第32話 本物の気持ち

 その後の永遠さんを言葉で表現するなら、まさに圧巻のひと言だった。


「お初にお目にかかります。わたくし、伊月さんと交際させていただいている白雪永遠しらゆきとわと申します」


 所作から言葉遣いまで一切の澱みなく完璧な立ち振る舞い。

 それは玄関で出迎えてくれた俺の両親の方が逆に目を丸くし、緊張して縮こまってしまうほどだった。


「え、あ、そ、その、伊月の父の楓月かづきです。息子が、いつもお世話になっておりまひゅ」


 噛んだ。


「……父さん?」


「し、仕方ないだろぉ!? ま、まさかおまえがこんな、パーフェクト美人を連れて来るとは思ってなかったんだからさぁ!?」


 ということで、これが俺の父である。


 これを見れば少なくとも俺が微塵も緊張していなかった理由はわかってもらえるだろう。

  

「あ、あの、む、息子のどこが好きなんですか!?」

「最初に聞くことがそれか!?」

「一番重要なことだろう!?」

「まだここ玄関だからな!?」


 ほら、さっそくロクでもない方向に話を進める。母さんはニコニコしてないであんたの夫をどうにかしてほしい。


「お答えします」

「いや永遠さんも真に受けなくてなくていいから!? まずは中入って!?」

「で、ですが……!」

「いいから!」


 永遠さんは永遠さんで覚悟が決まりすぎていた……。


 仕切り直して、居間へ。

 中央にテーブルがあって、周囲に長座布団が敷かれている畳の部屋だ。懐かしい畳の匂いが鼻をくすぐる。


 俺と永遠さんは並んで父さんの向かいに座った。

 母さんがお茶を出してくれて、ようやく4人が席に着く。


「改めまして、母の佳代子かよこです。よろしくね、永遠さん」

「よろしくお願い致します、お義母様」

「あらあら。お義母様だなんて。嬉しいわぁ」


 母さんは穏やかに優しく笑んだ。

 うちの母さんは基本的に夫を立てる生粋の大和撫子だ。今回のことも完全に見守り体制でいるらしい。まぁ、父さんがこれ以上変なことを言ったら嗜めてくれるだろうけど。よくある話だが、偉そうに見えて実際尻に敷かれているのは父さんなのであった。


「では、お義父様」

「ひゃ、ひゃい!?」


 父さんがまるで死刑宣告でもされたみたいにビクンと身体を震わせる。


「先程のご質問にお答えさせていただきます」


 永遠さんは決して視線を逸らさず、綺麗な銀髪を揺らして、柔らかな微笑みを浮かべていた。


「お、おお……美人だ……」


 おい、赤くなるな妻帯者。


「お父さん?」

「痛いっ!? いたっ、つ、つねるなよぉ母さぁん……」


 しっかりと母さんが制裁を与えていた。


「先日、私は育ての母と再会しました」

「育ての母……ですか?」

「はい。私は孤児でして、その人は孤児院の先生です」

「な、なるほど……」


 父さんは少しだけ面食らったような反応を見せる。

 しかし永遠さんはまったく揺るがない。全てを包み隠すことなく話す構えだった。


「その再会を手引きしてくれたのが、伊月さんです」

「伊月が、そんなことを……?」

「私の話を聞いて、すぐさま連れて行ってくださいました。本当なら、私はもう2度と先生に会うつもりはなかったんです。それくらいのことを、私は過去にしてしまったので……」


 ゆっくりと語る永遠さんの顔を見やる。

 その顔はなんだかとても穏やかで、落ち着いていて、仄かに楽しそうでさえあった。


「ですが、もう一度会うことができて良かったと今では心の底から思っています。もしも会わないでいたら、一生後悔したままでした。弱い私の手を引いてくれた伊月さんには、本当に感謝してもしきれません」


 それはきっと、彼女が前向きであるからだ。一心不乱に、一点の曇りもなく、前だけを見て、彼女は話している。


「そういうことができる人なんです、伊月さんは。彼の心根は途方もない優しさに溢れています。私の良いところも、悪いところも、全てから目を逸らさず、受け入れてくれます」


 隣にいるのが居た堪れないくらいに、顔が熱くなってきた。

 ああ、まさか親の前でこんな話をされてしまう日が来るなんて……!?

 いつのまにやら、なぜか俺は視界外からの強烈な右ストレートを受けてノックアウト寸前だった。


「伊月さんこそが私を幸せにしてくれる人だと、確信を持ってそう言えます。そして、そんな彼を、私が幸せにしたいと願うことは不思議なことでしょうか」


「………………」


「私、白雪永遠は、楠原伊月さんを愛しています」


 もはや彼女の語りに口を挟める人などいるはずもなかった。

 永遠さんはただ、真正面から、やましいことなど一欠片もないと、想いの限りを告げる。


「これで、ご質問の答えになったのなら幸いです」

「ひゃ、ひゃい。ありがとう、こじゃります……」


 父さんの方が縮こまっている。


 俺はこうしてはいられないと、言葉を頭の中で編んでいく。

 永遠さんがここまでしてくれたのだから、ボーッとしてばかりはいられない。


「お、俺の方は俺の方で、永遠さんと出会った頃にちょっとへこむことがあってさ、それで……」


「——と、永遠さん!!」


 父さんは突然身を乗り出して、永遠さんの肩を掴む。


 え、俺の話聞いて?

 頑張っていい話しようとしてたのに……まぁ、何も考えてなかったからどうせ大したことは話せなかったと思うけれど。


「どうか、どうか……!!」


 父さんは両の瞳からボロボロと涙を流しながら、ぐちゃぐちゃになった情けない顔で言った。


「どうか、うちのバカ息子をどうか、一生……よろしくお願いします……!!」

 

 バカって……酷い言われようだ。

 いや、自分でも自分が出来のいい息子だと思ったことなんて一度もないけれど。


 不思議と、嫌な気分ではなかった。


 永遠さんはさすがに驚いたようすで父さんを見つめる。だけどそれからふっと笑みを見せて、父さんの手を優しく包み込むように握った。

 

「はい。どうか一生、お任せください」


 それは俺の好きな人と、大切な家族の心が通じ合い、理解わかり合った瞬間だった。


「うぉぉぉおおおん!! ありがとう!! ありがとう!! うぉぉぉ〜〜〜〜ん!!」


 しかし、五月蝿いな。


「あーもう、どんだけ泣いてんだよ!?」

「だっで、だってさあ、おまえ、今まで浮いた話のひとつもなくてざぁ……!! 20歳超えてもまだ童貞なんだろうなってずっと心配してたんだぞぉ……!!」

「うっせぇよ余計なお世話すぎるだろ!?」


 どれだけ言っても父さんは泣き止まない。


 その裏で、母さんは永遠さんの隣へと移動する。そしてその手を両手で握った。


「私から言うことは、何もありません。永遠さんの気持ちは十分に伝わりました。それから伊月、あなたも」


 母さんは俺の方にも視線を寄せると瞳を細めて笑んだ。


「繰り返しになっちゃうけど、これからよろしくね、永遠さん」


「はい……! よろしくお願いします!」


 毅然とした態度を貫いていた永遠さんの瞳も、この時ばかりは少し潤んで見えた。



 その後、落ち着いてから俺は話を切り出す——つもりだったのだが。


「今すぐ結婚しなさい」

「その話はこれからするつもりだったんだよ! 頼むから黙っててくれよ!?」


 キレながらも婚姻届を差し出す。すると父さんは母さんからペンを貰って、ろくに考える様子もなくサラサラと署名した。


「……いいのかよ」

「何がだ?」

「いや、俺まだ学生だし。永遠さんだって……」


 2人とも自立できているとは言えない。

 だからそこは必ず指摘されると思っていたのだが……。


「そんなもんは後からいくらでも付いてくる。2人の気持ちが、本物ならな」

「父さん……」

「ホンキなんだろ?」

「ああ、もちろん」

「ならいいんだ」


 そう言って父さんは婚姻届を返してくれた。

 全ての空欄が埋まった完成品だ。


「なんなら式の金くらい出すぞぉ。ああ、今から楽しみだなぁ! ついに俺もじじいかぁ!」


 父さんはひとりで盛り上がって、騒ぎ始める。

 一瞬、格好いいと思ったんだけどなぁ。


「伊月さん」

「うん、そうだね」


 俺たちはアイコンタクトして、父さんに告げる。


「その結婚式についてなんだけど……」


 父さんと母さんへ挨拶を済ませ、ついに婚姻届が完全した。


 それが、俺たちのスタートラインだった。



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