第10話 八日目、結合わせの儀
水が跳ねるような音がして目が覚めた。
寝ぼけた視界は湯煙で霞んで、すぐには夢か現実か判断出来なかった。
「少し眠ってましたね」
頭の後ろの方から声がした。
心地よく響く拓海の声。
智也は、拓海に背中を預けて入浴している最中だった。
「ごめん、寝てた」
出してみて分かったことだが、声は思った以上にかすれていた。
「いや、俺のせいなんで」
拓海の手が許しを乞うように、智也の肌を撫でた。
確かに拓海のせいだった。
最早、何回致したか覚えていない。
最後の記憶は「もうさすがに何も出ない」と言って入浴することにしたはずなのに、いつの間にか浴場で繋がっていたところで終わっている。
体の栄養が全て吸い取られたかのように、力がでない。
どこの関節も動かせる気がしないほど、体は疲れきっている。
まさかこんなに激しい初体験になるとは思わなかった。
(あの夢、だいぶ端折られてたな)
毎晩見ていたあの夢は、神からの啓示か予知夢みたいなものだと思う。
ただ、序盤も序盤のシーンだけだった。
あの夢の続きがこんなにも衝撃が強いものだったとは、夢にも思わなかった。
智也はつい、笑ってしまった。
「どうしたんですか?」
「いや、夢も規制とかあるのかなって」
拓海は首を傾げた。
「よくわからないですけど、笑う元気があって安心しました」
どうやら智也を心配していたらしい。
大事なものを扱うように、そっと抱きしめられた。
「そういえば、今何時くらいなんだろう?」
「さっぱりですね…そろそろ出ましょうか」
そうしよう、と立ちあがろうとした智也だったが、案の定自力では立てなかった。
「自分の体がこんなに重いなんて知らなかったよ」
「…ほんとすみません」
少し意地悪を言ってみた。
しょげながらも体を支えてくれる拓海が愛おしかった。
浴場から出る扉を開けると、窓辺を塞いだ戸の隙間から眩しいほどの光が差していた。
もしかすると、と慌てて窓辺に行こうするが足元がおぼつかない。
拓海が急いで智也を抱きかかえ、窓辺へ向かう。
戸を開けると、眩しさで目がくらんだ。
智也は歓喜で震えた。
「戻ってる…!」
朝日に紛れて、辺り一面がキラキラと輝いていた。
光の泉は、激しい水飛沫を上げながら空高くまで噴き出している。
二人は顔を見合わせた。
「良かった!本当に良かった…!」
拓海に力いっぱい抱きついた。
拓海も智也を強く抱きしめる。
しかし、いつまでも喜んでいる場合ではなかった。
「入野君、急がないとやばいかも」
「そうだった…」
二人は次の儀式を始めなければいけなかった。
*****
「本当に大丈夫?」
「大丈夫ですって。あ、その神服が入った袋は背負ってもらって良いですか?」
「わかった。他に忘れ物ないよね?」
「たぶん大丈夫です。行きましょう」
智也は十数年ぶりにおぶわれた。
夜宮の地下にある隠し通路から神の滝へ向かうためだ。
「ごめん、重いよね」
「いや、小学生の低学年くらいの重さじゃないですか?」
「さすがにそれはないよ…」
小柄とはいえ成人男性だ。
しかし、重いはずなのに拓海の足取りには安定感があった。
逞しい背中にくっ付いていると、微塵も不安を感じない。
「交わりの儀」から「
交わりの儀を終えた神子達はそのまま、遠くはなれた神の滝へ行かなければいけない。
最後の神事の舞台が、神の滝だった。
神の滝へ行ったことがある拓海は頼もしかった。
迷いなく突き進む姿は、格好良すぎて大声で叫びたくなる。
長い地下通路を抜けると、岩山が見えた。
見上げるほどの高さの山の麓には洞穴が見える。
そこに近づくと、暗かった洞穴の内部に青い松明の火が灯った。
その明かりがあっても、先が見えづらい。
一人だったら怖気付きそうな雰囲気だ。
「拓海君、ここを一人で通ったんだね…ありがとう」
申し訳ない気持ちや有難い気持ちで胸が一杯になる。
「そうですね。もうすぐ交わりの儀だぞ、と思ったら頑張れました」
「なんだそれ…」
冗談だか本気だかわからない言葉に、智也は耳を赤くした。
しばらく歩くと、先に自然の光が見えた。
洞穴の出口が近いらしい。
「この音、もしかして…」
「そうです。滝の音」
かすかに水の音が聞こえた。
神の滝に近づいている、という実感がわいた。
洞穴を出ると、予想していなかった光景が広がっていた。
「森だ…」
この星にこれだけ緑の溢れた場所があるとは思わなかった。
見たことのない木や花、鳥のような動物がそこに生きている。
「驚きました?でもそのうち、もっと驚きますよ」
拓海が楽しそうに言った。
拓海がそう言うくらいだから、きっと凄いんだろう、と期待で胸が高鳴る。
湿度の高い森は、地面が泥濘んでいて、木の根がさらに足場を悪くしていた。
「拓海君、そろそろ自分で歩けそうだから降ろしてもらって良いかな?」
「いや、転ぶ未来しか見えないんでダメです。もうすぐ森抜けるんで、じっとしててください」
確かに転ぶと思う。
智也は良いが、背負っている神服が汚れてしまうのはいただけない。
拓海の言葉に素直に従うことにする。
森の中を進んでいると、一際巨大な木が目の前に現れた。
根本には扉があり、拓海が手をかざすと鍵が開いたような音がした。
「今の魔法?すごくない?さっき言ってた驚くやつってこれ?」
「いや、日本にもあるでしょ、自動ドア。それと同じじゃないですか?原理はわかんないけど。あと、驚くやつはこれじゃないです」
扉を開けると、中には石段が果てしなく上まで続いていた。
「さすがに降りるよ。自分で登る」
「その細っこい足で登れます?」
「し、失礼だな!拓海君より速く登ってやる!」
最初は二段飛びで登っていた智也だったが、途中から息切れし始めた。
後ろにいたはずの拓海が、いつの間にか並んでいる。
まだ石段は中腹くらいだろうか。
智也は焦りを感じていた。
「置いて行っちゃいますよ」
拓海が智也の手を取った。
智也の手を引っ張って、登る手助けをしてくれる。
「優しいなぁ、俺の彼氏は」
結局、拓海は優しい。
拓海は黙って登っている。
智也は顔がニヤけるのを抑えられなかった。
拓海の助けもあって、石段の頂上が見えてきた。
石の扉が見える。
その扉の前にある踊り場で、一旦休憩することになった。
冷たい石の上に体を投げ出す。
疲れが溶け出るようで気持ち良かった。
「着替えなきゃいけませんね」
「そうだった」
智也は疲労ですっかり忘れていた。
袋から神服を取り出し、拓海の分を渡す。
「藍色じゃないんだ…」
手に取った神服は白かった。
純白の布地に青く光る糸で刺繍が施されている。
刺繍の模様に見覚えがあった。
セイランから見せてもらった神託の石版に記されたものと同じだ。
来ていた服は袋にしまい、神服を纏う。
着るのに手間取ったが、なんとか形になった。
「綺麗です、本当に」
いつの間にか拓海が見ていた。
「…拓海君こそ。格好良いよ」
拓海の日に焼けた肌に、白色が映えている。
最後の儀式に相応しい、神聖な雰囲気が漂う。
「行きましょうか」
「うん」
二人で石の扉の前に立つ。
扉は重たい音を立てて、左右に開いた。
(うわぁ…)
本当に美しいものを見ると、言葉は出なくなるらしい。
岩で出来た洞穴の中は、青い光で輝いていた。
光を放つ石が、星空のように瞬いている。
「入野君と一緒に見られて良かった」
拓海が微笑んでいた。
驚くやつ、というのはこのことだったらしい。
「こんな綺麗なもの、初めてみた…」
しばらく立ったままだった。
この景色を目に焼き付けるように、瞬きを忘れて見ていた。
「足が動かないね」
「抱っこしましょうか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
まだ儀式は終わっていない。
きっとこの洞穴の奥には滝がある。
水の流れ落ちる音が近い。
「行きましょう」
青い光の中を二人で歩く。
淡いその光は何かに似ていた。
濡れた地面が続いている。
進んでいるうちに、次第に足元の水の量が増えていった。
とうとう水位が膝下辺りまで増えてきた。
進む速度が遅くなる。
足を動かす度に、弾けるように空気が輝く気がする。
「もしかして、この石が泉が光る元?」
「たぶん、そうでしょうね」
今いる岩山は光る石で出来ているらしい。
不思議な水だと思っていたが、この石の成分があの輝きの元になっているとわかって納得した。
水をかき分けるように歩いていると、前方から日の光が差し込んでいるのが見えた。
進むうちに眩しさが強くなる。
水の音も大きくなった。
轟音と言っていいほどの音が、滝が近いことを教えてくれている。
「段差があるから気をつけて」
「ほんとだ」
光に目が眩んで足元に目が行ってなかった。
一人だったら絶対に転んでいた。
足元に気をつけながら進むと、肌に細かい水の粒が当たり始めた。
「着きましたよ」
「これが神の滝…」
厳かな存在感を放つ、巨大な滝が目の前にあった。
天に届くほど高い山から、豊かな水量が優雅に流れ落ちている。
滝壺は、青い光を放っていた。
細かい飛沫が空気中に漂って、肌に優しくまとわり付く。
智也達を祝福するかのように、光が満ちている。
「たぶん滝の裏に祭壇があるはずです」
拓海も祭壇に足を踏み入れるのは初めてらしい。
今日の儀式まで入ってはいけないと、セイランから伝えられていたそうだ。
滝壺の端を歩いて、滝の裏にまわる。
滝のカーテンで隠されていた場所には、目を見張るほどの荘厳な祭壇があった。
「これは…」
「すごい…」
白い石造りの大きな祭壇は、細かい彫刻が全体に施されていた。
一体何年がかりで作られたのか想像も出来ないほどの装飾に、体が震える。
祭壇の中央には青く光り輝く鐘があった。
近づくと、同じように輝く鐘を鳴らす撞木のような棒がある。
「始めようか」
「そうですね」
二人は鐘の前に跪き、深く礼をした。
棒を二人で持ち、息を合わせて鐘を叩く。
祭壇に、静かに低い音が鳴り響いた。
一度叩いただけなのに、その音は長い時間空気を振動させている。
棒を元の場所に戻すと、手を繋ぎ滝へ向かった。
いつの間にか流れ落ちる滝の水量が増えていた。
祭壇にも大量の水が流れて込んでくる。
流れに逆らうように足を進める。
拓海の手を握る右手に力が入る。
それ以上に強い力で智也の手は握り返された。
滝の中に青い光の輪が見える。
不思議と不安な気持ちはなかった。
拓海となら何でも出来る気がする。
二人は顔を見合わせて頷く。
同時に滝の中へ飛び込むと、抱き合い、唇を重ねた。
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