第11話 さようなら、異世界
水に吸い込まれるような感覚はほんの一瞬だけだった。
体にかかる水圧から解き放たれると、バシャ、という音を立てて二人は水辺に着地していた。
衝撃でよろける体は、とっさに拓海が支えて尻もちをつかずに済んだ。
取り囲んでいた水の柱は弾けるように消えた。
同時に歓声が湧き上がる。
智也達は光の泉の中にいた。
その周りを、神官達や民衆が取り囲んでいる。
歓喜に溢れる光景は、全ての儀式が無事に終わったことを実感させた。
割れんばかりの歓声の中で、拓海が何かを言っているが、智也には聞こえない。
指差す方向を見た。
「虹だ…」
頭上に大きな虹がかかっている。
神が二人を労うために架けてくれたような気がした。
二人が笑い合うと、さらに歓声は大きくなる。
耳が痛くなるほど大きな歓声に、二人は苦笑するしかなかった。
しばらくして、セイランがこちらへ向かってきた。
二人の前までくると、歓声が静寂に変わる。
そして、セイランは二人の前に跪いた。
「神子様方のご尽力により、この星は救われました。藍の星を代表して、心より感謝申し上げます」
セイランは立ち上がると、大勢の人々へ向けて言った。
「親愛なる神、そして神子へ、大いなる感謝を」
両手を上へ伸ばし、天を仰いだ。
セイランに続いて、その場にいる者全てが同じように天を仰ぐ。
突然、柔らかな風が吹いた。
そして、晴れているのに霧のような雨が降ってきた。
拓海と目を合わせると、自然と手を繋いだ。
(この星はもう大丈夫だ)
きっとこの雨は、神がこの星を見守っている証拠だと智也は思った。
雨に気づいた人々は再び歓声をあげた。
楽しそうに踊る者、口笛を吹く者、肩を抱き合って喜ぶ者、皆幸せそうだった。
宴のようなその光景は、暗くなるまで続いた。
離れ難い気持ちもあったが、いつまでも泉の中に立っているわけにもいかなかった。
セイランに先導され光の泉を離れると、智也と拓海はそれぞれの宮へ戻った。
右宮ではシュンラン達が涙を浮かべ、出迎えてくれた。
軽く湯浴みを済ませると、縁側に豪華な食事が用意されていた。
一度しか出来なかったお茶会の無念を晴らしたかったらしい。
「私のわがままでございます」
シュンランが照れたように言った。
食事は智也のためのものだったらしいが、せっかくだから皆で食べようと声を掛けた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
刻々と、別れの時間は近づいている。
「そろそろ、ご準備を致しましょうか」
シュンランが重たそうに口を開いた。
それを聞いた側仕え達が、寂しそうに片付けを始めた。
今夜、智也と拓海は元の世界へ戻る。
この星で生きていく、という選択肢もあったけれど、元の生活を投げ出すことは出来なかった。
智也は綺麗に保管されていた、召喚時の服に袖を通した。
と言ってもズボンはない。
今ではそのおかしな格好に、懐かしささえ感じられた。
「イリノ様、少しよろしいですか?」
着替え終わるとシュンランが躊躇うように声を掛けてきた。
「これを、お納め頂きたいのです」
手に持っていたのは、見覚えのある足輪だった。
「こんな貴重な物、受け取れないです!」
智也は慌てて首を横に振った。
いいえ、とシュンランが強い眼差しで言う。
「イリノ様とご一緒した日々はかけがえのないものでございました。生涯、忘れることはないでしょう。これは私の最後にして最大の望みでございますが、イリノ様にもこの星での日々を覚えていて頂きたいのです」
智也の手を取ると、掌に足輪を乗せた。
「この足輪を見て思い出してくださいませ」
そう言って足輪を握らせるように包んだ。
涙が溢れた。
「ありがとうございます。一生大切にします。俺からも、何か無かったかな…」
智也も何かを贈りたかった。
しかし、貴重な足輪の代わりに渡せるような物は持ち合わせていない。
あげられるものは、それしかなかった。
「本当に申し訳ないです。これしかなくって…これは俺達の世界でTシャツと呼ばれる服なんですけど」
着ていたものを脱いで手渡した。
「頂けません!このような貴重なお品を…」
「いや、足輪の価値に比べたらゴミみたいなもんなんです!これをもらってくれないと、後は…」
パンツしかなかった。
パンツに手を掛けると、シュンランが慌てふためいて、その手を抑えた。
「頂きます、私、ティーシャツを頂戴いたします!」
こうして、智也はパンツだけを纏った姿で元の世界に戻ることになった。
(いよいよか…)
神殿の前に着くと、側仕え一人一人を抱きしめて別れの挨拶をした。
涙腺が緩んだけれど、泣きじゃくる側仕え達が予想通りの反応過ぎて笑ってしまった。
「イリノ様の御幸せを、私共は心よりお祈りいたします」
シュンランが目を赤くして言った。
「皆のこと、一生忘れません。俺も、皆がずっとずっと幸せでいてくれることを願ってます…本当に、本当にありがとうございました」
深く礼をした。
いつの間にか智也も大粒の涙を流していた。
大きく手を降り、神殿の扉を開く。
静寂に包まれた神殿に、拓海とセイランだけがいた。
「どうしたんすか、それ…」
「色々あって」
パンツしか履いていない上に泣きじゃくっている男を、拓海が呆れたように見ている。
セイランは二人のやりとりを微笑みながら見ていた。
「カジタ様、イリノ様、この度は誠にありがとうございました。お二方の御力で、土は潤い、河川の水は豊かになりました。この星を救っていただいたこと、後世まで語り継いで参ります。これからは、私共でこの星の再生に尽力致します」
セイランは深々と頭を下げると、二人へ握手を求めた。
「こちらこそ、ありがとうございました。この星の皆さんが幸せに暮らせるように、あっちで祈ってます」
「俺もです。ありがとうございました」
智也と拓海は、それぞれセイランの手をしっかり握り返す。
「有難いお言葉、皆にも必ずや伝えます。こちらはささやかではありますが、私共からの贈り物でございます」
セイランは傍らの机にあった、飾り彫りが綺麗な小さい箱をそれぞれに渡した。
「召喚に作用する可能性もありますので、あちらへ戻られてからお開けください。それでは、参りましょう」
セイランに連れられ、祭壇へ上がる。
「こちらでしばしお待ちください」
セイランは祭壇を取り囲む松明に、一つ一つ青い火を灯している。
智也達が立っている地面には円陣が記されていた。
それを見て、智也は不安な気持ちになった。
「元の世界に戻った時、実は夢でした、とかだったらどうしよう…」
「そうだったとしても、入野君には俺のこと好きになってもらいます」
自信あり気に言う拓海が可笑しくて、笑ってしまった。
不安はどこかへ消えた。
記憶が無くなったとしても、いつか必ず拓海と恋人になる運命なのだ、と思える。
セイランが祝詞を唱えながら円陣に神酒をかける。
円陣から、淡く青い光が放たれた。
「これで準備は完了致しました。このまま目を閉じて風に身を任せてください。鐘の音が鳴り止む頃、元の世界に到着しているはずです」
二人は目を閉じた、拓海がそっと智也の手を握った。
「それでは、お別れの時間でございます」
強い風が二人を包み始めた。
「偉大なる神の御子に感謝と祝福を」
その言葉を最後に、セイランの声は聞こえなくなった。
代わりに鐘の音が、大きく、ゆっくりと聞こえる。
繋いだ手のおかげか、不安は感じなかった。
体が浮いた。
鐘の音がだんだん遠ざかっていった。
*****
風が弱まり、鐘の音はもう聞こえなかった。
急に体に重力を感じ、地に足が着いた感覚がした。
(夢、じゃない…?)
智也は恐る恐る目を開けた。
「入野君、帰って来られましたよ」
拓海が嬉しそうに抱きしめる。
「本当だ…」
ほっとした。
全て現実だった。
もらった箱も手に持っている。
足にはシュンランの足輪があるし、服はパンツだけだ。
拓海が抱きしめてくれているのが何よりの証拠だった。
二人で無事に帰って来られたことを噛み締める。
「おつかれー。あれ?店長来なかった?」
突然ドアが開く音がして、部屋にバイト仲間が入ってきた。
バイト先のロッカー室にいることを忘れていた。
慌てて拓海と離れる。
「お、お疲れ!いや、見てないかな~、倉庫とか?」
「シフト相談したいんだよなー。倉庫行ってみるわ」
すぐに部屋を出ていってくれた。
安堵の溜息が出る。
「とりあえず服着てください」
急いでロッカーの中にしまっていたズボンを履く。
ズボンを履いたところで智也は大変なことを思い出した。
「Tシャツあげたんだった」
上半身裸のままでいるわけにはいかない。
仕方なく油の匂いの染み込んだバイト用のTシャツを着ることにした。
「…俺の家来ますか?服も貸せるし」
「え?」
拓海の家が近いらしい、というのは噂で聞いたことがあった。
「風呂も入れるし、ご飯作りますし、ご飯食べられますし、テレビ見れますし、エアコンありますし…」
「た、拓海君?」
いつになく拓海は饒舌だ。
「もらった箱の中身も確認出来ますし、思い出も語り合えますし…口合わせの儀も出来ます」
「いや、必死だな!」
智也の方が恥ずかしくなるほど、拓海が必死になっている。
つい照れ隠しで冷やかしたようになってしまったけれど、顔が熱くなるほど嬉しかった。
「…お邪魔させてもらおうかな」
そう言った瞬間、拓海の目が輝いた。
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
二人は顔を見合わせて笑うと、ロッカー室を後にした。
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