間に合いそうにない。


《あああああオッズ氏ぃぃぃ!?》

《壁に挟まれるぅぅぅぅぅ!》

《怖ええええええ》


 

 ――ぐちゃ


 

 汁気の多いトマトを圧し潰したような音が響いた。


 壁がぴたりと閉じ合わさる。


「そんな…………」


 閉ざされた通路を前に、呆然と呟く柊さん。


 すると、再び壁が動き始めた。

 今度は逆に開いてゆく。


 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………


 

 壁は左右の定位置まで後退すると、ガコンと停止した。

 後には、のっぺりとした白い通路が、何事もなかったように伸びているばかりだ。

 

《おーいオッズ氏?》

《どこいったー?》

 

 返事はない。

 ……というかできない。


《なんかカチ割ったスイカの中身みたいのが散らばってるけど、まさかじゃないよね?》

《あれ以外ねえだろ……》


 僕は完全に人間の姿を失っていた。

 

 今の僕は、どちらかというと固体ではなく液体だ。

 赤い水たまりの中に、かつて僕の人体を構成していた要素が、プカプカと無秩序に漂っているのみである。


《血の量やべえな》

《人間の体は50%以上水分だからな》

《さすがに、いくらなんでもここからの復活は無理やろ……》


「お……尾妻おづまくん…………」


 柊さんが呟いた。

 呆然自失といったていで、僕の本名を隠すことも忘れている。


「尾妻くぅぅぅぅぅん!!!」

 

 彼女の声が文字通りの呼び水になったのかはわからないが、血溜まりぼくのからだに変化が起こった。


 表面にさざ波が立ち、内側へ寄せ始める。

 赤い水たまりが盛り上がってゆき、徐々に人の形を模していった。


 水でできた、のっぺらぼうのマネキンだ。


《なにが起こってんのコレ》

《シュール過ぎて、もう意味わかんねえよ》


 特大のレッドスライムみたいになった僕の血液の内部で、人体パーツが乱舞していた。

 粉々になった骨の破片が、白いオタマジャクシみたいに、頭部方向へと泳ぎ集まってくる。


《くぁwせdrftgyふじこlp》

《くぁwせdrftgyふじこlp》 

《くぁwせdrftgyふじこlp》


 僕の復活劇を何度も見て、ある意味訓練されているはずのリスナーたちが、ふじこ構文以外なにも言えなくなっている。

 

 それはそうだろう。

 僕でさえ、こんな状態から生き返るのは初めてなのだ。


 血溜まりの中に、ゆっくり頭蓋骨が形成されてゆく。

 次いで、骨片と同じように肉片も泳ぎ集まり、できたばかりの頭骨を覆い始めた。

 

 同様の現象は、手足や胴体部分にも起こっていた。

 骨と肉が全身に浮かび上がり、形作られてゆく。


《………………え? 生き返るの? マジで?》

《あの状態から復活とか、もう人間やめてませんか……》

《わい、引くのを通り越して、もう心が無になっとるんやが》

 

 このまま蘇生できれば、通路を先に進める。

 僕がそう思った瞬間――



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………

 


 またあの音が響いてきた。


 いまだ首が据わっていないので、顔を向けて確認することはできないが、壁が再び動き始めたのは間違いない。


 ――くそ、感知されたか。早く脱出せねば……


《オッズ氏、はよ!》

《内臓とかは後回しにして、足の再生を優先するんや》

《てか、なんでチ○コを真っ先に再生すんだよ? 意味ないやろw》


 そうは言っても再生順なんて、自分ではコントロールできない。


「ゴボッ! ゴボボボボッ!」


《なんか言ってるけど、なに言ってんのかわかんねえwww》

《「再生は自然治癒まかせだから、自分ではコントロールできない」と言っていると思われる》


 さすがは僕のリスナー。

 だいたいその訳であってる。

 

《ぜんぜん自然な治癒じゃねーだろ(笑)》

《たしかに》


 ちなみに股間の再生も、もちろん僕の意志で優先させているわけではない。

 いつもそうなんだけど、なぜかここだけ治るのが早いんだよなあ……。


《ダメだ、ぜんぜん間に合わねええええ》

《挟まれるうううぅ》


 ひゅん――


 その時、空を割く音とともに、なにかが飛んできた。


 ロープだ。

 先端が輪っかになっている。


 それは僕の首にすぽっとひっかかった。


「オッズ君、いま助けるぞ!」


 柊さんの声が通路に響いた。

 彼女が投げ縄の要領でロープを飛ばしてきたのだ。


 ズルズルズル……


 いまだ半固まりの僕の体が、通路を手前に引きずられていく。


《おお、速い!》

《でも、タイミングがきわどいぞ》

 

 壁が迫る。

 僕の肉体は床にナメクジのような体液の跡を残しながら、いよいよ勢いよく引きずられてゆく。


 あと1メートル――


《しかしオッズ氏、他はまだ治ってないのに、チ○コだけは立派な姿を取り戻してんな》

《放送事故のあとにダメ押しで放送事故とか、迷惑系配信者の鏡すぎるだろw》

 

「!?」


 突然、柊さんがロープから手を離した。

 さっと目元を手で覆う。

 

「ゴ、ゴボッ!? ゴボボボボボボーー(ひ、柊さん!? 悪いんだけど、あと少しロープを引っ張って――)」 

 

 

 ――ぐちゃり


 

 僕の体は再び壁に挟まれた。

 

 

 ………………。

 柊さん、とりあえずアイテム袋から僕の着替えを用意しておいてもらっていいですか。

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