第12話 憧れの君と異世界へ 【おしまい】
肩に柔らかな髪があたる感触で目が覚めた。
朝に弱い髪の主からは、高い音の寝息が聞こえる。
その細い薬指には、指輪が光っている。
拓海と揃いの、藍色の石で出来た指輪だ。
(いまだに夢みたいだな)
あれから五年も経っているのに、朝起きる度に隣の存在を確認してしまう。
それだけ大切な存在だ。
夢であっては堪らない。
少しひんやりとする智也の体を抱きしめた。
ふわりと漂う香りが、拓海は好きだ。
普段香水はつけないが、この香りの香水が売っていたら買ってしまうと思う。
同じシャンプーやボディーソープを使っているはずなのに不思議だ。
(今日は智也も休みだから、また寝るか…)
拓海は再び眠りについた。
そして、夢の中では五年前の懐かしい記憶が呼び覚まされていた。
*****
「またあのおっさん、ホール覗いてたぞ」
「またすか…」
バイト先の同僚が拓海に声をかけてきた。
「あのおっさん」というのは、バイト先の居酒屋が契約している食品配送業者の担当者だ。
お気に入りのバイトがいると、鼻の下を伸ばしてスキンシップをとろうとする、気持ちの悪い中年男性だった。
「でも入野君、もうあがったらしいよ。良かった、良かった」
拓海もほっとした。
入野智也という先輩がその男のお気に入りなのだが、拓海としてはいつか襲われるんじゃないかと気が気でない。
本人は気づいていないのか、にこやかに対応するから厄介だ。
「そすか。じゃあ俺もそろそろあがります」
「えー!もうちょっと手伝ってよ」
「用事あるんで無理す」
用事があるわけではなかった。
ロッカー室に智也が居るかもしれない、と思うと早く切り上げたかった。
拓海は智也が好きだった。
恐らく初めて会った時から。
一目惚れのようなものだった。
居酒屋でバイトをしようと思ったのは、単に料理が好きだったからだ。
そして、家から近い居酒屋で、タイミング良くバイトの募集がかかっていた。
そこで出会ったのが、一つ年上の智也だった。
初めて見た時、こんなに清潔感がある男が存在するなんて、と驚いたことをはっきり覚えている。
髪はサラサラしているし、顔は整っているし、白い肌は最早透けているんじゃないかとさえ思った。
今まで出会った中で一番綺麗な人だった。
接していくうちに、どんどん好きになっていった。
くるくる変わる表情や、少し抜けているところ、ポジティブなところや、愛嬌があるところ、気がつけば目が離せなくなっていた。
しかし、自分とは全く違うタイプの智也に、近づくことは許されない気がした。
人気者の智也と、特に面白味のない自分が吊り合うとは思えない。
せっかく話しかけられても、上手く会話が出来なかった。
だから、次第に智也から話しかけられることが少なくなっていった時、寂しかったけれど、同時に安心した。
遠くから見ているだけで充分だった。
しかし、いつからか夢を見るようになった。
男を抱く、淫らな夢だ。
その夢はだんだん鮮明になって、ついにはその男の顔まではっきりと見えるようになった。
紛れもなく、智也の顔をしていた。
拓海には確かめたい事があった。
いつも夢に出てくる、智也の膝下にはホクロがあった。
これまで、夢というのは人の潜在意識が見せるものだと思っていた。
けれど、拓海は智也の膝下にホクロがあるかどうかなんて知らない。
もしかすると、正夢になるかもしれない、と淡い期待を持ってしまった。
急いでロッカー室へ行くと、智也がいた。
前に使っていたロッカーが壊れて、たまたま智也の隣に移ったことで、少し智也と話すことが出来た。
壊れたロッカーと、卒業したバイト仲間に感謝した。
嬉しさを堪えながら拓海が着替えていると、智也も着替え始める。
どうにかして足を確認できないか、と思ったけれど、こちらに背を向けられて見えない。
(話しかけてこっちを向いてもらうか…いや、着替え中に話しかけるのは…そもそも俺から話しかける話題がない…)
口下手な自分を恨む。
しかし、突然、智也のスマホが拓海の元へ滑り落ちてきた。
(ラッキー!)
幸運を神に感謝した。
そして、智也がこちらを向いた。
智也の膝下にはホクロがあった。
それから、どういうわけか「藍の星」という異世界へ召喚された。
驚いたけれど、智也と一緒にいられることで拓海のテンションはおかしくなっていた。
「ズボンは召喚してくれなかったんすね」とかいう全く面白くないことも言ってしまった。
このまま智也と一緒にいたら、自我が保てなくなると思った矢先、セイランという男からさらにとどめを刺すようなことを言われた。
神事をするために、神子として二人が選ばれたのだという。
しかも、その神事の内容が、にわかに信じ難いものだった。
正気なのか、と本気で思った。
智也も同じ心境だったと思う。
しかし、星の現状を見せられて智也の心は動かされた。
儀式をした方が良い、という結論に至ったようだ。
人の良い、智也らしい反応だった。
ただ、拓海にとって衝撃的だったのは、智也は同性が好き、ということだった。
さらには処女とも。
しかも、最初の相手は拓海でも構わない、というようなことも言っていた。
俺得でしかない。
ラッキースケベが過ぎる。
身に余る幸運に、なぜかため息が止まらなかった。
いざ神事が始まると、智也への気持ちは強くなる一方だった。
まず「誓合わせの儀」から、その神服姿に目を奪われた。
走馬灯を見るなら、智也の神服姿が良いと思うほど、美しかった。
「肌触れの儀」では反応がとてつもなく可愛かった。
全てが敏感で心配になるほどだった。
あれほどウブな反応は、最初こそ信じられなかった。
だから「口合わせの儀」でキスの経験がない、と言われた時には、大袈裟に反応してしまい、死ぬほど反省した。
基本的に人から嫌われても良いと思っている拓海だったが、智也だけには嫌われてたくなくて、人生で初めて弁明というものをした。
しかし、誤解が解けたのも束の間、拓海は心をへし折られることになる。
智也は年上が好きらしいのだ。
翌日、あまりに元気のない拓海の様子を見て、側仕えのネイランが声をかけてくれた。
ネイランが信頼出来る人物だというのは、その仕事ぶりからわかった。
無駄がなく、決断が早いところは、見ていて清々しい。
それに、兄のような眼差しで接してくれる温かさもある。
だから、拓海は相談してみることにしたのだ。
「ネイランさん。好きな人が年上で、その人に年上の人が好みだって言われたらどうします?」
「…関係ありませんね。聞かなかったことにして好きになってもらう努力をします」
「強いすね…」
普段、人に相談することはあまりなかったが、相談して良かったと心から思った。
ちょうど縁側に出ると、右宮に智也がいるのが見えた。
楽しそうに笑う智也を見て、愛しい気持ちが強固になる。
絶対に諦めたくない、と思った。
一気に心の澱がなくなった気がした。
それからというもの、拓海は積極的にアプローチした。
智也に好きになってもらいたい、という一心だった。
しかし、その想いが溢れすぎて暴走してしまった。
「角合わせの儀」であまりにも夢中になってしまい、予定にはなかったキスをしてしまったのだ。
翌朝、泉が枯れたと知った時にまず脳裏に浮かんだのがそのことだった。
セイランに相談すると、すぐに調査をしてくれることになった。
光の泉で見た時の、智也の心配そうな表情が頭から離れない。
もう二度と智也にあんな表情をさせたくない、と思った。
だから、拓海に出来ることはないかセイランに尋ねると、「神の滝」について教えてくれた。
「角吸いの儀」を始める前、暴走したことが泉が枯れた原因かもしれない、と智也に伝えると慰めるように元気付けてくれた。
どんどん智也への愛情が募っていく。
「神の滝」のことは伝えなかった。
もし、明日の朝も枯れたままなら、拓海一人で行こうと思ったのだ。
優しい智也はきっと自分が行くというに違いない。
智也を危険な目に合わせたく無かった。
翌日も光の泉は枯れたままだった。
さらには、民衆の暴動が起こって神の丘は騒然としていた。
智也を残して行くのは心配だった。
せめて、智也の警備を厳重にしてもらおうとネイランに頼むことにした。
「入野君にもしものことがあったら、俺、何するか分からないです」
「大丈夫です。イリノ様のことを慕っているのはカジタ様だけではございませんよ…もしものことがあったら、不届者は肉片の一つも残らないでしょうね」
恐ろしいほど安心した。
それと同時に、異世界でまで人たらしを発揮する智也が心配でならなかった。
神の滝へ行くのはそれほど大変なことではなかった。
人が少ない僻地で学生生活を送ったから、部活を掛け持ちして一通りのスポーツの経験があり体力は問題ない。
山道も通り慣れている。
今まで地方出身はハンデだとしか思っていなかったけれど、意外なところで役に立った。
神の滝へ続く道は、これまで見たことがないほど、美しい景色にあふれていた。
智也と一緒に見るまでは、何が何でも死ねない、と思った。
目的の滝を確認し、その水の豊かさから問題はないと思った。
ただ、大雨になりそうな気がした。
確信は持てない。
なんとなく、という程度のものだが、大雨の前のような息苦しさを感じた。
帰りはとにかく急いで帰った。
早く智也に会いたい。
それに帰ったら「仮交わりの儀」がある。
いよいよ本番に近づいているのに、もたもたしてはいられなかった。
帰って智也が無事だということを確認して心から安心した。
その後、セイランから怒涛の質問攻めにあった。
神の滝について記されている資料は少ないらしい。
神子しか立ち入れない場所だから仕方ないと思うが、それ故にセイランの研究者魂に火がついたようだった。
それが終わると、急いで湯浴みして身だしなみを整え、夜宮へ急いだ。
扉を開けると、智也は泣いていた。
心配させないように、と思ってしたことが完全に裏目に出ていた。
しかし、泣くほど心配してもらえたことが嬉しかった。
泣いてもらえるほどの存在になっている、という事実は、拓海を期待させるには充分だった。
今夜の儀式を終えたらこの想いを伝えよう、と思った。
恥ずかしくて素直に伝えられなかったけれど、なんとか恋人にさせてもらえた。
いつまでも浮かれた気分のままでいたかった。
けれど、まさか嵐が来るとは思わなかった。
翌朝、ネイランから起こされるまで全く外の異変に気付かなかった。
神の滝へ行ってすぐ儀式を行ったからか、疲労が溜まっていたようだ。
この音の中でよく眠れたものだと思うほど、嵐の勢いは凄まじかった。
危険を感じた。
セイランに知らせなければ、とネイランに言うと驚くような返事が返ってきた。
「すでにイリノ様の助言により、避難命令が出ています。一足遅うございましたね」
ネイランはニヤリと笑った。
どうも、拓海の側仕えは煽り癖があるらしい。
何の役にも立てなかった自分をもどかしく思ったが、同時に智也を誇らしく思った。
「カジタ様に今出来ることは、本日の儀式の準備でございます。さあ、宮へ戻りましょう」
それから、「交わりの儀」についての手順を教わったが、教わったことを忠実に守ったかと言われると守っていない。
理性は序盤で消え失せた。
いつの間にか神事だということを忘れて、恋人同士がするように体を重ねた。
重ね過ぎてしまった。
朝になり、光の泉の水が戻っていた時は安心した。
「交わりの儀」でだいぶ無茶をしたせいで、神が怒っているんじゃないかと密かに懸念していたが、神は大目に見てくれたのかもしれない。
初めて体を繋ぎ合わせたのだから、本当は夜宮でずっといちゃいちゃしていたかったが、そうもいかなかった。
「結合わせの儀」を行うために、神の滝へ向かわなければいけなかったが、智也の足腰は立たない状況だった。
智也を背負って行くことになり、智也は心配していたけれど、拓海にとっては密着できるご褒美タイムとしか思えなかった。
二人で見る様々な景色は、一人で見た時よりも色鮮やかに映った。
初デートが異世界だなんて、奇跡だ。
もはや神事というよりピクニック気分だった。
そして何より、最後の神服。
白地の布はもう婚礼衣装だった。
大好きな智也と結婚式を挙げているようで、感極まった。
二人で生きていきたい、と強く思った。
神の滝の中へ飛び込むことも、智也とだったら何の不満も無い。
このまま、二人で滝に溶けても良い、と思いながら、拓海は飛び込んだのだった。
そして、気がつくと光の泉にいた。
神官たちの他に民衆まで出迎えてくれたのは、驚いた。
空に架かった虹は二人を祝福しているとしか思えなかった。
(一生、入野君を愛そう…)
拓海は密かに虹に誓った。
そして、神事は無事に終わった。
夜更けに「藍の星」での不思議な生活は終わりを迎えた。
側仕え達は皆寂しがってくれた。
特に、ネイランは贈り物まで用意して、別れを惜しんでくれた。
その贈り物が香油だったのが、ネイランらしい。
神殿にはセイランしかいなかった。
「戻られてしまうのは寂しい限りです。この星の者、特に側仕え達は、神子様方に残って欲しいと願っておりましたから」
セイランが寂しそうに言った。
「俺も、こんなに寂しくなるとは思いませんでした。でも、ここに残ったらいつまでも夢を見ているような気がすると思うんです。俺は、現実だっていう確証が欲しい。だから、帰ります」
拓海は、自分に言い聞かせるように言った。
セイランは納得したように頷いていた。
しばらくして智也がやってくると、泣いているわ、パンツしか履いていないわで、追い剥ぎに遭ったのかと思ったけれど、そうではなかったようで安心した。
智也はいつも拓海を驚かせてくれる。
一緒に過ごす未来が明るいものだと思わせてくれる。
もし、藍の星での日々が夢だったとしても、拓海はバイト先の後輩として、また一から智也に好きになってもらおうと思っている。
何が何でも手離せない。
それくらい、智也のことが好きになっている。
円陣の上に二人で立ち、目を閉じる。
智也の手を握ると、握り返してくれた。
強い風が二人を包み、門出を祝うように鐘の音が鳴り響いた。
*****
懐かしい夢を見ていた気がする。
「拓海、朝ごはん作ったよ」
日の光に照らされて煌めく髪が眩しい。
寝ぼけた目には、輪郭しかわからないけれど、それが、最愛の人だとすぐにわかる。
「コーヒー淹れたけど、まだ寝る?」
寝るわけがない。
愛しい人の作る、淹れたてのコーヒーほど美味しいものはない。
「頭痛いかも」
嘘だった。
拓海はこういう時は平気で嘘を吐ける。
「大丈夫?熱ある?」
額に手を伸ばそうとした智也の手を掴んで、ベッドに引き摺り込んだ。
「嘘ついたな!?最低!」
最低と言われて嬉しく感じるのは、智也だけだ。
ガッチリと体を抱きしめて、キスの雨を降らせる。
顔や首、腕や手、それから左薬指の光る石。
一通りすると、掌が顔にぺチリと当たった。
「コーヒー、冷める!」
拓海を叱ると、ぷりぷりしながら寝室を出ていった。
その耳が赤くなっているのが、最高に愛おしい。
自分の薬指に光る指輪を見る。
青く光りを放つ石。
藍の星を離れる時にもらった贈り物だ。
「現実だという確証が欲しい」と言って戻ってきたけれど、いまだに確証は得ていない気がする。
夢のように幸せだ。
これからも毎日、この確認作業はやめられないと思う。
それで良い。
毎日確認して、毎日幸せを実感したい。
「たーくーみー!コーヒー!」
愛しい人が怒っている。
幸せを噛み締めながら、拓海は急いで寝室を出た。
【おしまい】
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