第26話 生きる意味

「ここが伊月さんの通っている大学……キャンパスですか」


 ひと通り遊び尽くして夕方に差し掛かる頃、永遠とわさんの提案で大学へとやってきた。


「この前は校門までだったっけ」

「はい、そんなこともありましたね」


 永遠さんと出会ってからすぐのことだ。メイド服姿の彼女が迎えに来て騒ぎになりかけたことがあった。


「今日はかなり馴染んでるね」

「そうですか? 大学生に見えるでしょうか?」

「永遠さんなら余裕だよ」

「それなら、よいのですが……」


 私服の永遠さんはしっとり笑んで、俺の手を握る。


「それにしても、今日は休日なのに結構な数の学生さんがいらっしゃるのですね」

「たしかにそうだね」


 そこかしこに学生たちの姿が見て取れる。

 休日に来ることなんて滅多にないからわからないが、いつもこうなのだろうか。


 そんなことを思っていると、ちょうど見知った顔が通りかかった。


「おーい、坂巻」

「え、楠原?」


 手を振って呼びかけるとこちらに気づいた坂巻が寄ってくる。


「なんだよ珍しいな——てぇ、そ、そちらはもしや、あの時のメイドさん!? 白雪永遠さんでありますか!?」


「はい、伊月さんの恋人の白雪永遠です。お久しぶりですね、坂巻さん」


「お、おお俺のことを覚えていてくださるなんてぇ……!! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 相変わらず大袈裟極まりない坂巻は何度も直角に頭を下げた。


 その後、恨みがましく俺を睨む。


「ちぃ……なんだよなんだよぉ、デートかよぉ。大学まで見せびらかしに来てんじゃねぇよぉリア充がよぉ……!」

「ごめんごめん。まさかいるとは思わなくて」

「もっと申し訳なさそうに言えい! こちとら万年独り身ぞ!!」

「ごめんって」

「くっそ幸せそうな顔しやがってぇ! うぉぉぉぉおおおおん!!!!」


 本ッ当にごめんだが、めちゃくちゃ優越感。


 なるべく表情を入れ替えるよう意識しつつ、坂巻を宥めた。

 その様子を永遠さんは穏やかに見守っていた。


「ところで坂巻の方こそ、休みだっていうのにこんなところで何してるんだ?」

「ああん? そりゃおまえ、学祭の準備に決まってんだろ?」


「学祭?」


 そう言えば秋といえばそんなものもあったなぁ。

 俺はろくにサークル活動もしていないので、一年の時こそ顔を出したものだがそれ以降はあまり意識することもなかった。


「坂巻、参加するのか?」

「まぁな。今いろんなサークルに顔出してるとこ。ここで頼れるところを見せて、俺だけのメインヒロインをゲットって寸法よ。ふっふっふ」

「そっか。がんばれよー」

「適当だなおい!」

「いやマジだって。応援してる。ほんとに」


 肩を叩いて本心であることをアピールする。


「何か手伝うことあるか?」

「ねぇよ。俺に近づくな。リア充が移る」

「いや移ってよくないか」

「うっせぇ! とにかく俺に関わるな! おまえは大事な彼女だけ見てやがれ! 学祭も冷やかしにくればいいんじゃねぇのぉ!? 俺んとこきたら殺すけど!!」

「お、おう……」


 叫び散らかした坂巻は実際ずいぶんと準備で忙しいらしく、走ってその場を後にした。


「やっぱり、素敵なお友達ですね」

「そう? めっちゃ怒鳴られたけど」

「わかってるくせに」

「……まぁ、うん」


 それから大学内をゆっくりと見学した。


 永遠さんは興味深そうに、同時にどこか寂しそうに、キャンパスを見つめていた。



「ちょっと休憩しようか」


 大学を出てすぐにある公園のベンチに2人並んで座る。


 まもなく夕日が沈み始めようとしていた。


 あっという間の1日だったなぁ。

 永遠さんも楽しんでくれたようだし、初デートは成功と言っていいだろう。


 終わってしまうのも名残惜しいので、もう少し雑談を楽しむことにする。


「永遠さんは、大学とか通わなかったの?」

「私は中学卒業後、すぐにメイドとして働き始めましたので」

「ええ、中学で!? すごいねそれは」

「そんなことありませんよ。私には、それしかできなかった。それだけのことですから」


 永遠さんはやっぱり少々アンニュイな笑みを浮かべる。


「少し、私の生い立ちについて話してもよろしいでしょうか」


「え……聞いていいの?」


「伊月さんには、知っていてほしいのです」


「永遠さんがそう思ってくれるのなら、ぜひ」 


 永遠さんの過去。

 俺の知らない彼女の数十年の時間についての追及は、タブーのように思っていた。

 過去など知らなくても、今が、未来があればいい。俺はそう納得している。


 だけど、知りたいか知りたくないかで言えばもちろん、知りたい。


「永遠さんのことがもっと知りたい」


「では、お話します」


 永遠さんは沈みゆく夕暮れを見つめながら、最適な言葉を探り出すようにゆっくりと語りだす。


「私は、孤児でした」

「……孤児?」

「幼少の頃、両親に捨てられたのです。両親のことはまったく覚えていません」

「そんな……」


 無意識に漏れた言葉。

 永遠さんは俺の手を優しく握って、話を続ける。


「私はとある孤児院に引き取られ、育てられることになりました。その頃の私は一言で言えば、”無”だったのでしょう。両親に捨てられ、愛されなかった私は、自らの生に意味を感じることができませんでした。自らを否定こそすれ、肯定する要素など、なにひとつ持ち合わせていなかったのです」


 淡々とした語り口調の彼女から、たしかな感情を受け取ることはできない。

 しかし想像するだけでも、胸が締め付けられた。いや、真っ当な家族のいる俺には本当の意味で想像することさえ、できないのだろう。


「孤児院には私と同じような境遇の子供たちが数人いました。しかし私は彼らの中に馴染むこともできず、ずっとひとりでした。昔の私は引っ込み思案でしたからね。上手く笑うこともできない、不器用で不気味な子供。それに加えて、この髪です」


「え……?」


 さらりと美しい銀髪が風に流れる。


「両親のどちらかに、海の向こうの血が入っていたのでしょうね。この銀色の髪が、子供たちの社会では受け入れられないのです。面白半分で髪を引っ張られたり、石を投げられたりする毎日でした」


「…………ッッ」


 握りこんだ拳が震える。

 怒りが表に出てしまいそうになるのをグッと堪えていた。


 どうして。

 永遠さんの髪はこんなにも綺麗なのに。


 きっと悪意さえもなかったであろう子どもたちの行動に、怒りの矛先さえ得られない。


「孤児院の先生だけは私に優しくしてくれました。それだけが、あの頃の唯一の心の支えだったのかもしれません」


 それを聞いてわずかに心が弛緩する。

 先生のことを話す彼女の口角は、少しだけ上がっていたから。


「そして転機が訪れます。ある日、子どもたちのリーダー格の女の子が靴を失くしてしまったのです。誰かが隠したのか、動物の仕業か、はたまた子どもゆえ彼女自身が招いた不注意だったのか。真相はわかりません。ですが、お金のない孤児院にとって、靴は高価なものでした。失くしたなんて言ったら先生を困らせてしまいます。だから彼女はずっとずっと、探していました。その不安げで孤独な小さな背中を見て、私は自分と重ねたのでしょうか。気づけば探すのを手伝っていました。何時間も探して、探して、遂に私が靴を見つけました。それを知らせると彼女は私の手を取って、笑顔で言います。”ありがとう”。口の悪い彼女から初めて聞いた優しい言葉。そのとき、私は生まれて初めて、人の役に立ちました。生きることの意味を理解した瞬間でした」


 それは良い思い出と言ってもいいのだろうか。俺には決して判断がつけられたものじゃないが、それが彼女の生き方の源泉になっていることだけは理解できた。


「それからと言うもの、私は誰かの手伝いを率先してするようになりました。求められるまま働いていると、生を実感することができました。自然と虐められることも少なくなりました。ですがそれでも辛いことはたくさんあって、みんなはやっぱり私に冷たくて、泣いちゃうこともたくさんありましたが、そうやって、弱い私は誰かに求められるがまま誰かに寄生して、依存して生きることを覚えました。だから、大丈夫でした」


 永遠さんは続ける。


「しかし時が経ち、やっと打ち解けてきたかのように思われたみんなは次々と里親に引き取られてしまいます。それぞれの幸せに向かって、歩き始めたのです。ですが私だけはずっと取り残されていて、遂には知っている人が誰1人いなくなって、またひとりぼっち。そんなとき、塞ぎ込んでいた私に先生が紹介してくれたのが、お友達の老メイドさんでした。残念ながら彼女はまもなく亡くなってしまいましたが、少ない時間の中で私は彼女からメイドとしての技術を学びました。そして孤児院を抜け出し、メイドとして生きることを決めたのです」


 それが永遠さんがメイドになった理由。

 誰かのために生きることができる彼女にとって、メイドという職業はピッタリとハマったのだろう。

 

「それから紆余曲折ありまして、長くお仕えしていたお家に解雇されてしまい、今度こそもうダメかと思っていたそのとき、伊月さんに出会ったのです」


 永遠さんはにっこりと微笑む。


「以上が、私の生い立ちになります。どうでしたか?」

「……色々、驚いた、かな」


 俺みたいに普通に生きることができた人間が恋人に一度ふられたことなんて、彼女に比べれば吹けば飛ぶような小さな話だ。


「……ですよね。ごめんなさい、こんな暗い話をしてしまって。せっかくのデートなのに」


「い、いや!! たしかに驚いたけど、でも同時に、嬉しかったんだ!」


 俺は心のまま叫ぶ。


「すごく嬉しかった! 永遠さんのことが知れて! そして——」


 永遠さんを抱きしめた。大きなものを背負い込んだ華奢な身体に強く力をこめる。


「やっぱり好きだなぁって思った。俺が永遠さんを絶対幸せにするんだって、そう思った」

「伊月、さん……」

「絶対幸せにする」

「……はい。私も、伊月さんを幸せにします」


 日が完全に沈み込むそのときまで、俺たちはお互いを抱きしめ続けていた。


「ところでなんだけど」


 帰り道、俺は何気なく話を切り出す。


「なんですか?」

「孤児院にはその後、顔を出したりしているの?」

「していません。一度も」

「ええ、なんで!?」

「なんでと言われましても……もう知っている人もいませんし、そもそも私は半ば失踪したようなもので、今更合わせる顔が……」

「孤児院の先生は?」

「あの方は相当なご高齢です。ご存命であったとしても、まだ院におられるかどうか……」


 かつて永遠さんは言った。家族も友人もいないと。彼女自身、本当にそう思っているのだろう。

 しかし、もしもそれにあたる人がもしいるとしたら、それは……。


「行ってみよう」

「え、伊月さん……何を……」

「会いに行くんだ。永遠さんの家族に、友達に」


 たとえ永遠さんがなんと言おうと、俺はそうすると決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る