第30話 彼女の不安

「今年の授業はここまで」


 教授がそそくさと教室を出ていく。


 それに続く勢いで、俺は帰り支度を終わらせて立ち上がった。


「んじゃ坂巻、また来年!」

「ん、おーう——って来年!? 忘年会は!?」

「ごめん帰省するから不参加で!」

「おいーーーー!?」


 急いで大学を抜け出し、向かったのは駅前だ。


「永遠さん!」

「あっ……伊月さんっ」


 可愛らしい私服の彼女の表情がパッと華やぐ。

 が、すぐに取り繕って上品にお辞儀した。


「お待ちしておりました」

「ごめん、待たせたよね」

「恋人が来るのを今か今かと待つのもまた乙なものですよ」

「それは確かに」


 笑い合ってから自然に腕を絡め合うと、夕日の沈みゆく街へ繰り出した。すでにお察しかもしれないが、デートである。


「カップルが多いですね」

「そりゃまぁ、ね」


 辺りは見渡す限り、寄り添う男女の群れだ。

 

「みなさん今夜はお楽しみ、でしょうか」


 惚けたふうに呟く永遠さんは、きゅっと俺の腕を抱いて密着する。


「……私たちも?」


 たっぷりの糖分が込められた言葉は、ともすればふんわり挑発的なお誘い。


「そ、それは……」


 人がわんさかいる中で、なかなかどうして返答に窮することを言ってくれる。少々困っていると、永遠さんは淑やかに笑みを浮かべる。


「ふふ、ごめんなさい。ちょっと気持ちが昂ってしまっているみたいです」


「え、それってテンションが上がってるってこと?」


「はい、そうですよ」


 大人な永遠さんは目に見えて浮き足立つようなことは滅多にない。

 しかしなるほど、テン上げ状態の彼女はいつもに増してお茶目で、甘ったるく誘惑的だ。


「こんなに幸せな気持ちのは、初めてですから……」


 肩に小さな頭が乗せられる。銀色の髪が頬を掠めてくすぐったい。だけどそれが愛おしい。愛おしくて堪らない。


 今日は、クリスマスイブ。


 恋人の日。


 俺だって、ずっと楽しみにしていた。


「あ、後で、ね……」


 さりげなく、さっきの返答をする。


「……はい。一番のお楽しみは、最後に」

 

 2人きりで過ごせる年内最後の日を、目一杯楽しんで、そして愛し合った。



 ・


 ・


 ・



「ん…………?」


「おはようございます、伊月さん」


 朝目覚めると、目の前に永遠さんの顔がある。世界で最も幸福を感じる瞬間。


「さぁ、今日は忙しいですよ」


 そう言って、永遠さんは身体を起こす。


「……あれ? 永遠さん、もしかしてあまり眠れなかった?」


 なんとなくだけど、いつもより瞳が赤い気がして思わず問いかける。


「そんなことないですよ」

「ウソ。何かあった?」


 柔らかく否定したその態度から俺は確信を持って追及する。


「……むぅ」

「え、あれ。お、怒ってる?」


 どうやらやぶへびだったか。

 永遠さんは頬を膨らませて拗ねたようすを見せる。しかしそうなれば余計に気になってしまうのだ。眠れないような悩みでもあるのではないかと。


「怒ってます」


 ぷいっと顔を背ける永遠さん。


 やばいやばい。完全にやらかした。


 理由は分からないが、謝るしかない。


「………………です」

「え?」


 小さな声に耳を澄ませる。


 永遠さんの顔は真っ赤に染まっていた。


「……私だって、緊張するんです」

「緊張? ——あっ」


 今日の予定。

 それは俺の実家への帰省だ。もちろん、永遠さんも一緒に。年明けまでは実家でゆっくりするつもりだった。


 それってつまりは、実家に彼女を連れていくと言うこと。もっと言えば、婚約者を、だ。


 永遠さんは、俺の家族と初顔合わせすることになる。


 俺にとっては慣れ親しんだ家族相手ても、永遠さんにとってはまるで違うんだ。


 ひとたび相手の立場になって考えてみれば、謎は全て解けた。自分のデリカシーのなさが恨めしい。


「わ、私は客観的に見て、とてもじゃないですがよく出来た人間ではないので。家柄だってありませんし、と、歳だって、その……だから……本当に伊月さんのご両親に認めていただけるかどうか……」


 永遠さんは語り口調は明らかにしどろもどろになっていて、その不安が本物であることが鮮明に伝わってくる。


「——大丈夫」


 優しく囁いて、俺は永遠さんの手を両手で包み込んだ。


 メイドの彼女はいつだって完璧で、弱さを見せないけれど。その奥にいる本当の彼女のことを、俺は知っているはずだから。


「大丈夫だよ。俺も一緒だから。永遠さんは、1人じゃないから」


 まぁ、俺からしたら永遠さんの言うことはまったくの杞憂でしかないのだけれど。それでも不安になる気持ちはすごくすごく分かる。

 そしてその不安は、俺とのことを本気で考えてくれているという証拠でもあって……。


「ありがとう、伊月さん」


 支えになってあげたいと、そう願うのだ。

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