第7話 五日目、角吸いの儀
貸してもらった足輪が冷たくなる前に目が覚めた。
外はまだ暗い。
いつの間にか拓海の腕枕はなくなっていたが、それは智也の寝相が良くないせいだろう。
一晩中だと腕が痺れるだろうから、結果的には良かったのかもしれない。
拓海は割と熟睡出来るタイプのようだ。
智也が起き上がっても、寝息の健やかなリズムは乱れない。
起こさないようにそっと布団を出る。
最後にちらりと拓海の寝顔を見た。
(無防備すぎるよ…)
体の中から愛おしさが溢れ出しそうだ。
叫びたくなる気持ちを抑えて、急いで寝室を出た。
階段を降りる足が軽い。
夜宮から出る最後の扉を開けると、シュンラン達はまだ来ていなかった。
「起きるの早過ぎたかな?」
物音一つしない隠し通路で待っていると、どことなく違和感があった。
外が異様なほど静かだ。
いつもなら光の泉の湧き出る水の音や、昨日は雨の音もしていた。
なのに、今はその音がない。
不安を感じ始めた頃、早足で近づく足音が聞こえてきた。
シュンラン達だった。
いつもと違う様子に、さらに不安が募る。
「遅くなり申し訳ございません」
心なしか皆の顔色が悪い。
「何かあったんですか?」
朝の挨拶をする余裕もなく尋ねる。
一瞬、逡巡する様子を見せたシュンランだったが、意を決したように口を開いた。
「…光の泉が枯れました」
*****
(どうしちゃったんだろう…)
昨日とは違う景色に、智也は胸が抉られたような気持ちになった。
泉の様子が気になって、無理を言って光の泉の近くまで来させてもらった。
昨日まで噴水のように湧き出ていたはずなのに、今では湿っている土が露わになっている。
雨が降り続いていたはずなのに、急にこのようなことになるなんて、誰しもが予想していなかった。
今日もするはずだったお茶会は中止になってしまった。
中止と決まった時の側仕え達の悲しい表情は見ていて心が痛かった。
智也も同じくらい楽しみにしていたからだ。
セイランが他の研究者達と共に難しい顔をしている。
その表情から、深刻な状況であることが分かる。
「これは、儀式に失敗したってことなんでしょうか…?」
「いえ…それはないかと思われます。毎回、儀式が終わった後は一瞬泉の光量が増えるのですが、昨夜もその現象は確認されています」
智也は安心した。
一番気掛かりだったのは、その点だったからだ。
手順通りに進めたことは、自分達がよく分かっているが、証明の仕様がない。
光の泉だけが証拠のようなものだ。
「しかしながら、昨日はいつもとは異なる光り方だったようで…それが関係しているかどうかは今のところ何とも言えませんが」
儀式が終わる時は浴場にいたから気づかなかった。
異変があれば、すぐに気づいていたかもしれない。
「セイラン様」
慌てた様子の役人が走ってきた。
「河川管理官から報告がありました。河川や地下水量も急速に減っているようです」
「昨日まで順調に増えていたのにか…」
地下水が無くなるということはこの星に住む人々の生命に直結する。
嫌な焦りが智也の中に生まれた。
「イリノ様、不要な心配はお体に良くありません。そろそろ右宮に戻りましょう」
シュンランが言った。
きっと智也が不安気な顔をしていたからだろう。
「心配してくれて、ありがとうございます」
シュンランの柔らかな微笑みが心に沁みる。
光の泉から離れようとした時、遠くから数人歩いてくるのが見えた。
拓海と側仕え達だ。
「日中の神子様同士の接触はよろしくありませんので、あちらから参りましょう」
夜宮以外の場所では、見るのは良いが話したり触れたりするのは禁忌らしい。
帰るルートを変更することになった。
出来れば拓海と何でも良いから言葉を交わしたかった。
それが今の智也にとって、一番の精神安定剤に違いなかった。
せめて視線だけでも合わせたい、と振り返ると、拓海と目が合った。
智也を心配しているように感じたのは気のせいだろうか。
拓海の姿が見えなくなるまで、智也は目を逸らさずにはいられなかった。
*****
結局、夜になっても光の泉に水が戻ることはなかった。
隠し通路を無言で歩く。
日中、シュンラン達は散々気を遣ってくれた。
智也もそれに応えて明るく振る舞った。
しかし、気持ちが上昇しないのは、やはり心のどこかに不安があるからだろう。
(もし、明日も水が戻らなかったら…?)
嫌な予感がしてかぶりを振る。
考えても仕方ないことを考えてしまうのは、良くないと自分でもわかっている。
(とにかく、俺は儀式に集中しよう)
両頬を叩いて気合いを入れる。
シュンランが気遣うような眼差しを向けている。
いつの間にか夜宮に到着していた。
「では、行ってきます!」
心配させないように、自分自身を奮い立たせるように、大きな声で智也は言った。
最後の扉を開けると、すでに拓海が居た。
昨日と同じ格好だから、目のやり場に困る。
なんとなく視線を逸らして挨拶した。
「儀式始める前に、少し話しても良いですか?」
「うん」
きっと光の泉のことだと思った。
「すみません。泉の件、俺のせいかもしれないです」
「え!?どうして」
確かに泉についての話題ではあるけれど、突然の告白は智也を混乱させた。
「昨日の儀式の途中、俺、余計な事しました。本当にすみません」
「余計な事…?」
思い返してみても、濃厚な内容だったことしか頭に残っておらず、余計な事が何を指すのか全くわからない。
「キスしたの、覚えてますか?」
智也は思い出して赤面した。
あの時は頭がぼうっとしていたが、キスしたことはしっかり記憶に残っているので頷いた。
「…キスは作法に含まれてないんです」
「え?」
出し神子と受け神子の作法は、それぞれの宮で別々に教わることになっている。
役割が違うこともあって、教わる作法は異なると聞いた。
だから、キスになんの違和感も抱かなかったし、むしろ脳が蕩けていた智也にとっては気持ちの良い行為だった。
「勢いでやりました。すみません」
「いやいや!拓海君のせいじゃないよ。だって、俺もノリノリだったし…」
言ったそばから、また顔が赤くなる。
(ノリノリとか言っちゃったよ!)
間違いなく本音だったが、いい加減思ったことを口走る癖を治したい、と心から思う。
しかし、拓海は気に留めなかったのか、珍しく沈痛な面持ちだった。
その落ち込み様をなんとかしなければ、と智也は精一杯明るく言った。
「それが原因かはわからないんじゃない?俺達はしないといけないことはちゃんとしたわけだし。それに、やっちゃダメとは言われてないし、ね!」
拓海の逞しい肩を強めに叩く。
「とりあえず今日の儀式は作法通りにやってみて、様子をみてみよう!」
ほら、と拓海の手を引いて鈴を鳴らしに行く。
拓海が一瞬何か言ったような気がしたが、聞き取れなかった。
(ここは、年上として腕の見せ所だ。俺が頑張らないと…!)
しかし、その意気込みは長くは続かなかった。
*****
「ちょっと待って、拓海君、待って」
「さっきから待ってますけど。もう少し腰下げられませんか?」
智也の目の前には、拓海の大事な部分がある。
智也は、仰向けになった拓海の上に四つん這いになっていた。
(無理だ!恥ずかしすぎる…!)
この格好になるまでにも三十分ほど時間を要した。
この期に及んで、この体位がこんなに恥ずかしいものだとは思ってもみなかった。
今夜の儀式は互いの中心を口に含む。
智也としては、いつかはしてみたい憧れの行為の一つだった。
経験はなくても、想像はしたことがある。
もしかしたら、拓海を気持ちよくさせることが出来るかも、と意気込んでいた。
それに、自分が率先して行為に及ばないことには、嗜好がストレートである拓海には厳しい内容だと思われた。
だから、リードするくらいの気持ちでいた。
それなのに、蓋を開けたら今の状況だ。
「もう始めますね」
「あっ」
返事をする間もなく、拓海に中心を握られた。
それだけで、快感が電流のように身体中を駆け巡る。
「また腰上がってます」
強引に腰を引き寄せられた。
智也の中心が、突然温かく、湿った感触に包まれる。
初めての感覚に心も体も追いつかない。
「あ、まって」
腰がびくびくと震えた。
しかし、拓海は待ってくれない。
智也の先端は拓海の口内で張り詰めている。
このままでは、自分だけが先に果ててしまいそうだった。
追い詰められた智也は目の前にある、昂ったそれを握った。
掌を上下に動かすと、さらに大きくなった。
間近で見ると、その立派な様相に惚れぼれする。
急に口の中の唾液が溢れて、それが欲しくなった。
味を確かめるように舌を這わせる。
男らしい香りが鼻腔をくすぐる。
根本から先端までを満遍なく味わった。
拓海のそれが小刻みに震えると、愛おしさが溢れた。
堪らなくなり、口一杯に含む。
一段と濃くなった香りは、智也の脳を酔わせた。
無我夢中で、舌と唇を動かす。
無意識に自分の腰も動いていたが、智也が気づくことはなかった。
顎の疲労感も、口から流れ出る唾液も、気にならなかった。
だんだんと終わりが迫ってくるのを感じる。
壊れた機械のように、頭を上下に動かす。
「んっ!」
先に智也の中心が爆ぜた。
意識が遠のく最中、智也の口内に苦味が広がった。
拓海も果てたようだ。
初めて口にしたその味を飲み込む。
もっと味わいたくなって、拓海の先端を掃除するように舐める。
硬さを失ったそれが、堪らなく愛おしく思えて、いつまでも舐めていたいくらいだった。
「あの…もう勘弁してください。勃ちそうなんで」
「ご、ごめん!」
慌てて手と口を離す。
ずっと四つん這いだったことも思い出し、拓海の上から退いた。
まだ心臓がバクバク鳴っている。
肘や膝が痺れるように痛い。
こんなに体力を消耗する行為だとは知らなかった。
息も上がったままだ。
布団のひんやりとした肌触りが心地よい。
目を閉じると少し落ち着いた。
心拍数がだんだんゆっくりとしたリズムに変わっていく。
このまま眠ってしまいたいと思った。
「寝ないでください」
拓海が小さな器を持ってきていた。
口直し用の酒だ。
「ありがとう」
そんなものがあることをすっかり忘れていた智也は、また不甲斐ない気持ちになった。
しかも、拓海はわざわざ器を智也の口元まで持ってきて、流し込もうとしてくれている。
至れり尽くせりだ。
強い酒は喉元を流れていく。
一瞬にして頭がふわふわとする。
酔いに乗じて、気になったことを口にした。
「あのさ…痛くなかった?」
歯が当たらないようには気をつけたつもりだ。
ただ、途中からほぼ記憶がない。
もしかしたら苦痛だったかも知れない、と思うと申し訳ない。
「大丈夫です。というか…上手かったです」
「嘘!?俺、上手かった?」
一気に気分が上昇した。
「思ったよりって話です。何でそんなに嬉しがってるんすか」
拓海が冷めた目で見ている。
「だって、今まで散々イメトレしてたからさ。初めてのわりには上出来だったんじゃない?って自分で言っちゃったけど…」
またしても口が先走る。
口にチャックどころか南京錠でもつけたいくらいだ。
「初めてですか…ていうか、俺のは痛くなかったんですか?」
「…めっちゃ、良かったです」
拓海に聞かれて、あの感覚が瞬時に蘇って赤面する。
あんなに気持ちの良い思いはしたことがなかった。
「なんで敬語なんすか。まぁ、気持ち良かったならいいですけど」
拓海は照れているようだ。
「というか、まだ鈴鳴らしてないですよ」
「うん…そろそろ行く?」
「いや、もう少しゆっくりしましょう」
なんだそれ、と智也は笑った。
てっきり催促かと思ったが、拓海も休みたいらしい。
「ちょっと肌寒いんでくっついて良いですか」
返事をする間もなく、突然背中から抱きしめられた。
一気に心拍数が早くなる。
拓海は体温が高いのか、触れられたところが温かい。
きっと智也の体の方が冷えているはずだ。
甘えられたようで、腹の奥がなんだかむず痒い。
嬉しさで顔がにやけそうになるのを、必死で耐えた。
しばらく、拓海の体温に包まれながら横になっていた。
「そろそろ行きましょうか」
「そうだね」
どちらからともなく手を繋いでいた。
拓海と距離が近くなったのは確実だ。
嬉しい反面、きっとこの距離感はこの星にいる間だけのものなんだろう、と現実的な考えも智也の中にはあった。
それでも、今繋いでいる手の温かさは忘れたくないと思った。
浴場に入り、湯煙をかき分けて鈴を鳴らす。
泉の水が戻るように願いを込めた。
その願いが神に届くかどうかはわからないが、届くように念を送る。
「光の泉、どうなってるかな」
儀式が終わり、湯に浸かりながら智也は呟いた。
「ここは昨日と変わりないですね」
拓海が湯を掬いながら言った。
拓海の側仕えによると、この湯は儀式用に貯めてあった泉の水を温めて使用しているらしい。
外の世界は水不足で困っているのに、ここには浴槽から溢れるほど湯がある。
身に余る贅沢をさせてもらっているからには、儀式を成功させたい、と心から思う。
両手で湯を掬ってみる。
掌の中で不思議に光り輝く湯を見ていると心が和んだ。
光の泉が、この星の人々にとってなくてはならないものだというのも頷ける。
「ゆっくりしてて良いですよ。今日は俺が寝室準備します」
「えっ、良いよ!俺がする」
拓海が浴槽から出ようとするのを阻止すべく、智也も湯から上がろうとした。
「ダメです。ゆっくりしてください」
「おわっ」
両肩を強い力で押さえられ、湯に戻された。
「入野君は体温低いんだから、しっかり温まってください」
そう言って浴場を後にした。
均整の取れた逞しい背中を見送る。
(かっこいいぃ)
湯に顔をつけて、にやけ顔を封印した。
けれど息が続かなくてすぐに顔を上げる。
(この気持ちはもう…)
触られるとドキドキしたり、考えると体の奥がムズムズするのは、きっとそれしか考えられない。
(好き、なんだろうな)
まさか、異世界に召喚されて、拓海のことを好きになるなんて思ってもみなかった。
元の世界では、拒絶されていると思っていたけれど、それは思い違いだった。
この世界で一緒に過ごすうちに、拓海の誠実さや優しさが身に沁みてわかった。
拓海のような人を好きにならない方がおかしい、とさえ思う。
長い時間湯に浸かっていたら、指がふやけた。
拓海が心配するかも、と急いで湯から上がって体を拭き、寝衣を着る。
浴場から出ようとした時だった。
「うわっ!」
拓海が扉の前にいた。
驚いてよろけたところを、体ごと抱えられる。
「すみません、遅かったから大丈夫かなって思って」
拓海が申し訳なさそうな顔をしていた。
予想通りの行動に思わず笑ってしまう。
「ごめん、ごめん。ていうか心配性だよね、拓海君」
拓海は、照れたように目を逸らした。
浴場を出た後も智也の体を支えるように手は触れたままだった。
大きな手は智也の背中に添えられている。
温かくて、硬くて、厚い、信頼出来る手だ。
いつまでもその手に触れられていたかったのに、すぐに布団が敷いてある場所まで着いてしまった。
「ありがとう。布団の準備も。…?」
てっきり離れると思った手はまだ添えられたままだ。
智也が不思議に思っていたときだった。
「また髪濡れたままじゃないですか。心配性ついでに拭かせてください」
濡れた髪にくしゃくしゃと指を通される。
今夜もまた髪を拭いてくれるらしい。
(好きだ。この指も、声も、優しいところもぜ全部…)
いつまでも髪が乾かなければ良いのに、と願いながら、智也は心地よい指の動きに身を預けた。
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