第4話 二日目、肌触れの儀
扉を閉めるような、かすかな物音がして、智也は目が覚めた。
仄暗い寝室にはわずかに日が差している。
布団の上にいるのは智也一人だ。
(そう言えば、今回は拓海君が先に寝室を出る番だったな)
儀式の翌朝は必ずどちらかの神子が、もう一人が目覚める前に退室することになっている。
明日は智也の番だが、寝起きの悪い智也が拓海より早く目覚める自信はない。
もちろん今も、もう少し眠っていたいと思うほど眠い。
体が重く感じるのは昨夜の酒が残っているせいもあるだろう。
横になっていると、昨日起きたことが次々と思い出される。
今ではもう、バイト終わりに召喚されたことが随分昔のことのように感じた。
目まぐるしい一日だった。
(あと六日であの儀式か…)
現実味があるような、ないような、不思議な感覚になる。
いまいち自分の事として考えられないのは目が覚めきっていないせいだと思い、とりあえず起きることにした。
起き上がった智也はぎょっとした。
「俺、ど真ん中で寝てた…!」
頭を抱えた。
それほど広くはない布団の真ん中に、堂々と寝ていたようだ。
拓海は左端で寝ていたのだろう、枕が寄っている。
(叩き起こしてくれて良かったのに!先輩として不甲斐ない…)
醜態を晒してばかりの自分が情けなさすぎる。
さらに、いびきをかいてなかっただろうか、とか、寝相は悪くなかっただろうか…と次々と不安が押し寄せてくる。
しばらくぐるぐると考えていた時だった。
外から声が聞こえる。
「イリノ様、おはようございます。お入りしてもよろしいでしょうか」
シュンランの声だ。
「ど、どうぞー」
シュンラン達が夜宮に入ってきたようだ。
「イリノ様、御体調はいかがですか?」
「ちょっとお酒を飲み過ぎちゃいましたが大丈夫です。ご飯、とっても美味しかったです。ご馳走様でした」
シュンランはほっとしたように微笑んだ。
朝からとても癒される笑顔だ。
そして、弾んだ声で言う。
「イリノ様、光の泉をご覧ください」
シュンランの年相応らしい表情を初めて見た。
なんだか嬉しくなって、つられて外を見る。
「水の量が増えてる…」
光の泉が噴水のように湧き上がっていた。
明らかに昨夜より水量が多い。
そういえば、目覚めた時から水の音が聞こえていた気がする。
「イリノ様のおかげでございます」
「え、そうなんですか?」
左様です、とシュンランは頷く。
他の側仕え達もにこやかに頷いている。
シュンランによると、光の泉はこの星の豊かさを反映しているらしい。
智也達が召喚される前は、泉とは呼べないほどの水の量になってしまっていたと言う。
それが、儀式をしたことによって一日でこの量だ。
今朝、この光景を見た大勢の人が喜びのあまり泣いていた、とのことだった。
「俺はただお酒飲んで盃沈めただけなんで、全く実感がわかないですけど…お役に立てたみたいで良かったです」
「なんて謙虚な…私共はイリノ様にお仕え出来て光栄でございます」
シュンランは涙をこらえているのか、目を赤くして若干震えている。
他の側仕え達は咽び泣いていた。
「わっ、泣いてるんですか!?どうしよ」
智也は泣いている人への耐性が全くなかった。
どうしていいかわからず、とりあえずシュンランの背中をさする。
「イリノ様、なんとお優しい…」
逆効果だったようだ。
シュンランの涙腺は崩壊していた。
側仕え達は、声を抑えるのを諦めたようだ。
智也は一人ひとり、順番に背中をさすって周ることになった。
指紋がなくなるのではないかと思うほど背中をさすった智也だったが、ようやく皆が泣き止んだ頃には外はすっかり明るくなっていた。
「…大変失礼致しました。さぁ、右宮へ戻りましょう」
まだ少しばかり鼻を啜りながらシュンランが言った。
*****
(一回の儀式だけでは全然足りないんだな…)
智也は人々が暮らす街を見下ろした。
光の泉には変化があったが、今見ている街は豊かになっているとは思えなかった。
険しい顔をしていたからか、護衛のノウランが口を開いた。
「河川管理官の報告によると、街に繋がる河川の水量が増えたそうです。近いうちに農作物や樹木にも良い影響が出るに違いありません」
強面の大男に断言されると、不安な気持ちを打ち消すような心強さがあった。
智也が来ているのは展望所だ。
今日の午前中はいわゆる「自由時間」らしく、しなければいけないことは特にないらしい。
それならば、と智也が希望したのがこの星を見学することだった。
昨日から智也達が滞在しているのは「神の丘」と呼ばれる、いわゆる聖域だ。
神官達が集まり、この星の政を担っている政府のようなところらしい。
その丘を降りたところに人々は暮らしている。
智也はこの荒れた星での人々の暮らしが心配だった。
せっかく異世界に来たのなら、その土地のことを知りたいと思ったのだ。
ただ、残念なことに神子が神の丘を降りるのは禁忌とされていて、セイランから丁重にお断りされてしまった。
予想の範囲内ではあったので、智也としては少しがっかりした程度だっだが、代わりに提案してくれたのが展望所へ行くことだった。
右宮を出るため、シュンラン達では不測の事態に対処出来ない可能性もあって、護衛のノウラン達に付いてきてもらった。
細身のシュンラン達とは真逆の、いかにも武芸に秀でていそうな屈強な男達と一緒に歩くのは緊張した。
しかし、展望所へ行く途中、智也はノウランの額から汗がながれていることに気付いた。
「あの…暑いですか?日陰で休憩しますか?」
「決して暑くはありません!しかし、緊張が…なに分、神子様とご一緒出来るとは思わなかったもので…」
そう言って顔を赤くさせていた。
他の護衛達も同じだった。
それを見て、智也の緊張はどこかへ行ってしまった。
自分よりも緊張している人を見て、冷静になったようだ。
(神子ってすごい立場なんだな。っていっても俺は本来至って凡人な大学生だから、まったくもって実感無いのが申し訳ないんだけど…)
そう思いながら、展望所へ向かったのだった。
そして今、ノウラン達と共に街を見ている。
たくさんの石造りの家がひしめき合うように立っているのが、この星で一番栄えている場所だった。
住宅街に砂嵐が入ってこないよう、数年前に石壁が作られたらしい。
しかし、それでも砂は入ってくるのか、街は霞んでいた。
地球にも砂漠地帯はあるが、この星にはオアシスのようなものは見当たらなかった。
ノウラン曰く、人々は地下にある水源を利用して生活しているらしい。
智也達の召喚前は、それが枯渇するのも時間の問題と考えられていたようだ。
「神子様方の御力で、光の泉があれだけ豊かになったのです。地下の水源もそのうち溢れんばかりになるでしょう」
そうだったらいいな、と智也は思う。
智也にどれだけの力があるかはわからないが、この星の人達が豊かに暮らすことが出来ればそれに越したことはない。
(とりあえず、俺は今日の儀式も頑張ろう)
そう決意した智也だったが、今回の儀式がなかなか大変なものになるとは、この時はまだ知る由もなかった。
*****
夜になり、儀式の時間が近づく。
智也は若干の肌寒さを感じた。
服が薄い。
(昨日は厚すぎたけど、今日のは薄すぎだよ…)
今日の神服は素肌に薄布、というほぼ着ていないに等しい軽さだ。
まだ下半身は腰履きがあるから良いものの、上半身は透けている。
誓合わせの儀は大衆の面前で行なわれる儀式だったが、今回の儀式からは二人きりだ。
人目を忍んで行う儀式、ということもあって夜宮へ向かうのも隠し通路を使った。
スケスケの姿を大勢の人に見られなくて済むのは助かる。
ただ、この姿を拓海に見られると思うとそれだけで赤面ものだ。
「イリノ様、私共はここまででございます。それでは明朝に」
「は、はい…」
受け神子用の扉の前でシュンラン達と別れる。
ここからが儀式の本番だ。
どこからか鈴の音が聞こえた。
それを合図に扉を開けると、目の前に長く細い階段があった。
それを暗い中、一段ずつ登る。
登った先にはまた扉がある。
寝室に繋がる扉だ。
その扉を開けると、昨日とは違う光景があった。
(ムーディー過ぎるよ…)
膝から崩れ落ちるかと思った。
昨日と同じく布団が敷かれてあるのは良い。
ただ、その周りにたくさんの蝋燭が良い感じでお洒落に並べられている。
(このロマンチックな部屋でこれから
思わず頭を掻きむしりたい気持ちに駆られたが、シュンラン達が丁寧に整えてくれていたのでやめておく。
呆然としていると、出し神子用の扉が開いた。
拓海が入ってきたのだ。
「や、やぁ、拓海君。今晩もよろしくね!」
「…す」
拓海と一瞬目が合ったけれど、すぐに逸らされた。
(このスケスケ神服が痛ましいんだろう…分かるよ…)
今は同情されるよりも見ないふりをしてもらったほうがありがたい、と智也は思った。
「始めますか」
「そだね!」
天井から下げられている鈴を、二人で鳴らす。
これから儀式を始めますよ、という神子からの合図だ。
智也は火起こしの石を、拓海は神木の枝を持つ。
神木の枝に火をつけて、それを二人で持つ。
布団の北側にはまだ火の付いていない、藍色の蝋燭が三つ並べてある。
一番小さい蝋燭から順に火をつけていく。
最後の蝋燭に火をつけ終わり、枝は水差しに入れて火を消した。
(いよいよだ)
智也は密かに深呼吸する。
二人は布団の上で向かい合って座った。
拓海がゆっくり両手の掌を上に向けて、智也の前に差し出す。
その掌に智也は自分の掌を重ねる。
(なんだか照れるな…)
男同士で手を繋ぐのはきっと小学生以来だ。
拓海の手は温かかった。
緊張しているはずなのに、じんわりと伝わる熱が意外にも心地よく感じる。
そのままじっとしていると、一番小さい蝋燭の火が消えた。
「消えましたね」
「じゃあ、次だね」
智也は右手を拓海の胸の中心に当てた。
心臓は力強く鳴っている。
続いて、拓海の右手が智也の胸に当てられた。
(緊張してるの、バレバレなんだろうな…恥ずかしい…)
心臓の動きを遅くしたくても、逆に早まってしまう。
拓海が気にしないことを願って、時が過ぎるのを待った。
「消えたね」
「そうですね」
二番目に大きな蝋燭の火が消えた。
智也にとっては次がいよいよ正念場だ。
二人はその場で立ち上がる。
「ど、どうする?」
「俺から行きます」
一瞬、智也の胸が疼いた。
こういう時にリードしてくれるなんて、理想的過ぎる。
しかし、年上としては情けない。
せめても、と思い両手を広げた。
反射的に目を瞑ってしまっていたら、一瞬拓海が笑ったような気がした。
気配が近づく。
筋肉をしっかり感じられる腕が智也の背に回る。
拓海の胸に顔が埋まった。
樹木のような、草原のような香りがした。
次に、智也はそっと拓海の背に腕を回した。
両親以外で、抱擁したのは初めてだ。
自分の心臓の鼓動が速すぎて、気が遠くなりそうだった。
きっと顔も赤くなっているはずだ。
けれど、拓海の胸に埋まっているから見られる心配はない。
智也は初めて、身長が低くて良かったと思えた。
次第に体が熱くて痺れたように感じる。
もっと抱き合っていたい気もするし、早く離れたい気持ちもある。
相反する感情のせめぎ合いで頭が混乱した。
あと五分もたない。
それ以上続けたら智也の体は爆ぜて粉々になってしまいそうだった。
「消えました」
声が聞こえた瞬間脱力した。
酸欠になったのか、頭がクラクラする。
「入野君?」
突然しゃがみ込んだ智也を、拓海が心配そうに覗き込んでいる。
「ごめん、鈴鳴らさないとだよね」
無理に立ちあがろうとすると、拓海が肩を抱いて支えてくれた。
「ありがとう」
拓海に支えられながら、二人で鈴を鳴らす。
今夜の儀式が終わった。
「体弱いんすか?」
儀式が終わった後、布団に横たわらされた。
昨夜も同じようにされたのを、智也は今思い出した。
「迷惑かけてごめん。全然そんなんじゃなくて…慣れないことしたせいか、体がびっくりしたみたい」
照れ隠しで笑ってみたけれど、苦笑いにしかならなかった。
「そすか」
拓海は蝋燭の火を消して周っていた。
手伝おうとして起きあがろうとしたけれど、大丈夫だと断られた。
「役立たずで本当にごめん。無理やり拓海君に付き合ってもらってるのに…情けない」
つい口からため息が漏れる。
不器用な自分にも、さらには、言い出しっぺのくせに弱音を吐いてしまう自分にも嫌気がさす。
蝋燭を消していた拓海が手を止め、振り返った。
「無理やり、ではないです。俺も決めた事なんで」
その眼差しは、決して気を遣っているわけではなさそうだった。
「…ありがとう。拓海君、やっぱり優しいよね」
智也の事は苦手に思っているかもしれないけれど、拓海自身は善人に違いなかった。
拓海が何か言ったようだったが、気のせいかもしれない。
蝋燭の火が全て消えて、寝室には光の泉の輝きだけが残った。
智也はいつのまにか眠りに落ちていた。
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