第9話 奇跡(きせき)

「奇跡が起こったということは、そこに神の意思があるということです」


 ランスロットは水をひとくち飲んで、


「思い出してごらんなさい。あなたが輝きを戻した天井画には、何が?」

「六曜の聖者たちと、天使が」


 花曜日の聖女フラ、星曜日の聖レトワ、風曜日の聖ヴァン、雨曜日の聖女ベル、海曜日の聖女サラ、陸曜日の聖カルル。


「新暦の聖女であらせられる貴女の最初の奇跡が、旧暦の聖者たちの回廊を回復させたこと。そこにただならぬものを私は感じるのです」


 旧暦の懐かしい六聖人。

 新暦のいきさつも知らぬのに思いもよらず列聖された新顔に過ぎない私にとっては、畏れ多いことをしてしまったという思いが強い。皮肉な巡り合わせのように申すものもあるかもしれない。


「私のような者が」

「何をおっしゃられます! これから先、月日を重ねてゆきますごとに、あの奇跡は信心深い者たちにとって、どれだけの重みをましてゆきますことか」


 魔獣人でありながら、ランスロットは信仰につき並々ならぬ理解があるらしい。


「それに、こうお思いにはなりませんか?」


 言葉の端々に熱が感じられる。


「神は、旧暦に思いを寄せる人間たちの信心を、お見捨てなどされなかったのでは? 闇で聖画を買い求め、ひそかな信心のいまだ生きているところ、聖者たちの力が消え去ったというのは見せかけなのでは?」


 私はなんとか話に追いつこうとした。


「旧暦の聖者には、追われてなお神の祝福とその力があると?」


 ランスロットはうなずいた。


「天界の消息にかかわること、このヒヨドリの及ばぬところとは存じておりますが。

 さあ、カルルのやつ、お茶も届けてくれたようですよ、こちらもいただきましょう」


 私たちがこんな話をしているあいだに、ドロテア、アッシュ、レネ、カルルは、焚き火あとのまわりを囲むように座っていた。朝食を終えて、茶を飲んでいた。


   ◆


 レネがお茶をふうふう冷ましている。ご想像の通り猫舌なのだ。

 朝食時のドロテアたちは、人間の姿を取っていた。

 この旅の間、どちらの姿でいるほうがランジュの安全のためによいか、まだ意見はまとまっていなかったが、食事中の様子を目撃されたときに、魔獣人に囲まれた人間の子供のカルルがどう思われるかということを心配した。

 魔獣人に捕らわれた人間の子供、と見られれば、ひと悶着あるだろう。また、魔獣人に変じる前の、子供の魔獣人と見られて追われることも案じられていた。


 かようになかなか事情はこみ入っていたのだが、鳥の魔獣人であるランスロットだけは鷹揚にしていて、見られたところでカルルの飼い鳥ととぼけていればよい、場所も取らない、と、旅の間はヒヨドリの姿と決まっていた。


「ねえ、あたしたち、これからどこに行くのよ?」


 ドロテアが言った。


「革命政府にも、法王庁にも、見つかると面倒なんだから、いっそのこと、この森に一日隠れてたほうがいいんじゃないの?」

「ランジュの替え玉に、どこかの死人を遣う奴さえいなけりゃそうするが?」


 アッシュが冷ややかだ。


「……冗談です」


 カルルが笑って、ドロテアに二杯目の茶を注いだ。

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