第13話

翌朝七時。スマートフォンのアラーム機能が鳴り出して目が覚めると、台所から香ばしい匂いがして衣服を着てリビングへ向かうと依那よながおはようと挨拶をしてきた。

洗面台を借りて顔を洗いソファにかけると挽いたコーヒーと昨夜に買ってきた惣菜を併せてテーブルに並べてくれた。


「ありがとう。いただきます」


少しだけ苦味が強いコーヒーが身体を温めてくれて、四切れパンの角に焦げ目のついたトーストがふんわりとした食感が気持ちを落ち着かせてくれる。


「今日は仕事あるんだろう?」

「ええ。遅番だから十二時から出勤します」

「昨日話した事、考えてくれる?」

「一応は。凪悠なゆさんの返答次第もありますから。」

「あいつからさっきメール来ていて自宅に帰ってきたみたい。向こうと時間決めて話し合いするよ」

「浅利さん。私、大事な事伝えていなかった」

「何?」

「私、浅利さんが好きです」

「……僕も、倉木さん好きだよ」

「昨晩言えなかったの……なんか格好が悪いな私」

「そんな事ない。ありがとう」

「こちらこそ……」


僕らは微笑み合いながら食事を続けて、それから彼女にまた会う約束をして家を出ると、空の雲が低い位置でコンクリートを塗ったように厚く広がるのを見てひと雨来そうな気配を感じながら駅へと向かった。


一時間後自宅に着いて玄関先から凪悠に向かって声を掛けると浴室からシャワーの出ている音が聞こえてきた。リビングのソファに腰をかけてしばらく待っていると、彼女が出てきたのを見てただいまと言い、僕がひと晩どこに泊まっていたのかを尋ねてきたので、大学時代の友人の家で朝まで酒を飲んでいてこの時間に帰ってきたと告げると、自分も似たように今朝方まで飲み明かして帰宅したと互いに嘘をついてその場をしのいだ。


僕は早速凪悠に先日スマートフォンのメールを見た事を話して会っていた男性を知りたいと言い、その事で時間を決めて話し合いをしようと言うと彼女も僕に大事な話があるからそうしても良いと返答し、その日の晩に伝えるように決めた。

その時の彼女の顔つきはどこか開き直った雰囲気をまとっていて、腹を割って話しても良いという姿勢が伝わってきた。それなら僕も依那と会っている事を話してもいいのではないかと頭によぎったが、まずは先に凪悠を優先して事実を知ろうと考えた。


書斎に入りパソコンを立ち上げて書きかけの原稿に目を通して、続いてキーボードを打っていこうとしたが、凪悠の事が気になっていて整理がつかなくなり、一度ベランダに出て空を見ながら深呼吸していった。

手の甲にピタリと水滴が滴り落ちてやがて小雨が降り始めてきたのでリビングに入ると、凪悠が予報通りの雨が降ってきたと告げてきて、眠気が残っているからと寝室へと一人で入っていった。僕も仮眠を取りたいと考え薄手の毛布を取り出してきてソファの上で横になりまぶたが重くなって次第に眠りについていった。


六月なのに今日はやけに部屋の中も涼しい。

外は雨が強まっていき雲の色もレトログレーに滲み出していく。


一時間が過ぎた頃床のきしむ音がしたので目を開けてみると凪悠が僕の足元に座りこんできたので起き上がると寝室で寝たほうが良いと言ってきたが逆に覚醒したのでそのまま起きていることにした。

彼女はふっと笑ったのでどうしたのか聞いてみると僕の頭の髪の毛が逆立っているのを見て手で撫でてきて整えてくれた。


昼になり僕はチャーハンが食べたくなったので、台所で冷蔵庫の中を見ながら期限切れ前のものから袋を開封してまな板の上に具材を置き包丁で切り刻んで、卵とマヨネーズを合わせた白飯を先に熱したフライパンに入れて炒めていき、チャーシューやカニカマを加えて軽く炒め青葱と塩コショウを合わせて混ぜ合わせて皿に盛り付けていった。テーブルに座ろうとした時凪悠が来て私も食べたいといい、彼女の分も皿に盛りつけて差し出した。


「海人、シンプルなご飯作ると右に出るものいないよね。美味しいよ」

「あっ、スープ忘れた」

「いいよ、これだけでもお腹いっぱいになる」


食事を摂りながら僕は彼女は知らないところで知らない男と何をしていたのだろうと考えていた。ここまで執念深く考える方ではないのだが、やけに振る舞いが自然すぎるので余計底辺へと物事を考え込んでしまう。

僕自身も依那との密会を隠している身なのに相手ばかりの心理を疑ってしまうなんて女性が取るような思考が働いてしまっている。


そうこうしているうちに先に彼女が食事を済ませて、いつもより早いが買い物へ出かけてくると言い出し、買ってきてほしいものがあるかと聞かれたのでいくつか頼み込み、ものの十分ほどで颯爽と彼女が家を出ていった。

後片付けが終わりテレビをつけて適当にチャンネルを合わせて眺めていた。そこから二時間が経った頃凪悠が帰ってきて先程よりも雨が強く降って傘を差していたが片腕が濡れてしまったと話しながら食材や日用品をしまっていった。


僕ははやる気が抑えきれなくなっていき、少し早いが夜に話すことを今話そうと告げると良いよと快諾した。


「メールの中に俺の知らない男の人の名前があってさ。本文に俺らの家庭の事情や個人的に言われたくないことも話していただろう?あれって誰なんだ?」

「会社で出会った人。片山さんっていう人。元々営業で出入りしていたんだけど、内勤になってからみんなと話をしているうちに私個人で話したいって声をかけられてきた。年も私と近いんだけど、何回か食事をしているうちに向こうが私に好意を持ってきて……初めは断ったんだけど諦められないって言ってきて、一度彼の家に泊ってそれから関係を持った」

「凪悠はどうしたいんだ?」

「付き合いたいって考えている。……最近生理が不順で何かがおかしいって思って試しに妊娠検査薬を買って使った。そしたら……」

「できていたんだな?」

「うん。彼に伝えたら一緒になりないって言ってきたけど、海人がいるからなれないって言ったらあなたの事を悪く言ってきた」

「無責任だって?」

「それに近いこと言った。役立たずだって。それはひどいから撤回って言い返したけど、今度海人に会わせろってしつこくいってきている」

「そいつ、本当に人を見る目あるのか?凪悠は子どもをどうしたいんだ?」

「産みたい」

「俺と籍入れた時は子どもはいらないって言ってなよな。どうして考えが変わったんだ?」

「片山さんと一緒にいて話しているうちに改めて夫婦の意義を考えた。子どもがいれば確かに育児は両立してくのは大変だけでど、家族が増えて楽しくなるのなら私も周りの子どものいる友人と同様に母親になりたいってずっと考えていた。そうしたら子どもができた……」

「俺の子じゃないのに、それを俺が承諾すると思っているのか?」

「嫌?」

「ああ嫌だ。……何の話かは薄々気づいていたけど、そこまでして産みたいなんてよく言えたものだな」

「じゃあ、別れる?」

「すぐには別れられない。まず本当にその人との間の子か病院で調べてきてくれ。その後に片山っていう人と会って話をする」


僕の予想は的中した。気が立っていくにつれて自分の思いが赤く錆びたとげを刺すように身体に埋まっていくような感覚になっていった。僕も依那と関係を持っているが、現状では凪悠の方が小悪の比率が高いと痛烈に思うのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る