第14話

数日後の水曜日の夕方近くに、僕の部屋の前を通り過ぎる足音を耳にして、凪悠なゆが帰ってきたのに気づき、途中席を立ち部屋から出てリビングへ行った。


「結果は?」

「六週目だった。あの人の子で間違いない」

「そう。……まだ仕事中だから部屋に戻るよ」


複雑な思いが身体中を巡り出す。業務に集中しようと気持ちを切り替えて席に着いて残りのデータの分の打ち込みを行なっていき、十八時が過ぎたところでパソコンをスリープ状態にした。

スマートフォンを開き何件かのメールを見ていると、依那よなからもメールが届いていて、彼女の名前を見つけた瞬間に胸が張り裂けそうになった。


「『凪悠、やっぱり付き合ってる人がいる。妊娠しているって』」

「『向こう二人はどうなりたいの?』」

「『相手の人とこれから会うことにした。正直会いたくないけど、こればかりは逃げていられない』」

「『相手の人も悪気を持って妊娠させた訳じゃないと思う。会えば理解するよ。休憩終わるからまた連絡してください』」


スマートフォンという手のひらの中に埋まる小さな物体を通して彼女に伝えても自分側の思いは雑念に駆られて狂い出しそうになる。

凪悠から相手の男の写る画像を見せてもらったが、表面上だけでは何を考えているのかがわかりにくい。依那の言う通り悪気を持っているような雰囲気はなさそうだが、もし僕への軽蔑心が強いのであれば出方次第でこちらも反発しても構わないだろう。


翌週になり、僕と凪悠は片山という男性と会うために六本木のミッドタウンの中にあるカフェに向かい店に着くと彼は先に席に着いて待っていた。初対面の印象からは長身の恰幅かっぷくの良い身構えにラフなジャケットを羽織るセンスの良い雰囲気が持ち合わせていた。彼に声をかけて一緒の席に座ると早速僕を敵対視するような眼差しでこちらを見ていた。


「先日彼女からあなたとの事についてお話しを伺っています。率直に言うんですが、片山さんは妻と一緒になりたいってお考えで……?」

「はい。今の浅利さんからは子どもを望まないまま凪悠さんと生活をしていきたいと。それを聞きあなたの気づかないうちに彼女とのすれ違いが生じていると知って、僕からしてみれば今後女性としても悲しみを抱えながら生きていかなければならなくなるという……つまり裏切りになると考えています」

「裏切るか。僕は妻とはそれなりに支え合って暮らしているのに、他人であるあなたにそう本音をぶつけられて、正直迷惑だと感じてしまいます」

「彼に子どもができた事を話したんだけど、受け入れられないって。私はそれでも産みたいから、あなたたち二人に本当は承諾してもらいたいんです」

「堕ろせってなったら、今後の自分に不安になるか?今からでも遅くないから、片山さんとの関係は断ち切ってくれ」

「そう一方的に言ってくるからどうすれば解決するか悩むの。たしかに夫婦以外の人との間にできた子を産むなら、離婚が一番の手になる。海人は私と離れて暮らすのは考えられない?」

「できなくはないけど……今すぐになんては無理だ」

「浅利さん」

「何ですか?」

「今の僕の立場から言えるものではないんですが、あなたも他に誰か女性と一緒にいらっしゃるんじゃないですか?」

「何でそう見えるんですか?」

「やけに落ち着いていらっしゃるんで。本来ならもっと僕に攻撃的にぶつけてくるんじゃないかと思ったのでそうお返ししたんです。何か……思い当たる事でも?」

「それはないです」


片山も忖度そんたくなしに無愛想に投げかけながら当てつけがましく言う。彼は根底に僕ら夫婦の事を隅々まで周知しているような面持ちで居座っている。凪悠は彼に全てを暴露しているなと思い、どこかで僕らの間柄を牛耳る策でも練っているようにも思えた。

彼の表情は一向に凪悠の味方そのものだった。

僕など眼中になど無いと軽蔑した視線が貫通していくようにも感じ、そろそろ会話を断ち切ろうとした時、彼はこう告げてきた。


「僕は一貫して凪悠さんの意思を尊重します。浅利さんのその曖昧で楽観的なご様子ではいつまでたってもらちが明きません。無事に出産して安定してからは……お二人には別れていただくように弁護を立てようと検討しています。こんな風に時間を無駄に使ったことはあまりないものですから……。凪悠さんもご自宅でじっくり言い聞かせるように話し合ってください。では……」


強気なオーラを放ちながら彼は席を立ち会計シートを持って会計を済ませた後にこれから予定が入っているので先に帰ると言い店を出ていった。


「俺……嫌いなタイプだな。こっちも腹の虫がおさまらない」

「いつもはああいう感情を出さないのよ。きっとあなたに会って気が張ったのだと思う」

「初対面であのつらと言い草はないだろう?」

「彼にも病院に行ったこと話したから余計そうなっただけ。私達も帰ろう」


凪悠は僕を宥めて店の外に出ていくといつの間にか通り雨が降っては上がり、路面が濡れながら煌びやかに反射して首都高速道路の向こう側に見える夕陽が明媚めいびに辺りを染めていた。

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