第11話 正しさの奴隷(大橋久美編)その2

「じゃあ私はなにもしなくていいの?」

「ほぼそうですね。書類の記入なども事務所のほうでほぼ代行できますので、ああでも代行の委任状にもサインなどいただくことになりますが、ほぼなにもしなくて結構ですよ」

 ほぼの連続が効いたのか、幸代はまたも首をふんふんと縦に振った。

 梓馬は冒頭の続きを、ようやく口にする。

「あのそれで、娘さんの久美さんはご在宅でしょうか」

「はい、いるんですけど。娘はあんまり乗り気じゃないようで」

「申し訳ないんですが、お呼びいただけますでしょうか」

 軽く頭を下げてから上げると、幸代の顔は一瞬で先ほどまでとは別人のようになっていた。険しい目で「久美ぃっ」と声を上げた。そして、部屋を分断している仕切り布の向こうへ、力強い足取りで分け入っていく。

 部屋の奥から小さな悲鳴が一つ聞こえると、そのあとはなにも聞こえなかった。影に映るシルエットは、抱き合っている親子だ。しかし獣のような呼吸が、緊迫した状況を伝えている。やがて鬼のようなシルエットが浮かび上がり、つかみ合う二人の人間の様子を晒した。

 途端に上がる悲鳴。一方的な泣き声。女同士の県かという、いままで経験したことがない修羅場は、梓馬から判断能力を奪った。

「ど、どうしたらいいんだ」

「放っておけばいいよ」

 沙月はそう言うと、出されたチルド飲料を一口飲む。意外にも動揺していないようだった。 

「出番だ、止めてきてくれ」

「嫌、絶対に嫌」

 沙月は小声ながらしっかりとした口調で拒否した。

「大橋久美を助けて、恩を売ってきてくれ」

「自分で行けばいいよ」

 これは正論、沙月自身は問題ないと言っている。ならば状況の打開を願っている梓馬自ら行動すればいいだけ。しかし。

「お、女のもめ事に男が出るのはなんか違うだろ」

 梓馬は伏し目がちに言ってしまった。

その反応から、沙月は自分に正当性があると確信する。そして声を出さずに口のなかで、行け、行け、行けと、言った。払うようなジェスチャー付きだ。

仕方ないか――

 梓馬は仕切り布に近づいた。

「お母さん、お母さん、やめてください」

 そう声をかけてしまうと、幸代は憚るのをやめて大声を張り上げる。

「お前のためにきてんだろぉ、さっさと出ろやっ」

 鼓膜を破ろうかという勢いと、おおげさな巻き舌が耳をつんざく。

応対するのは、耐えるような呻き声。

 しばらくして大橋久美が、仕切り布の奥から顔だけを出した。一直線に揃っている前髪と、濃い眉毛が印象的だった。それだけに窪んだ目が、悪い意味で目立っている。暗い穴を見続けた目だった。

 どこか爬虫類を連想させられるのは華奢だからか、あるいはこちらを観察している視線に、凄みがあったからかもしれない。遅れて出てきた久美の胴体は、ベージュのダウンジャケットのファスナーを閉めているところだった。少し着ぶくれているように見えたが、それでも細い体つきであることが読み取れた。

「ど、どうも」

 おずおずと声をかける梓馬だったが、返事はもちろんなかった。

「挨拶しろっていつも言ってんだろぉ」

 そう言って幸代は、久美の後頭部をはたく。顔をしかめた久美は、お前のせいだと言わんばかりの顔で「どうも」とこちらに言った。

「お母さん、申し訳ないんですが、久美さんとだけで話したいんですが」

 梓馬がそう言うと、幸代は無言で久美を睨みつける。そうすると超能力でも使っているのか、久美の首が曲がっていく。完全に項垂れたころ、幸代は「しっかりやるんだよ」と言って居間から出ていった。

 幸代の姿が消えると、久美の顔がしぼんだ。顔がどんどん赤くなっていき、やがて涙が一筋こぼれる。するとこらえきれなくなったのか、嗚咽を漏らし始めた。

 慌てた梓馬は小声で沙月に耳打ちした。

「こんなときはどうすればいいんだ」

 沙月は少し首を捻ったあと、同じく耳打ちを返す。

「あたしなら頭なでてもらいたいかな」

「そういうもんか?」

「あたしならすぐ泣き止む」

「そうか、助かる」

 そして梓馬は姿勢を低くして久美に近づき、ゆっくりと手を伸ばしてみた。ただそれだけのことで久美は体を硬直させてしまう。そして暗い穴二つで、こちらを観察し始めていた。

 梓馬は慌てて手を引っ込めて「す、すみません」と言った。

 やはり松本花と同じか――

 室内、梓馬と沙月はアウターを脱いでいる。暖房が効いていたからだ。ならばなぜ、大橋久美はダウンジャケットを着てから出てきたか。そして松本花もマフラーを取らず、ダッフルコートを着たままだったのか。

 梓馬はこれを、過去のトラウマが原因だと考えていた。そしてそれは正解している。だが大橋久美に限っては、もう一つの正解があった。

 そのことに気付かないまま、梓馬は気を利かせることに必死だった。家庭環境を踏まえて上での提案をする。

「場所を変えましょうか。近くのカフェにでも」

「あぁ、そうですね。じゃあ団地の敷地内にベンチがあるのでそこで」

 その久美の返答は、ずいぶん明瞭だった。豹変したともいえる。ちらりと出た舌は、先端が二股に別れているように見えた。

 梓馬は違和感を覚えた。不健康そうな顔つきと合わないのは当然として、それ以上に奇妙なのは、こちらがカフェを提案したにも関わらず、即座に違う場所を指定してきたことだ。それも具体的な場所を。

 久美は「ちょっと出てくる」と誰ともなく声をかけ、梓馬と沙月も追従した。

団地とはどこも古く、建物に使われている色のすべてが抜け始めている。足元の淡い緑色の階段に一歩ずつ足を下ろしていくと、三階にいながら地下に潜っていく心境になる。ここで梓馬は、自分が恐怖していることに気付いた。

 久美には疑問に思う部分もあるが、いまのところ対立関係にはない。このまますべてが順調に進めば、一時間後くらいにはいろんなことがわかっているはずだ。朱里はやはり善人だったと、いう証拠が手に入るかもしれない。また、妊娠させた男の手がかりにおいては、得られる可能性が高い。

 ここに梓馬の恐怖がある。

 朱里は誰かとセックスをしていた。代理母出産という線も考えたが、それを幹彦や紀子が知らないのはおかしい。ならば確実に朱里は、誰かとセックスをしている。その際にはきっと、男性器を口に含みもしたはずだ。

 その事実があるだけで、暗い結果が待っていることは約束されている。

梓馬が団地の階段を一階まで下りきるころには、心は地下まで下りていた。

 敷地内を歩いていく久美が足を止めたのは、棟と棟の間にある開けた道だった。街灯と樹木が等間隔で並んでいる。その足元にベンチがあった。

 ベンチは背もたれがアーチ型になっており、留め具は最近交換されたのか、ずいぶん新しい。久美はさっと座り込むと、背もたれを利用して背中の筋肉を伸ばした。つい先ほど母親に叱られて泣いていたとは思えないほど、リラックスした雰囲気だった。

 梓馬と沙月の二人は、自分たちがどこに座るべきか決められず、向かい合って久美を見下ろす形になっていた。もし自分たちも腰をおろせば、三人で並んで座ることになってしまう。それでは久美の仕草と表情を見ることができない。

いまからでも場所を変えるべきか――

 梓馬は半ば、そうしたほうがいいだろうと思いながら、しかし久美の提案を蹴ることもまずいとも思っていた。この場所は確かに周囲に人がいないので、聞かれたくない話はできる。

「ではまず、久美さんが合われた被害について、できるだけ客観的にお聞かせ願います」

 梓馬はそう言うとアスファルトに尻をつけた。相手よりも低い位置を心掛けた結果だ。隣の沙月は一瞬迷ってから、中腰になることを選んだ。

梓馬の尻に、アスファルトの凹凸が刻まれていく。安物とはいえ初めて買ったスーツ、躊躇いはあった。しかし生活の見通しが立つうちは、金銭の優先順位はさほど高くない。情報や経験の方が、よほど価値がある。

「はあ……」

 幸代に似た口調で、久美は気乗りしない肯定を吐いた。

 さっさと全部話せと言いたいのを我慢して、梓馬は柔和な空気を崩さない。

「言いたくないことは、言わなくて結構ですよ。なんでもいいです。最初は全然関係ない話からのほうが、いいかもしれませんね」

 もちろんこれは、すべてを語ってもらうための布石だ。人間は話すのが大好きで、一度でも口を開けば脳が興奮し始める。伏せたい内容の重さに左右されるが、トリガーを軽くするのにはまずまずのスタートだった。

 久美は「ふむ」と言ってから口火を切った。

「じゃあ、素朴な疑問いいですか?」

「なんでもどうぞ」

 梓馬は目を細めて、わかりやすく顔を縦に振る。なんとなく、久美もお金について訊いてくるのかなと思っていた。

「今日は私の被害の話を聞きに来たんですよね。じゃあなんで一回目の連絡では、朱里ちゃんについての話を聞かせてほしかったんですか?」

 梓馬は硬直した。情報量ではなく、質の問題だ。視界の端で沙月が、こちらを見ているのがわかる。できるなら梓馬もまた顔を見合わせ、相談すらしたかった。しかしそんな時間はない。すぐに答えなければ怪しまれる。

「えっと、それはですね……。申し訳ありませんが、答えることができません。私どもがもっとも優先するのは、被害に合われた方々のプライバシーです。ですから非礼だとわかってますが、他の被害者の方の話は申し上げるわけにはいかないのです」

 少々きつい言い訳だったが、梓馬の立場的にはありそうな解答でもある。咄嗟にしてはまずまずの返しだと自分で思った。

 プライバシーの順守は、久美に対して安心してもいいと告げている。そして同時に、自分たちが被害の内容を知らないということも隠蔽できる。

「そうですか」

 久美はそう言うと腕を組んだ。

「おそらく答えられることは多くありません」

「そうですか……」

 久美の暗い目が遠くを見る。

 梓馬はこれを、思考の海に潜っていると読む。考えてからしゃべるタイプの人間だと。

 久美との対面の状況から、塞ぎがちな暗い人物だと思っていた。この読み違いがなければ、関係ない話からとは提案しなかった。お互いのメリットとデメリット、その確認をしていたはずだ。金銭の話をほうが、コントロールしやすい。

 梓馬はとにかく、話の主導権を自分に戻すことを優先した。

「この場所は久美さんが落ち着く場所ですか?」

 久美はすぐに答えない。いくらかの間をおいてから、素っ気なく答える。

「……そうですね」

 ちらりと舌が見えた気がした。まだ別のなにかを考えているようだ。長考は思考を隠蔽できるが、それだけ重要なことがあると告白してもいる。

 梓馬は質問を細かく刻むことにした。

「緑があって落ち着きますよね。子供のころからよく使っているんですか?」

「いえ、まあ」

 久美は意外にも即答した。そして「いえ」という否定のあとに、「まあ」という消極的な肯定。梓馬は感覚に頼りつつ、本命は否定だろうと判断した。

「近くにホームセンターがあって便利ですね。昔からここに住んでるんですか?」

「中学生のときからですね」

 この返答をもとに、梓馬は一つの仮説を思いついた。それを匂わせてみる。

「なるほど、いいですね。中学時代にこんなベンチがあったら、友達とついつい話し込んでしまいそうだ。ここなら夜遅くても怖くないですしね」

 なんてことはない世間話、それを装った。

「ああ、確かにそうですね」

 気のない返事だ。そんなこと、まるで考えたこともないというような。

 なるほど、だからこの場所を提案したのか――

 久美の狙いは、自分の秘密と安全の保持のためだった。

 このベンチの周囲に住人はいない。多少話したところで、団地の部屋のなかまで声は届かない。これで話の秘密は保持された。

 このベンチは棟と棟の間にある。大勢の人間が、瞬時にこの場所を目視することができる。一度でも悲鳴を上げれば、すぐに警察に通報が入るだろう。そして噂好きな住人たちが、いまも影からこちらを見ている可能性がある。これで久美の安全は保持された。

 被害者の会だと告げて久美のこの対応では、もはや信頼を得るのは難しい。方針の変更が必要だった。想定していた事態とはまるで違う状況だとわかったいま、用意してきた手段が通用するわけがない。しかしどうすればいいのか、想像もつかない。情報を拾おうにも、久美は肝心なことは言わない。

 仮初の主導権は、まだ梓馬の手中にある。このまま黙っているわけにはいかない。しかしなにも手を思いつかない。苦しんだ梓馬は、耳たぶを指で摘まんだ。主導権を久美に返すくらいなら、沙月に渡したほうがいいと。

 ずっと言いたいことがあったのか、沙月はうんと頷くと間を置かずにしゃべり始めた。

「言いたくない気持ちはわかるよ、私も同じ目にあったから」

「嘘……」

 久美が固まった。その隣で梓馬も固まっていた。

 いや、さすがに嘘か。だがいい選択だ――

 上手く躱され続けていた梓馬と違い、沙月の言葉は少なくとも、久美から硬直を取るだけの威力を見せた。

 沙月は中腰ながら、堂々と相手を見上げていた。

「あたしはさ、朱里がどんなふうに関わってるか知らないんだよ。被害者だって言う人もいるし、加害者だって言う人もいる。私は朱里と友達だから、悪く言われたら守らなきゃならない。でもそれはあなたも同じでしょ?」

 沙月はいくらかの知性を使って、どうとでも取れるような表現で、しかし根っからの本心を述べた。

 久美は目を点のようにして動かさず、頭の中で慎重に言葉を選んでいる。

 梓馬はその様子を困っていると読んでいたが、久美から出た質問は実に鋭いものだった。

「朱里ちゃんは元気?」

「え……」

 今度は沙月が固まる番だった。貝のような姿勢を維持しているのは、言うべきか迷っているからではない。言いたくないという一心が、口を結んでいる。

 久美はその様子から、頭のなかにあった推測を結論に移行させた。

「朱里ちゃんはここに来られないんだね?」

 その言葉は梓馬の背筋を走った。

この短時間でどうやって気付いたのか。どうやって他の可能性を排除したのか。自分ではまるで見当がつかない。目の前の蛇のような女に対して、警戒心が募っていく。

間違いない。大橋久美は格上だ――

「もう二度と来ることはないよ……」

 沙月は俯いたままそう告げた。

「やっぱり……」

 なにかを察した久美は、手で口元を覆った。驚いたというジェスチャーではあったが、口を隠したかったのかもしれない。少し口角が上がっていたからだ。

この反応を見て、梓馬は自分が格下と認めながらも、まだチャンスはあると踏んだ。

「久美さん、やっぱりと言いましたね。なにか根拠を持ってるんですか?」

「…………」

 久美は無反応だった。だがこれは硬直ではなく、思考に潜っている最中だ。この反応は、「根拠を持っている」と答えているのに等しい。

 大橋久美は推論を立てるという攻撃能力において、市原梓馬を上回っている。だが自分の考えを隠蔽するという防御能力においてはそうではない。

 攻めれば勝てる――

 梓馬は土下座をした。

「お願いします。久美さんが持っている情報を聞かせてください」

「じゃあ先に弱点を見せてください。そうでないと信じられません」

 梓馬は地面を見ながら、久美に餌を巻いた。

「ではこちらの最大のカードを。俺は犯罪シンポジウムの人間じゃない。危険だと判断したら警察に通報してくれて構わない」

「やっぱり……」

 久美はまたも緩む口元を、手で隠した。自分の推論が当たることに興奮している。

 梓馬がいまもたらした情報は、すでに看破されていることだ。その情報の価値相場に意識を向けられないうちに、さらに興奮を煽っていく。

「どうやったら気付けた? ばれる要素はなかったように思うが」

 思わぬ衝撃に、仮面を外したかのような言動。もちろんこれは演技だ。

 久美は気を良くして、自分の思考を体外へ出していく。

「元々疑ってたわ。うちはもう和解金をもらってるの。だから被害者の会なんて、絶対に嘘だと思った」

「なるほど……」

 梓馬の脳裏に手がかりだったものが浮かんでいく。新車の出迎え、大型テレビ、高級ブランドバッグに空気清浄機。どれもこれも、部屋のなかで浮いていた。あれらは和解金で買ったものだ。

 久美はさらに自分の知性を披露したく、解説を続けていく。

「でも決定的だったのは、被害者のプライバシーを守ると言ったことよ。一回目の電話で朱里ちゃんの名前を出しちゃってるのに、信用できるわけないじゃない」

 確かにっ――

「なるほど、気付かなかったな」

 言いながら、梓馬もまた思考を動かしていく。和解金というワードは、最悪のルートへの近道だった。だがここで犯罪のことを訊くのはまだ早い。その判断から、先ほどの疑問をクッションにすることにした。

「さっき朱里がここに来れないと言ったな。そのことに気付いた根拠を聞かせてくれ」

「…………」

 ここはさすがに久美も躊躇う。

 梓馬はさらに土下座を深くして頼み込んだ。

「頼む、教えてくれ。どうして気付けた。それだけが本当にわからないんだ」

「…………」

 久美はこれでも沈黙を守る。

 その後も梓馬は「頼む」とくり返した。土下座の頭の位置を、何度も調整した。自分はあなたより劣っていると演じ続けた。それでも進展する気配はない。

 久美のなかに、言いたい、知性を見せつけたい、という欲望があるのはわかっている。それをもっと刺激できる強い言葉が必要だと、梓馬はさらに思考の海に深く潜っていこうとした。しかしそのとき、ポケットのスマートフォンが振動し、思考が陸へと引き上げられる。

 こんなときにいったい誰が。そう思って浮かぶのは、いまもっとも話をしたくない相手。加賀美幹彦の顔だった。かつて自分が攻撃に使った言葉が蘇る。

 失敗ってわかっている手段に、いつまでもしがみつかないでくださいよ――

 脳内でそれが響くと、意識に明瞭さが戻ってきた。本当にそのとおりだと、自分を恥じる。人に言っておいて、自分もまた同じことをしている。押してだめなら引け、この言葉がどれほど昔から存在していたか。

 ポケットで震えるスマートフォンを無視して、梓馬は見つけた言葉を吐き出すことにした。

「なあ、本当は誰かから聞いたんじゃないのか?」

 この言葉に久美の顔が途端に歪む。蛇のようだった目が、鬼のように変化する。

 当然の結果だ。自分の才能に喜んでいるところに、他人のおかげではないかと言った。久美からすれば、更なる力を見せつけたくなるに決まっている。だが実際に久美の口から出た言葉は、梓馬の想像を超えるものだった。

「ねえ、横山さんっていったい何者なの?」

 頭に浮かぶ横山という苗字。それが徐々に形を変えて、男の姿へと変わっていく。そこにある顔は、梓馬の妄想のなかでいつも朱里の体を味わっている男のものだった。いまもその男の指が、朱里の女性器を乱暴にかきまわしている。

 梓馬は思わず立ち上がっていた。

「誰だ、その横山って奴は」

「え……」

「そいつから朱里のことを聞いたのか?」

「あの……、怖いんだけど」

「いいから教えてくれ」

 久美はいささか逡巡すると、ぽつりと言った。

「私は、あなたのことを訊いてるんだけど……」

 横山さんはフルネームを横山司といい、日本・犯罪シンポジウムの品川区支部に所属する男だ。

「あ、あぁ、俺のことか……」

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