第29話 最初の季節

 各教室では文化系サークルが出し物企画や展示をしていた。どこも学生らしい活気とパワーに溢れている。

 気になる教室にはお邪魔しつつ、永遠さんとゆっくり見て回った。

 ひと通り回り終えると、学食の方へとたどり着く。


「あれ、ここでも何かやってるのかな?」


 休憩所にでもなっているかと思ったのだが、それにしては妙に賑わっていた。


 入り口に貼られたいかにもお手製の看板には——


「メイド喫茶、ですか」


 ポップで可愛らしくそう書かれていた。


 永遠さんが足を止めたのに合わせて、俺もその場にとどまり視線を巡らす。


 覗き見る学食内は普段よりもお洒落に飾り立てられていた。その名の通り、メイド服を着た学生の姿がいくらか発見できる。


「……………………」


 永遠さんはそんなメイド喫茶のようすをジッと見つめていた。心なしか視線を細めて、まるで何かを思い出し、耽るかのようにも思えた。


「本物のメイドさんとしては微妙?」

「……いえ、そんなことはありません」

 

 永遠さんは首をふる。

 俺の指摘は少々的外れだったようだ。


「じゃあ、はいってみる?」

「ぜひ」


 俺たちはそのまま、メイド喫茶へと足を進めた。


「おかえりなさいませ、ご主人様〜!」


 すぐさま元気なメイドさんが愛想良く迎えてくれる。永遠さんのような優雅さはカケラもないが、これはこれで可愛らしいのだろう。

 

 永遠さんもお気に召したのか、柔らかく微笑んでいた。


「2名さま、ご案内いたします♪」


 テーブル席へと連れられ、向かい合って座る。


「こちらメニューになります。カップルさんには、こちらの限定セットがオススメですよ!」


 ニコリと笑ってお辞儀しメイドさんはテーブルを後にした。

 何を言わずともカップル認定されていることに嬉しいやらなにやら、こそばゆい気恥ずかしさを覚えてしまう。

 

「な、何にしようか」


 気を取り直して咳払いすると、永遠さんにメニューを差し出し、笑いかける。


「ふふっ」


 が、脈絡のない笑顔で返された。


「永遠さん、どうかした?」

「なんでもありませんよ。伊月さんがいつも通り、愛おしいだけです」


 永遠さんは俺の追及を受け流したかのように見えて、見事なカウンターを放ってくる。

 途端に顔が熱くなる。しかし永遠さんにとっては日常的な一言に過ぎないようで、メニューに目を通し始めた。


「伊月さん。これにしましょうか」

「え、マジで……?」

「お勧めされてしまいましたからね」


 永遠さんが選んだのは先ほどメイドさんからおすすめされた、カップル限定のオムライスセットだった。2人分のオムライス、サラダ、スープ、食後のドリンクが付いてくるらしい。お値段的には少しお得だ。

 

 しかし、どうしてこれがカップル限定なんだろう?


 注文を済ませてから10分ほど待つと、メイドさんが料理を配膳してくれた。


「それでは、最後の仕上げです」


 そう言って、メイドさんはケチャップを構える。


 ああ、なるほど。

 実際に体験したことはないが、メイド喫茶でよくあるパフォーマンスだ。

 メイドさんにハートマークとか描いてもらって萌え萌え————っていやいやいや!?


 彼女の前でそれはダメじゃないか!?

 なんかこう色々、ダメだろ!?


「こちらのケチャップで、恋人さんのオムライスに愛を注入しちゃってくださいね♪」


「へ……!?」


 お、俺がやるのか!?!?!?


 ようやく本当の意味で合点がいく。

 だからカップル限定だったのか!?

 いや、それならメイドさんがいる意味とは!?!?


「はい、彼氏さんからどうぞ」


 問答無用でケチャップを渡され、俺は固まってしまう。


 本当にやるのか?

 人目あるよ? 

 メイドさんはニッコニコでウキウキしながら背筋をピンと伸ばして状況を見守っている。


「と、永遠さん?」


 どうにか逃げられないだろうかと視線を送る。


「ドキドキ……」


 しかし最愛の彼女は、うっすらと頬を染めて伏し目がちにこちらを見ていた。


(めちゃくちゃ期待されてる!?)


 その姿には純粋な子どもっぽさと、決して騒ぎ立てない淑やかな上品さが同居している。

 端的に言って愛おしすぎる。つまり、やるしかない。


 俺は震える手でケチャップを構える。


「くっ……」


 先鋭的で残念極まりない歪なハートマークが誕生した。


「さ、お次は美味しくなる呪文を唱えましょう!」


「はぁ!?」


 まだ終わりじゃないのか!?


「伊月さん……?」


 物欲しそうに見つめてくる瞳。


「ぐ、ぅぅ……」


 メイドさんはさりげなく見本を見せてくれる。それを真似て、俺は指でハートを作る。


「お、美味しくな〜れ……萌え萌え、きゅん」


 あぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!

 もう死ぬ!!いっそ殺してくれ!!!!


 悶え苦しんだのち、脱力して着席する。


「ありがとうございます、伊月さん。とても可愛かったですよ?」

「は、はは……そう……」


 俺は寿命が縮まるような経験でした。


「次は私ですね」


 永遠さんは微笑んで立ち上がる。

 あまり緊張は感じられない。

 俺はリアルに死ぬほど満身創痍だったというのに。なんだか悔しい。


 もしかして、本物のメイドさんである永遠さんはこんなことも慣れているのだろうか……。


「……初めてですよ」

「え?」

「こんなこと、伊月さん以外には一生しませんから……」


 ポッと頬を染めて瞳を逸らす永遠さん。

 ああ、俺の彼女はポーカーフェイスを装っているような人だった。

 だけどひとたびその仮面が剥げてしまえば、そこにいるのは魅力的なただの女の子だ。


 永遠さんはケチャップを手に取ると、器用にハートを描く。俺の描いたものと違って線が整った、柔らかくて綺麗なハートだ。


 そして指でハートを形作る。


「美味しくな〜れ……萌え萌え、きゅん……♡」


 オムライスに魔法がかけられる。

 そこにあるのはもはやただのオムライスではない。永遠さんの愛が詰まった史上最高の逸品だ。

 

 まるで心臓を矢で撃ち抜かれたかのような衝撃だった。たしかにこれは、ドキドキする。嬉死ぬ。


「あ、ありがとう、永遠さん」


 永遠さんはやはり恥ずかしさがあるのか、視線を逃がそうとする。

 しかし直後、なぜか身を乗り出して俺の耳元へ口を寄せてきた。メイドさんに聞こえないように、小さく囁く。

 

「……お家に帰ったら、私のことも美味しくいただいてくださいね。——伊月」


「……っ!?」


「私の方が、ずっとずっと、美味しいんですから」


 それから顔を離して姿勢を正すと、赤い顔をちょっぴりそむけた。

 どうやら羞恥の最中、彼女の中に最も多く芽生えたのはオムライスへの嫉妬だったらしい。


 独占欲、永遠さんだってあるじゃないか。


 これはちょっと、卑怯だ。

 もう夜のことしか考えられないじゃないか!?



「楽しかった?」


 大学を後にして手を繋いだ帰り道、問いかける。


「はい。とても良い思い出になりました」

「それならよかった」


 秋も暮れ。陽が沈むのも早くなってきた。


「これからもちょっとだけ忙しいけど、一緒に頑張ろうか」


「……ありがとうございます、伊月さん」


「なんでもないよ、これくらい。というかむしろ世間知らずを痛感させられることばかりで、お金もなくて、ほんとにごめんというか」


「私は伊月さんの気持ちが、何よりも嬉しいのですよ」


 孤児院へ行った日から、ふたりで協力して少しずつ進めている準備。一日でも早くその日を迎えるために。なんの特別もない大学生の俺がやれる限りの努力を惜しまず、続けている。


 永遠さんのためと思えば、いくらでも力が湧いてきた。


「寒くなってきたね」

「そうですね……もう、冬になります」


 秋が終わる——彼女と出会ってから初めての季節が、巡っていく。

 新たな刻を、関係を、紡いでいくために。

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