サービスエースだった先輩

大学生の頃、僕は居酒屋でアルバイトをしていた。

そこには、少し前から働き始めていた笛寺先輩という人がおり、アルバイト仲間から『サービスエース』と呼ばれていた。

何でも、サービスがすごい、ということだった。

話を聞いたとき、「アルバイトが勝手にサービスするのはいかがなものだろうか。」と思っていた。

しかし、一緒のシフトに入った時に、そのサービスのすごさを目の当たりにした。


「こちらサービスです!!」


お客を席に案内するやいなや、勢いの良いサービスがテーブルに置かれたのだ。

それはその日、お通しで出すことになっているホウレン草の白和えではなく、牛肉とごぼうのしぐれ煮だった。

お客は呆気にとられていたが、「やられた~」とばかりに照れ臭い表情をしていた。

そのあと、僕がお通しを置きに言った時には見られなかった表情だ。

この日、先輩は担当した8グループ全てにサービスエースを決めてみせ、僕を虜にした。


サービスエースを決めるには勢いも大事だが、それ以上に「相手が心の中でどんなサービスを待っているか読む力」が問われる。

例えばお客がメニュー表を見て「枝豆が欲しいな。」と思ったとする。

ここで枝豆をサービスすると、相手の想像を越えることはできない。

枝豆とベーコンのバター焼きなどいいかもしれない。

すると、お客は想像の1枚上をいかれる。

「こんなのもあったのね!」

といった具合に虚をつかれる。

こればかりは経験を積むしかない。

練習でいくらサービスエースが決まっても、実践でなくては心を読む力は養われないのだ。


そしてタイミング。

席についてすぐのときもあれば、相手が注文を終えて油断した隙なども有効だ。

そのあたりのことを考えると、あの来店してすぐの牛肉とごぼうのしぐれ煮が、いかに凄いか伝わるだろう。



しかし、稀にお客にリターンエースを決められることもあった。

個人的にリターンされるのは本当は良くないことだった。

そんなとき、笛寺先輩は「店長には黙っていてくれよな。」と言い、それをポケットにそっとしまうのだった。




僕がその居酒屋で働いてしばらくたったある日、奇妙なことがあった。

笛寺先輩がお客に怒られていたのだ。

バックヤードに戻ってきた先輩に何があったのか尋ねると、お客がアレルギーを持っている食材をサービスしてしまい、フォルトしたらしかった。

先輩にもそんなミスがあるんだな、と思っていたが、その日の先輩はおかしかった。

閉店間際に来たお客にサービスエースを決めようとしたとき、手が滑ってお客の服を汚してしまったのだ。

怒るお客。

飛んで来る店長。

平謝りするしかない笛寺先輩。

ダブルフォルトしてしまった先輩の腕にはサポーターが巻かれていた。

長年の無理がたたり、サービス肘になっていたのだった。

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