第6話 欠陽と時長の儀式

 黄色い花畑の上に草を編んだ大きなマットを広げ、太鼓や酒を載せていく。

 マットの四隅にはかがり火が置かれ、その外側に木で組まれた台が十二個。

 酒で濡らした絹を、子どもたちと一緒に台の上に広げていく。

 火酒はキノコを漬けこんだ後も無色透明で、それで濡らした練絹も真っ白なままだ。これが本当にあの夜空の色になるのだろうか。


「では、始めるとしようかの」

「はい、兎様」

 皆がマットに車座に座り、兎がその中央に立つ。

 俺は少し離れて見物しているつもりだったのだが、子供たちによって強引にレノの隣に座らされた。


 レノは酒を一口飲んで、太鼓を手で打ち始める。

 初めて聞くような、聞いたことがあるような、そんなリズム。

 子供たちも同じように太鼓を打ち始める。

 あまり慣れていないようで、レノの太鼓より少し遅れ気味だ。

 しかし、そのズレすらも取り込んで、レノの太鼓が変奏する。

 子供たちが続ける単調なリズムの上に、より複雑玄妙な第二のリズムが重なり、音に深みが増した。

 それを待っていたかのように、兎が踊り始める。

 はじめは四足で走り回ったり転がったり。

 草の穂を持って伸びあがるような動きを何度かした後は、二足で立ちあがる。

 もはや、尋常な獣ではないことを隠そうともしない。

 完全な黒となった瞳で、俺の方をチラリと見てくる。


 そして、歌が始まる。

 レノが低く作った声で短く歌い、兎が甲高い鳴き声で返す。

 まるで知らない言葉のようで、だがなんとなく意味が取れる。


  月と太陽、光の中の闇


 気配を感じ、俺は空を見上げた。

 山際近くまで下りてきている、赤い太陽。

 兎のひときわ甲高い鳴き声とともに、その端が欠けた。

 激しくなる太鼓に合わせ、黒い領域はどんどん太陽を侵食していく。


 日食、そう呼ばれる現象の事は聞いたことがあった。

 まだ母と旅をしていたころ、学者崩れから聞いた話だ。

 昔は魔物が太陽を喰らうと言われていたが、そんなことはない。単に太陽が月の影に入るだけだと自慢げに言っていた。

 それを聞いた母は、どんな顔をしていた?

 全てを分かったうえで、あえて訂正しない。そんな笑みをしていたのではないか。あの兎のように。


 もはや太陽は影に消えた。

 夜闇が空を覆い、冬菱が瞬くのが見える。

 見れば、子供たちもどこか不安げに周りを見回している。

 それでも兎は踊る。かがり火に照らされて。

 俺は喉の渇きを感じ、傍にあった木のマグから液体をあおった。

 火酒だ。

 喉の奥がかあっと熱くなり、胃の奥からキノコが香る。


 レノの打つリズムが変わる。

 激しさが消え、ゆったりと、うねるように。

 子供たちも再度太鼓を鳴らし始める。だが先ほどまでとは違い、各自がてんで勝手にやっているようだ。

 お互いに顔を見合わせて笑いながら。

 時には共に響くように。

 時には互いに競うように。

 そんな様を見ていたからか、歌が始まっているのにも気づかなかった。

 今度の歌はもっと分からない。


  いくつもの大地、無限に無限の星々。


 かろうじて単語は拾える。

しかし意味がつながらない。

 酒のせいかもしれないが、それにしては頭の奥が妙に冴えていた。

 歴史を歌っているのだ、と俺の中の母が言う。

 表立って語られることはない、魔女が、シャーマンが口伝えする歴史を。


  重なり合う街と街、無限は混沌に飲み込まれる。


 頭がグラグラするのは酒のせいに違いない。

 星の動きが妙に遅いのも。

 まだ八分の一も動いていないのに、子供たちの幾人かはもう眠り始めている。

 ようやく日が暮れた程度のはずなのに、眠さは既に夜半に近い。

 レノがこちらに手を伸ばしたので、マグを渡してやる。

 だが、飲む時間を見つけられないようだ。


  混沌の中から秩序が生まれる。一つではない。

  無数の秩序はぶつかり合って新たな混沌を生む。


 星が三分の一動いたころ、最後まで起きていた片角の子供も太鼓を離し、横になった。

 兎はまだ踊り、レノもまだ太鼓を叩いて歌っている。

 既に徹夜明けほどに育った眠気。

 俺は別のマグからちびりちびりと火酒を喉に流し込む。

 喉奥の熱さと、キノコの香りに頼って意識を保つ。


  重なり合いがほどけ始める。混沌は終わる。秩序も終わる。

  すべてが終わり、無限は無限に戻る。

  重なっていたことすら夢であったかのように。


 レノの身体が傾いだ。

 歌が、太鼓が、途切れる。


  それはいやだ。


 彼女の身体を片手で抱き留め、もう片手で太鼓を叩く。

 俺の口が自然と歌を紡ぐ。


  一粒の種が叫ぶ。


 レノはすぐに目を覚ました。

 俺は彼女に体を起こさせ、太鼓を奪い取る。

 兎が笑うのが見えた。母のように。


  種は芽吹き、秩序も混沌も取り込み始める。


 星の動きはますます遅くなり、俺は知らない歌を歌う。

 レノはキノコ酒を口に含み、ゆっくりゆっくり飲み下す。


  芽は大樹となり、街を囲む。

  何もない無限にさせないために。

  手に入れた全てを抱きしめるように。

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