第2話 運命的な出会い

「お風呂ありがとうございました」


 メイドさんが浴室から出てくる。視界の隅で綺麗な銀髪がさらりと揺れた。


「温まりましたか————って、ちょ、なんて格好してるんですか!?」


 びしょ濡れのメイド服は乾燥中のため、着替え用に適当な長袖ジャージを置いておいたのだが……


「何かおかしいですか?」

「何って、ズボン! なんでズボン履かないんですか!?」


 メイドさんはジャージの上着だけを羽織っていた。白くて綺麗な脚が大胆に晒されている。


「可愛くないので」

「はぁぁああ!?!?」

「可愛いことは大事ですよ。メイド服だって可愛いでしょう?」


 メイドさん的にジャージは上着だけの微エロスタイルがお好みらしい。


 ため息が漏れる。


「……冷えませんか?」


 せっかくお風呂に入ったのに。


 俺はエアコンを付けて、温度を上げる。


「やっぱり優しいですね」

「普通だと思いますよ」

「でも、私に声を掛けたのはあなただけでした」

「そもそも人通りがありませんから」


 だからこそマジで死ぬ、と。


「こんなに優しいあなたをフッた彼女さんは、さぞや立派な方なのでしょうね」

「……っ」


 ズキリと痛む胸。


「……どうして分かったんですか?」


 思わず問いかける。


「この部屋からは女性の匂いがします。洗面所には彼女さんのものと思われる品がたくさんありました」


 簡単な推理ですよと、メイドさんは続ける。


「あなたのような人は、恋人と別れでもしない限りその愛の巣に他の女を入れないでしょう」


 まったくもってその通り、この部屋に元カノジョ以外を入れたことなどない。これからもその予定などないはずだった。


 ああ、この部屋は、もう思い出したくない記憶で溢れているな……。

 この前部屋に来たときにはもう、彼女の心は俺になかったのだろうか。別れる算段を立てていたんだろうか。何年もずっと一緒にいたはずなのにまったく気づかなかった。


 もし真っ直ぐ帰ってきてこの部屋を目の当たりにしたら何をしていたか分からない。

 やっぱり酒を呑んできて正解だった。


 その先のことは……知らないが。


 この部屋にとって異物中の異物たるメイドさんは銀髪を揺らして飄々としたようす。失恋したての男の部屋だというのに、警戒心などないらしい。


 まぁ、俺が何かする気も毛頭ないのだが。


「——改めまして」


 メイドさんは唐突に居住いを正す。


「先程は助けていただきありがとうございました。わたくし白雪永遠しらゆきとわと申します」


 そして、メイド流のお辞儀をした。(ジャージ姿ゆえあまり格好はつかない)


「職業、メイドです」


 悪戯に笑う。


「元じゃなかったんですか?」

「私の心延こころばえは変わらずメイドですので。問題ないかと思いまして」

「メイドに拘りがあるんですね」

「メイド服も、乾いたらまた着ますよ」


 白雪永遠。

 野生のメイドさん。

 なんだかミステリアスで、神秘的な人だ。

 コロコロと微笑を浮かべるものの、その表情にはどこか陰があるような。


 しかしそのアンビバレンスさが、美しさを助長している。


 風呂上がりの姿を見て思うが、彼女は惚れ惚れするほど超絶の美人だった。


「俺は楠原伊月くすはらいつき。大学生です」


 お返しに名を名乗る。


「伊月さん」


 呟いて、こくりと頷いた。


「可愛らしい名前ですね」

「まぁ、女性にも使われる名前ですしね」

「良いですね。とても気に入りました」


 伊月さん、伊月さんと何度も繰り返す。


 少し恥ずかしかった。


「さっそくですが伊月さん、メイドに敬語は不要ですよ」

「そうですか?」

「はい。もっとフランクにどうぞ」

「わかりまし————わかったよ、えと、白雪さん」


 素直に敬語を外す。


「名前でどうぞ」

「え?」

「永遠ちゃん、なんてどうでしょう」

「さすがにそれはちょっと……じゃあ、永遠さんで」

「……ちゃんの方が可愛いのに」


 かなり不服そうである。


「永遠さんて何歳?」

「女性にそれを聞くのはマナー違反ですよ?」

「まぁ、そうだよね」


 答えてくれないが、年上という見立ては間違いないようだ。

 年上の女性をちゃん付けする勇気はなかった。


「よろしく、永遠さん」


 自己紹介も済んだということで、握手を求めて手を差し出す。


「…………」


 未だ呼び方に納得いっていないのか、不満顔のまま俺の手を見つめる永遠さん。


 数秒の後、ふぅと息を吐くと、


「永遠ちゃん呼びはまた今度、お願いするとして……」


 微笑みを浮かべて俺の手を取った。

 

「末永くよろしくお願い致します。伊月さん」


 まさかこれが遥か先の未来まで続くような運命的出会いになるとは、この時の俺は微塵も思っていなかった。

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