第2話 おいでませ、異世界
「…入野君」
視界がぼやけているが、誰かがいるのは分かる。
二日酔いの朝みたいに体がだるい。
「入野君」
肩を揺さぶられている。
ほどよく低い声が心地良い。
その声に聞き覚えがあるけれど、すぐには思い出せない。
「大丈夫?」
視界がはっきりとしてきた。
声の主は拓海だ。
認識したとたん、智也は飛び起きた。
「ししし死後の世界!?」
拓海はほっとしたような、驚いたような顔をしている。
見たところ怪我はないようだ。
拓海には足もあるし羽も生えていない。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない…わかりません」
とりあえず死後の世界かどうかは別として、今現在、拓海も無事なようだし、智也も痛いところもなく無事なことにほっとした。
改めて周りを見渡すと、二人は白い石造りの大きな神殿の中央にいた。
永い夢を見ているような気がするが、床の冷たさに現実味を感じる。
二人の周りには、取り囲むように松明の火が掲げられていた。
チリチリと燃える音が静かに響いている。
急に冷たい風が吹き、穏やかだった松明の火が強くなると、大勢の人が祭壇の周りにいることが分かった。
「成功だ」
祭壇の正面にいる人物が大きな声でそう叫ぶと、空気が震えるほどの歓声で包まれた。
拓海と顔を見合わせる。
拓海も何が起きているのか理解出来ていないようだ。
未だ歓声が止まない中、先程声をあげた男が二人に歩み寄ってくる。
厳かな雰囲気のその男は、長い髪を優雅に靡かせ二人の前で歩みを止めた。
左手を上げると、歓声がぴたりと止んだ。
洗練された所作に思わず息を呑む。
「お待ちしておりました。私、名をセイランと申します」
セイラン、と名乗った男はどうやらこの群衆の中で最も身分が高いようだ。
両膝をついて頭を垂れるのは、この地の挨拶なのだろう。
こちらに危害を加えるような予感は感じさせない。
(時代劇の大御所俳優みたいな貫禄だな…って、どこの国なんだここは)
セイランに続いて群衆が皆同じように頭を垂れる。
統率が取れている光景はまるで軍隊のようだが、着ているのは和服に似ているけれど見たことのない服だ。
暗い中、松明で照らされているので詳細はわからないが、皆黒く長い髪を一つに結んでいる。
アジア人のようだが違う。
こんな見た目の人種は見たこともないし、聞いたこともない。
それなのに言葉は日本語だ。
頭を上げたセイランがこちらを見つめながら話しだす。
「突然の御無礼を、どうかお許しください。我々にはあなた方の御力が必要なのです」
その真剣な表情は嘘をついているようには見えない。
(ドッキリ、とかではなさそうだよな…)
よく見るテレビ番組では、一般人にドッキリを仕掛けるものもある。
心のどこかでその可能性を疑っていたけれど、それにしては規模が大きすぎる。
大きな神殿に、大人数の外国人、それぞれの衣装を用意するとなると莫大な予算がかかるはずだ。
ただの一般人二人に対して、そこまでのドッキリを仕掛けても得るものはないだろう。
「お疲れのことでしょう。場所を移して詳しい説明をいたします」
セイランがそういうと、数名の部下らしき男たちが集まってきた。
床にしゃがんだままだった二人は、素早くその男たちに体を支えられて別室へと連れて行かれた。
*****
連れてこられた別室は、神殿とは全く雰囲気が違う、木の温かみが感じられる部屋だった。
部屋の中は日本家屋と似ている。
この明るい部屋に入ってから分かった事だが、黒髪だと思っていた男達の髪色は人によって濃淡はあるものの、藍色だった。
瞳の色もおそらくその色に近い。
テレビでもネットでも見たことがない。
智也はここが地球上ではない場所だということを確信した。
毛足の長い敷物の上に置かれた椅子に座るよう促され、二人で並んで座った。
その時、衝撃的な事実に気づいてしまった。
「うっわ!俺、ズボン履いてないじゃん…」
あまりに現実離れした出来事が起きすぎて、すっかり忘れていた。
あの大勢の人々にこの貧弱な足を晒したかと思うと、恥ずかしさで叫び出したくなる。
「ズボンは召喚してくれなかったんすね」
いつもはほぼ無表情な拓海がうっすらと笑っているのが分かった。
初めて見る表情だった。
それに、智也に対してきちんとした反応を返してくれたのも初めてだ。
どんなタイミングだよ、と思わなくもないが、拓海が少しだけでも笑ってくれたことは素直に嬉しい。
智也達の会話を聞いていたらしく、若い男が膝掛けを持って来てくれた。
手触りの良い布地は、あまり服飾品に詳しくない智也でも質の良さが分かった。
ぞんざいな扱いではない。
むしろ手厚くもてなされているようだ。
これからどのような事が待ち受けているかは分からないが、こんなに細やかな気遣いをしてもらえるなら痛めつけられることはなさそうだ、と少し安心する。
部屋にセイランが入って来た。
明るい場所で見ると、神殿で見た時よりも大御所感が出ている。
歳は四十代くらいだろうか。
その彫りの深い顔立ちと凛とした佇まいに、時代劇を生で見ているような感覚になる。
(というかこの世界の人、みんな顔が良いな…)
神殿ではよく分からなかったが、今は顔がよく見える。
セイランにしても、先ほどの若い男にしても、思わず二度見してしまうくらいに顔が整っている。
気のせいだろうか、と思って周りを見てみると、この部屋にいる全員がそれぞれ趣が異なる二枚目だった。
ふと、隣にいる拓海を見ると、周りに負けず劣らず顔が良い。
(俺だけ場違い…しかもズボン履いてないし。なんだかなぁ)
一人気落ちする智也だったが、そんなことはお構いなしにセイランが話し始めた。
「改めまして、この度の突然の御無礼をお詫び申し上げます」
再び、神殿でも見た挨拶をされた。
「カジタタクミ様、イリノトモヤ様。私共はあなた方を心よりお待ちしておりました」
突然、セイランの口から自分たちの名前が出たことに驚いた。
二人がここにいるのは偶然ではなかったようだ。
「あなた方をお呼びした理由を、説明させていただきます」
セイランの説明によると、ここは「藍の星」と呼ばれる地球とは別の星らしい。
藍の星は、定期的に星全体の「力」が弱まる現象が起こる。
「力」というのは栄養のような、エネルギーのようなもので、それが足りなくなると天災や飢饉が発生してしまう。
そうなった時に、解決する方法が一つだけある。
それが「青の星」から
「青の星」というのは、どうやら地球のことらしい。
「俺たちが神子って事ですか?」
思わず智也がセイランに訊ねた。
「左様でございます。力が弱まってきた数十年前から、私共は神からの神託を待ち侘びておりました。そして数ヶ月前、とうとう神託を授かりました。それに記されていたのがあなた方のお名前です」
証拠を提出するように、セイランは石盤を差し出した。
その石盤には見たことのない文字が隙間なく彫られてあり、その精巧さは美術品のような美しささえ感じる。
しかし、よく見ると中央に見慣れた文字があった。
鍛治田 拓海
入野 智也
紛れもなく二人の名前だった。
(俺と拓海君が選ばれた?どうして…)
智也が動揺していると、拓海が問いかけた。
「どうして俺と入野君なんですか?」
拓海も同じ疑問を感じていたようだ。
「…分かりません。神の思し召しとしか言いようがないのです」
そう言われてしまうと追求の仕様がない。
セイランが嘘をついている様子はないから、本当に神にしか分からないことなのだろう。
「…その神事っていうのが終わったら、俺たち帰れるんですよね?」
再び拓海がセイランへ尋ねた。
智也には、怖くて聞くことができなかった質問だった。
拓海が積極的に質問する姿は意外だったが、一刻も早く元の世界に戻りたいのかもしれない。
その気持ちは智也も同じだ。
「もちろんです。お望みであればこのままこちらで暮らしていただくことも、何ら問題ございません。その場合には、神子様として生涯に渡り一切の不自由なく暮らせるよう最大限に配慮いたします」
戻ることが出来る、というのがわかって一先ず胸を撫で下ろす。
さらに、残ったとしても待遇は良さそうだ。
神事で命を取られることはなさそうなので、ほっとする。
しかし、智也達の反応とは裏腹に、セイランの顔は険しかった。
「これから大切なことをお話ししなければなりません。神事についてです」
胸騒ぎを伴う嫌な予感がした。
神事と聞いてお祈りや祈祷といったそれらしいものを想像していたが、セイランの様子を見るに、どうやら違うようだ。
「神事は八日間かけて行われます。本日から毎夜、行われる儀式の内容は異なります」
セイランの説明によると、さっそく今夜から神事が始まるらしい。
(だとしたら、八日後には帰れるのか)
わけのわからない状況だが、帰れる目処が立つと立たないとでは大きく違う。
智也は気持ちが少し楽になった。
「…この神事は、天と地を司る神々へ捧げるものです。天と地は互いに循環し、補い合うことで星に恵みをもたらします。しかし、天と地の神々は今、それをお忘れでいらっしゃる。このままですと、この星は滅んでしまいます」
憂いた顔でセイランは続ける。
「神事は、神達の本来の役割を思い出していただく儀式です。その為には、神子様方に交合していただく必要があります」
(コウゴウ…ってなんだっけ)
智也はあまり国語が得意ではなかった。
分からない言葉は受け流すことによって、これまでは特に不自由なく暮らして来た。
しかしそれは間違いだったのだと、拓海の反応で実感することとなった。
「はぁっ!?交合!?」
これまで聞いたことのない拓海の声量に、体がビクっとなった。
拓海は怒っているのか、顔に赤みが差している。
「左様でございます。交合、即ち体の交わり…」
「か、か、かか、体の交わり!?」
智也はあまりの驚きで立ち上がっていた。
体の交わりと言われれば、さすがの智也でも何を指すのか分かる。
立ち上がったは良いものの、体の力が抜けてすぐに座ることになった。
立った時に床に落ちた膝掛けを、先ほどの若い男がやって来てわざわざ掛け直してくれる。
それに対して礼を伝える心の余裕はどこにもなかった。
「体の交わりこそが、この度の神事の要でございます。カジタ様が
「出し神子と受け神子!?」
今度は椅子から滑り落ちそうになった。
あまりに露骨過ぎる。
こんなにも堂々とポジションを指定されるなんて、いくら智也の希望通りだとしても、あからさま過ぎて恥ずかしい。
(確かに俺はそっち側だけど!そうなんだけど…受け神子はなんかイヤだよ…それに拓海君はどう思ってるんだろう?ブチギレたりして…)
拓海の様子を見ようとしたが、急に恥ずかしくなって顔が見れなくなってしまった。
不意に拓海が口を開く。
「ダシミコとウケミコ…どういうことですか?」
あまりに驚いて拓海を二度見してしまった。
(オーノー!察しが悪すぎるよ、拓海君…)
拓海は全くふざけていない、真面目な顔で聞いていた。
「出し神子様は、出すことが御役目でございます。交合において精を出す。受け神子様は、それを受けることが御役目でございます」
だよね、と智也は思った。
「俺が…入野君に…?」
理解した様子の拓海が独り言のように呟いている。
「あなた方に多大な御負担を強いていることは重々理解しております。しかし、私共にはこの方法しか残された道はございません。何卒、何卒、ご協力頂けないでしょうか」
セイランが床に頭をつけている。
土下座とほぼ同じ体勢だ。
これまでの人生で土下座なんてされたことがない智也は気が気でない。
「…そんなこと言われても、これは誘拐と同じです。勝手に連れて来られて交合しろって言われても…それに、俺と入野君はただの同僚で、恋人でもない。簡単に、はい分かりました、とは言えません」
拓海が淡々と言った。
完全に土下座に絆されそうになった智也とは違って、正論を真正面からぶつけている。
すごいな、と智也は思った。
ぶれることのない強さに羨ましさを感じる。
「ごもっともでございます。しかしながら、神に選ばれたあなた方ならば、必ずや御役目を果たしていただけるものと信じております。ご覧いただきたいものがございます。どうぞ、こちらへ…」
智也達は壁際へと通された。
部下の男達がカーテンのような薄布を端に寄せ、その奥に現れた木の扉を開け放つ。
夕日のような赤い日差しが部屋に差し込む。
綺麗だ、と思ったのはその瞬間だけだった。
見晴らしの良いその場所からは、外の世界が一望出来た。
しかし、景色は惨憺たるものだった。
砂漠のような、枯れた土地が遠くまで広がっている。
おそらく元は大河であっただろう場所も、干上がっていて砂地が見えている。
植物の緑は視界の範囲では確認出来ない。
一言でいえば、荒れ果てていた。
「これが、この星の現状です」
セイランは悲しい眼をしていた。
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