第27話 泣いた日

 翌日。

 電車をいくつか乗り継ぎ、いくらかの距離を歩いて、その孤児院へと辿り着いた。


「ここが、永遠さんの……」


 幼少期を過ごした場所。

 寂れていて、とても豪華とは言えない小さな建物だった。

 しかしその建物内、そして小さな庭からは子どもたちの楽しそうな声が響いていた。


「あの、ほんとうに行くのですか?」

「ここまで来て帰るとか言わないでしょ」

「ですが……」


 ここまで来てなお、永遠さんは渋った表情を見せる。俺はその手を取って、むりやり前へと歩を進めた。


 すると庭で遊んでいた子どもたちが不思議そうにこちらへ寄ってくる。


「お兄ちゃんたち、だあれ?」

「お客さん!? 珍しいね!」


 好奇心旺盛そうな子どもたちは次々に言葉を発した。


「あー、えっと、先生はいるかな?」

「うん、いるよ!」

「こっちこっち!」

「はやくはやく!」


 子どもたちに手を引かれて小さな孤児院の玄関へと向かう。


「せんせー! お客さんだよー!」


 ひとりがそう叫ぶと、奥の方から先生と思われる人物がのっそりと姿を現す。


 腰の曲った、高齢のお婆さんだ。


「あら。あらあら」


 俺たちを見て、お婆さんは細い瞳をさらに細くする。しわがれた声がだんだんと高くなるのがわかった。


 俺の背中に隠れていた永遠さんが、ほんの少しだけ、顔を出した。


 その顔をハッキリと視界に収めたお婆さんは、にっこりと深い深い笑みを浮かべた。


「おかえりぃ、永遠とわちゃん」


「あっ、ぁぁ…………」


 その一言で、永遠さんは一筋の涙を流した。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 白雪院の先生——白雪静流しらゆきしずるさんは柔らかく微笑んで、お茶を出してくれる。


 優しい人なんだろうな、と一目でわかる雰囲気を纏っていた。


 しかし、永遠さんは相変わらずソワソワと居心地悪そうにしている。普段の永遠さんからは想像できない光景だ。


「立派なメイドさんになれたようですね」


 そんな永遠さんへ、静流さんは臆することなく声をかける。


 ちなみに、今日の永遠さんはメイドさん完全装備だった。


「先生の、おかげです……」

「どういたしまして。でも、それはあなたの努力の成果です。もっと胸を張ってくださいな」

「はい……」


 永遠さんは顔を伏せながらも、心なしか嬉しそうに身体を揺らす。


 ああ、なんとなくわかる。


 静流さんの笑顔は、まるで恩師のような、果ては肉親のような慈しみに溢れている。そのような人にこんなことを言われたら、いくら永遠さんでも縮こまってしまうのも頷ける。


 そんな永遠さんが可愛いなぁとかいう俺の気持ちは今はしまっておくことにした。


「ところで、そちらの方は?」

「あ、えっと……」


 ようやく俺への関心が向かい、永遠さんは頬を染めて言葉に詰まる。


「楠原伊月と言います。永遠さんの恋人です。永遠さんを愛しています」


 代わりに俺は、背筋を伸ばし、腹に力を入れて答えた。


「ちょ、伊月さんっ。いきなり何を言って……」

「事実だから。ちゃんと言わないと」

「でも……」

「永遠さんは嫌だった?」

「嫌なんてことはないです。絶対。……でも、恥ずかしい……」


 永遠さんは耳まで真っ赤になってさらに小さくなった。

 その姿が新鮮で、俺はちょっと楽しくなってしまう。愛おしさが増してゆく。


「ふふ」


 俺たちの様子を見て、静流さんは笑う。


「良い人に、出会えたのですね」

「先生…………。はい。おかげさまで」

「よかった」


 静流さんは心底ホッとしたようにそう言って、永遠さんの頭へ、綺麗な銀髪へしわしわの手を伸ばす。


「正しきを貫こうとする人には、必ず、幸せな未来が待っています。その過程にどんなに辛いことがあったとしても、幸せがあなたを逃すことはありません。あなたは自分の生き方を卑下していたようですが、誰かのために尽くすことが、正しくないはずがないのです。たとえそこに、どんな負い目のような感情が含まれていようとも」


 優しく、優しく、老いた手のひらが永遠さんの髪を撫でる。


「永遠ちゃん。私はあなたを誇りに思います」


 そこが、限界だった。


 永遠さんは端を発したように静流さんへ抱きつく。そしてわんわんと、子どものように涙を流した。何年も溜め込んだ全てを吐き出すように。その瞳を腫らして、彼女は泣いた。


 それはまさしく、母と娘。その姿に見えた。



「そうだ、永遠ちゃん」


 やがて泣き止んだ永遠さんに静流さんは微笑んで、立ち上がる。


「ちょっと待っていてくださいね」


 そう言って奥の部屋へと消えた。


 なんだろうと永遠さんと目を合わせながらも、静流さんを待つ。


 数分後、ゆったりとした足取りで何かを両手を持ちながら戻ってくる。


「これを、あなたに」


 それはひとつのアルミ缶だった。ちょっと高級なお菓子が入っているようなそれだ。


「開けてもいいですか?」

「もちろん」


 永遠さんがその蓋を開ける。


「これは……?」


 中には、たくさんの封筒が所狭しと敷き詰められていた。


 心当たりのない永遠さんは首を傾げる。


「手紙です」

「手紙……?」

「あなたの、お友達から」

「おと、もだち……っ?」


 永遠さんは震える指で、その中の一枚を取る。

 

「これ……もしかして、彼方ちゃん?」


 差出人の欄には、そう書かれていた。


「だれ?」

「一緒に靴を探した女の子です」

「ああ……」


 永遠さんが孤児院にいた時代、リーダー的存在だった子だ。


 一瞬躊躇うようすを見せながらも、永遠さんはその封を切る。


「俺も読んでいい?」

「はい。むしろ、一緒に読んでください。私だけでは、勇気がでないので」

「うん。ありがとう」


 そこに書かれていた内容は、ある意味衝撃的なものだった。


 まず初めに埋め尽くしたのは、永遠さんへの謝罪。


 そして、残るは永遠の行く末を憂い、心配する言葉の数々だった。


 今どこにいるのか、と。

 どうにかまた逢えないものかと、手紙の文章は切実に訴えかけていた。


「これ、は……」


 永遠さんは困惑に首をふる。


 それに応えるように、静流さんは言葉を紡いだ。


「大人になった子どもたちが、あなたに逢いたいと、ここを訪れるのです」

「え……?」

「そして、あなたの行方がわからないと知った彼ら彼女らは、手紙を綴ります。そんなことが繰り返されて、今ではもう一杯になってしまいましたね」

「そんな……」


 永遠さんは手紙を握りしめ、受け入れがたい現実に後ずさる。

 俺は思わず、その背中を支えた。


「どうして……? みんな、いつも冷たくて、私のことなんて嫌いで……」


「そんなこと、あるわけないではないですか」


「え……?」


「ここにいる子どもたちはみんな、同じような境遇をもった家族です。たしかに幼心の男の子たちは、可愛らしいあなたに意地悪をしたかもしれません。女の子たちはあなたの綺麗な髪を羨ましく思ったかもしれません。ですが、それでもみんながあなたのことを想っていました」


「そんな、そんなわけ……」


「まぁ、ひとつ言うとしたらあの子たちは、あなたの生き方に異議を唱えたかったのでしょう。自分たちは家族なのに、それなのに必要以上に尽くそうとするあなたのことが許せなかったのです。永遠ちゃんは、永遠ちゃんのために生きていいんだよ。幸せになっていいんだよと、本当は、そんなふうに言いたかったのだと思います」


「そんな、そんなこと一度も、一言も……」


「だから、ごめんなさいと。彼ら彼女らは言います。大人になって、自分たちの間違いに気づきます。普通、人は素直でなければ正しくもないのですよ。間違えながら、進んでいくのです。彼ら彼女らを責めるな、とは言いません。ですが、わかってあげてほしいのです」


「う、うぅ……〜〜っ……わかんない。わかんないよ。そんなの。言ってくれなきゃ、私は、…………っっ」


 くしゃりと胸元に手紙を握りしめて、永遠さんは止めどなく涙をこぼす。


「今はもう、自らの幸せを見つけたのですよね?」

「はい……はいっ」


 もはや口を挟むこともできない俺はただ、その小さな背中を撫でていた。多くの想いを背負った、その背中を。



「これは、輝樹くん。こっちは、彩ちゃん。瑠美ちゃん。みんな覚えています。みんな、私に手紙を……」


 泣き止んだ永遠さんはゆっくりと、手紙に目を通す。


「良かったね」

「……はい。ありがとうございます、伊月さん」

「俺は何もしてないよ」

「そんなことないです。伊月さんに言われなければ、一生ここに来ることはありませんでした」


 そう言って、永遠さんは泣き笑いする。


 その顔が見れただけで、見切り発車だった自分の行動が間違いでなかったことを知る。


「おねーちゃーん! こっち来てよー! 一緒に遊ぼー!!」


「え? わ、私ですか?」


「うん! おねーちゃんと遊びたーい!」


 庭の方から、子どもたちが呼びかける。


「で、でも……」

「いいじゃん。ご指名だ。行ってきなよ」

「は、はい……」


 永遠さんは戸惑ったようすながら、メイド服を、銀色の髪を揺らして子どもたちの元へと駆け寄っていく。


「ねーねー、おねーちゃんはどうして、髪の色がみんなと違うのー?」


 無邪気な笑顔を漏らして、ひとりの少女が問いかける。


 永遠さんはしっとりと落ち着いた笑みを浮かべて膝を曲げ、その子に視線を合わせる。


「それはね、お姉ちゃんがメイドさんだからですよ。メイドと銀髪はセットだと、はるか昔から決まっているのです」


「へ〜、そうなんだー! おねーちゃんの髪、とっても綺麗だよね! お洋服も可愛いね!」


「ふふっ、ありがとうございます」


 一瞬だけ内心肝を冷やしたが、永遠さんはやはり大人だ。俺の出る幕など、あるはずもない。

 俺が何かをするまでもなく、彼女は彼女の過去を乗り越えていく。そういう強さが、今の彼女にはあった。


「心配ですか?」


 隣の静流さんが問いかける。


「いえ、まったく」


 俺は自信を持って答えた。


 それから俺も混ざって遊んだりしながら時間を過ごすと、あっという間に日暮れが近づいてきた。


 そろそろ、帰らなければならないだろう。


 最後に、俺は静流さんへ向き直る。


「あの」

「なんでしょう?」

「俺たち、もうすぐ結婚します」

「そうですか。それは素晴らしいですね」


 静流さんはやはり優しげな笑みを浮かべる。


 それを見て、俺は決めた。


「俺たちの証人になってくれませんか」

「え?」


 先に声を漏らしたのは永遠さんだった。


「永遠さん、婚姻届持ってる?」

「あ、はい。持ってます。いつも肌身離さず……」


 彼女ならそうだろうと思った。


 それを受け取って、俺は静流さんへと差し出す。


「永遠さんのたった一人の母親として、証人になっていただけませんか」


 用紙を見て、静流さんは一瞬面食らったように瞳を開く。しかしすぐに細めて、微笑んだ。


「ええ。喜んで」


 静流さんはそう言って、すぐに用紙へ筆を下ろす。


 そうして、理想的な形で証人欄の一つが埋まった。


「ああ、こんなに嬉しい日はありません」


 夕焼けを見つめながら、静流さんは呟く。


「ですがまた、一つだけ、この世に未練ができてしまいました」


「未練、ですか?」


「ええ」


 静流さんは慈愛に溢れる瞳で俺を、そして永遠さんを見つめる。


「ふたりの披露宴まで、生きなければなりませんねぇ」


 そのとき、ハッと瞳を瞬かせた永遠さんの瞳を、俺は見逃さなかった。

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