第3話 一日目、誓合わせの儀

しばらく言葉を発せなかった智也だったが、意を決して口を開いた。


「少し、二人きりにしてください」


セイラン達はすぐに部屋を後にした。

拓海と二人、枯れた大地を眺める。


「もしさ、拓海君が大丈夫だったら…俺、儀式したほうが良いと思ってる」


拓海が、はぁ、とため息をついた。


「どんだけお人好しなんすか。俺に突っ込まれるってこと、分かって言ってます?」


怒った様子で智也を見ている。

確かに拓海の言うとおり、現実として全てを受け止めているかといえば、それは分からない。

ただ、目の前に広がっている光景は現実以外の何物でもない。

それに、智也はそのうち誰かに抱かれるつもりだった。

ノーマルの人に比べて神事に抵抗感がないのは幸運と言えなくもない。


「俺さ、男の人が好きなんだよね。しかも運良く抱かれたい側!」


まさか異世界でカミングアウトすることになるとは思わなかったけれど、拓海が言いふらしたりするような性格でないことは知っている。

深刻な雰囲気にはしたくなかった。

だから智也は明るく言った。


「嘘だ…」


拓海は驚いて呆然としている。


「本当にほんと。実はさ、召喚される前マッチングアプリ登録しようとしてたんだ。そっち系の。ずっと一人は寂しいなって思ってて…」

「それ、この星とか俺の為に嘘ついてるんじゃないですよね?」


拓海が、険しい目をして探るように見ている。


「いや、本当だって!俺そんなにお人好しじゃないから。だからさ、遅かれ早かれ処女じゃなくなるんなら、人様の役に立ったほうが良いじゃん?それに、相手が拓海君なら、ほら、全然知らない人とするより安心安全というか…」


拓海が大きくため息をつきながら、しゃがみこんで頭を掻きむしり始めた。


「も、もちろん、拓海君が無理なら話は別だけどね?神事をやらずに帰れる方法を二人で探そう!」


智也がやる気だったとして、拓海にその気がなければ元も子もない。

なんだか自分だけが空回りしているようで恥ずかしさが込み上げてきた。


「…やります。良いんすね?」


俯いたまま拓海が言った。

意外な返事に、智也の気持ちは急浮上した。


「ありがとう!…って俺が言うのはおかしいか。いや、でもありがとうだもんな…とりあえずありがとう!」


智也もしゃがんで、拓海の肩を叩く。

拓海は何度目かわからないため息をついていたが、それには気づかないまま智也は叫んだ。


「セイランさーん!俺たち、儀式やります!」




*****




(夢じゃないんだよな…)


艶のある大理石のような石で出来た浴場で智也は湯に浸かっている。

何度も頬をつねってみたけれど、夢じゃない。

それに肌に触れるお湯の感触は、現実以外の何ものでもなかった。

まさか異世界で風呂に入ることになるなんて、と湯煙が立ち上る中ぼんやり思う。


「お湯加減はいかがでしょうか」


シュンランが浴槽の側で控えている。

膝掛けを持って来てくれた、あの若い男だ。


「最高です。すみません、気持ち良くって長湯しちゃいました」


左様ですか、とシュンランは湯煙の中でも分かるくらい、嬉しそうに微笑んでいる。

湯から上がるとすぐに、体を拭く柔らかな布を持って来てくれた。

人前で着替えるのさえ恥ずかしかった智也だが、今はもう気にならない。

なぜなら、湯に入る前に体の隅から隅までシュンランに洗われたからだ。


(側仕えがシュンランで良かった…)


智也は同性が好きということもあって、温泉などは極力避けるようにしてきた。

だからいきなり、湯浴みをしてほしい、しかも側仕えと一緒に、とセイラン言われた時には全力で拒否した。

しかし、お清めの意味もある儀式の一環と言われてしまうと無下には出来なかった。


値交渉するかのように、側仕えをなんとか一名まで減らしたが、それで抜擢されたのがシュンランだった。

シュンランは十代と思われる若さで、柔らかい物腰が女性的な雰囲気を醸し出している。

それでいて細やかな気遣いをしてくれるので、この上ないほどの安心感がある。


体を拭き終わった後、服をシュンランが着せてくれる。

まるで王様のような待遇に、ただただ申し訳なさが募る。


「あの…お湯も、この服も、この星では貴重なんですよね?俺、元の世界では本当になんの力も、身分もない一般人なんですよ。だから、なんというか…勿体無い気がします」


テキパキと動いていたシュンランの手が止まった。


「お気遣いありがとうございます。仰せのとおり、今では水や布も手に入れることが難しくなっています。ですが、それとこれとは別のお話でございます。この星を救っていただく神子様に、私共が今出来得る最高のおもてなしをさせていただきたいのです」


シュンランは優しく微笑んでいる。

目頭が熱くなった。

これはなんとしてでも神事を無事に終わらせないと、と智也は心に決めた。

もはや自分の尻はどうなっても良いから、シュンランやこの星の人々が救われてほしい、と思う。


「俺、頑張ります!」


智也は鼻息を荒くして言った。


(もう、やるしかない!…というか、やられるしかない!お願いだから、拓海君が俺で勃ちますように…)


神事が成功するかどうかは拓海の股間次第だ。

智也はこの念が拓海に通じるように祈った。




湯浴みの後、智也は右宮みぎみやという受け神子用の宮殿へ案内された。

これから八日間、智也は基本的にこの右宮で過ごすらしい。


(平安時代の貴族になった気分だ…)


木造らしい宮殿は平屋で、どことなく日本の寺を思い出させる。

重厚な風格は、この宮殿の歴史を感じる。

長年大切に世話をされてきたのだろう、小さな庭には様々な種類の樹木や花々があった。

どこからともなく濃厚な花の香りがして、さらに非日常的な、聖域に足を踏み入れたような感覚になる。


智也と拓海が過ごすそれぞれの宮殿には、神子の他に複数人の側仕えが手配される、とのことだった。

右宮にはシュンランをはじめ五人の側仕えが智也のお世話をしてくれることになった。

普段は一人暮らしをしている智也にしてみれば、だいぶ賑やかに感じるはずだが、どこか淋しい。


(拓海君がいないと、ちょっと心細いな)


右宮の庭から、拓海がいるはずの左宮ひだりみやを眺める。

同じような建物が正面に見えているが、拓海の姿は確認できなかった。

なぜか、それがひどく残念に思えた。



これからのことについては、湯浴みの前にセイランから説明を受けた。

神事は毎晩行われるらしい。


(さっそく今夜から、しかも毎晩致すことになるのか…?)


初心者には過酷すぎるのでは、と不安に思っていると、それを察したかのようにセイランが説明した。


「本日は誓合わせちかわせの儀と言って神の前で神酒を酌み交わす儀式となります。実際に体を繋げる神事は七日目です。毎晩、儀式の内容は異なります」


とりあえず、あと一週間は処女でいられることがわかり、ほっとしたようで複雑な、よくわからない感情になる。

拓海は質問などはせず、黙って説明を聞いていた。


夜は神子だけで一緒に過ごすようだ。

ただ、日中はそれぞれの宮で別々に過ごさなければいけないらしい。


神事についての詳細は、出し神子と受け神子で作法が違うらしく、当日にそれぞれの宮で伝えられるようだ。


セイランからの説明の後、拓海と分かれた。


「じゃ、また夜に」

「…す」


いつもの拓海だった。

少しは距離が縮まったと思ったが、思い過ごしだったのかも知れない。

拓海の後ろ姿を見送りながら、智也はこれからの日々に不安を抱いた。




*****




「お、重いですね…」


神殿へ向かう長い渡り廊下を歩きながら、智也はついこぼしてしまった。


「この神服しんぷくを着ていただくのは今晩だけですので、もうしばらくの辛抱でございます」

「はい…」


「誓合わせの儀」用の衣装に着替えさせてもらったのだが、信じられないくらい重い。

深い藍色の布地に金や銀の刺繍が施されているのだが、織り方や刺繍の模様が異なる布地を幾重にも重ねている。

相当豪奢な衣装だということはわかるが、とにかく重い。

日本にも十二単があるが、恐らく二十単くらいあるのではないか。

シュンラン達が裾を持ってくれているので、だいぶ軽くなっているはずだが、それでも重い。


着せられた時はまだ良かった、というか気づかなかった。

「大変お美しゅうございます」だとか「これ以上の眼福はございません」などと、シュンランをはじめ側仕え達が口々におだててきたので、そんな筈はないと思いながらも少し調子に乗っていた。


しかし、一歩動いただけで一気に目が覚めた。

肩の骨がもたない。

儀式が終わる頃には関節が外れるか、傾斜の酷いなで肩になっているに違いなかった。


「段差がございます。お足元にお気をつけくださいませ」


おまけに頭にはベールのような、藍色の薄い布を被っている。

足元どころか周りがほとんど見えない。

神子の威厳などかけらもないような足取りで儀式の場所へ向かった。


ようやく辿り着いた先は、智也達が召喚された神殿だった。

今は儀式用の装飾がなされていて、智也と拓海の間には垂幕がある。

拓海はきっと幕の向こう側にいるのだろう。


(ちょっと緊張してきたかも…)


今になって、頭を覆う薄布がありがたくなってきた。

周りが見えづらいと、自分だけの世界にいるような気がして多少の気休めになる。

指示された場所に立つと、笛のような不思議な音色が聞こえてきた。


「これより、儀式を始める」


セイランの声だ。


それから念仏のような祝詞のようなものを、集まった者達で唱え始めた。

大勢の声が神殿内にこだまして、その迫力は地面が揺れるような錯覚に陥るほどだった。


(大丈夫、大丈夫。覚えたことをするだけだ…)


智也は平常心を保つのに必死だった。

儀式の作法を頭の中で繰り返す。


そうしているうちに、いつの間にか祝詞は終わった。

鐘の音が聞こえる。


(いよいよだ)


その鐘の音を合図に、幕が上がった。

正面には拓海が立っている。

拓海が智也の方へ、一歩、また一歩と近づく。

息遣いが聞こえるほどの距離になると、智也の薄布に手がかけられた。

それをめくりあげられる。


一瞬、息をするのを忘れた。

神服姿の拓海は、見惚れるほど様になっていた。


(か、かっこいい……。いやいや、しっかりしろ、俺よ。儀式に集中しないと…)


向かい合ったまま、その場に膝をつく。

それぞれの傍らに供えてある盃には神酒が入っている。

それを右手に取り、まずは自身の口をつける。

そして、その盃を互いに相手の口にやり、同時に口をつける。


再び鐘が鳴り、祝詞が唱えられ始めた。

互いに口をつけたそれぞれの盃を両手で頭上に掲げる。

二人は盃を手にしたまま立ち上がり、神殿の奥へと進む。


祝詞が止むと、奥の間の扉が開いた。


目の前には、淡く光る泉があった。

天窓から月の光が反射しているのもあるが、泉自体が発光しているようだ。

不思議な光景に、智也は息を呑む。

いつの間にか神服の重さは気にならなくなっていた。



歩調を合わせて泉の前へ進む。

盃を二人で重ね合わせ、泉に沈める。

一瞬、光が強くなった。

神が二人を受け入れてくれたかのような、温かな光だった。


鐘の音が聞こえる。

誓合せの儀は無事に終わった。





神服から神子用の寝衣に着替えて、二人は夜宮よるみやにいる。

浴衣のようなその服は、着慣れていないからか落ち着かない。

しかも、目の前にいる拓海が似合いすぎているものだから、尚更落ち着かない。


「じゃ、じゃあ、とりあえず乾杯でもしよっか」

「…す」


酒の入った器を交わす。

目の前には、様々な料理が盛られた皿が並べられている。

懐石料理のような手の込んだ料理は、シュンランが言ったとおり、今出来得る最高のおもてなしに違いなかった。

資源が少ないにもかかわらず、気持ちが込められている料理を前に、智也は一つ残らず完食することを心に決めた。


部屋には静かな時間が流れている。

夜宮は神子が二人で過ごす宮殿だ。

儀式の際に見た、「光の泉」のさらに奥にある。

寝室と、今こうして食事をしている広間があり、右宮や左宮よりも小さな造りだ。


誓合わせの儀は大勢の面前で行われたが、明日からの儀式はこの夜宮で行われるらしい。

つまり、数日後には隣の寝室で抱かれることになるのだ。


(考えるとソワソワしちゃうな…)


目の前にいる男に、体を開かれる。

食事中にも関わらず、余計なことが頭に浮かんでしまって、むせてしまった。


「大丈夫すか」


拓海が水差の水を注いでくれた。

慌てて水を飲み込む。


「ごめん、ありがと」


一息つくと、いつもの沈黙が待っていた。

そういえば、拓海と二人で食事をするのは初めてだった。

バイト先の飲み会でも、近くに座ったことはない。

だから、目の前で食事をしている拓海の姿は新鮮だった。


藍の星でも食事の際には箸を使うらしい。

日本のものより細く長い形状は、智也にとっては少し扱いづらかった。

しかし、拓海は器用に使いこなしている。

もともと箸使いが上手いのだろう。


拓海が食べる姿を見ているうちに、いつの間にか食べるものも無くなり、酒だけが残った。


「お酒、強いんだっけ?少し残ってるけど飲む?」

「いや、もう大丈夫す」


あまり酒に強くない智也だったが、残すのは勿体無い。


「じゃあ、もらうね」


酒瓶を手に取ろうとした時だった。

拓海の手が智也の手に重なる。


「っ!ごめん」

「すみません、手酌じゃあれかなと思って…」


どうやら智也にお酌をしてくれようとしたらしい。

なぜか、心臓の動きが激しくなる。


「…じゃあ、お言葉に甘えて」


慌てて器を差し出す。

手の震えを抑えるのに必死だ。

拓海は慣れた様子で、酒を注ぐ。

最後の一滴まで、こぼさずに注いだ。


「ありがとう」


拓海が注いでくれた酒は、すぐに酔いが回りそうな気がした。



食事が終わると、酒のせいもあって智也はすぐに眠たくなった。


「歩けます?」

「大丈夫、大丈夫!」


足の感覚はあまりないが、寝室は近いのでなんとかなりそうだ。


「ほら、危ないですって」


何もない床で躓きそうになり、拓海に支えられた。


(なんか、この感覚、前にもあったな…)


ふわふわした頭で思い出そうとするが、頭は働くのを拒否しているようだ。

すぐにでも眠ってしまえそうな気がする。


智也を支えながら歩く拓海が、寝室の扉を開けた。


「…!」


寝室からは「光の泉」が見えた。

大きな窓からその淡い光が差し込み、寝室を幻想的に照らしている。


(なんてきれいなんだろう…)


灯りなど一切ない部屋だが、光のおかげで二人が寝ることになる寝具が分かる。

布団のような敷物は、思ったとおり一つしか用意されていなかった。


酔っていなければ一切眠れなかっただろう。

智也は酒に感謝した。

拓海が横になるのを手伝ってくれる。

体に全く力が入らなくなっていたが、拓海の逞しい腕は智也を安心させた。

眠りかけの智也がちゃんと、おやすみと言えたかは微妙だ。


ただ、その夜の最後に見た拓海の瞳は、泉の穏やかな光が映っていてとても美しかった。

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