聖女廟

第6話 聖女廟(せいじょびょう)

 そもそもの話。

 二百年ほど前に子供たちを守り、けしからぬ魔獣人と戦って殉職した村の訓導、ランジュ・シトラスが法王庁より〈聖女〉と認定されたことには誰も異存がなかったのである。かの出来事を長く後世に伝えるため、この廟は建てられた。

 認定されて〈聖女〉〈聖人〉となることは、〈列聖〉とは区別される。この時点でランジュ・シトラスは廟に祀られ、よき徳を衆生に示す死後の栄誉を得たに過ぎない。

 ここは山野の合間にある。

 田園に囲まれて、水は清らか緑は深く、穏やかな土地であるだけが取り柄の、特段名物もない村なのだが、世の人の心には誰しも少なからずそれぞれの恩師の面影があろう。

 その面影をしのばずには居られなくなる挿話を持つランジュ・シトラスの廟があるということで、ひとり、ふたり、と、訪れるものが増えていった。


「いらっしゃい」


 そうしてこの廟は、いつしか名所となった。


「一枚は、おばあちゃんに。一枚は私に」


 土産物の聖画イコンはよく売れた。絵筆を携えた聖女ランジュのご利益は、歌舞音曲、絵画書道、手芸工芸の上達、また、魔獣人を倒したので武運長久。おそらく本人は当惑するような〈ご利益〉まで、まことしやかに伝えられたのである。

 聖女ランジュ廟は、かようにして多くの旅人を引き寄せたため、村には宿屋が増えた。飯屋も増えた。土産屋も増えた。この二百年ほどは、そのようなにぎやかさの中に日々の暮らしは紡がれていた。


   ◆


「本当なのかよう」


 村の子どもが炭焼小屋で、父親の背中にのの字を書いている。


「む。くすぐったいなあ」


 炭を焼く火をまた細くして、父親は汗と煤で黒くなった顔で笑った。


「聖女ランジュ様が花曜日の聖女になってからも、おいらたちの村はお客さんの数はそんなに変わらなくてよかったけどよ、よそではそうじゃないって、本当なのかよう」


 長く聖女廟を名所としていたこの村であるが、他の曜日の聖人、聖女の廟はそうでないようだ。


「お前はこの村で育ったから、世間が狭くていけない」


 父親は父親らしく申した。


「聖アントン様は船乗りの聖人だし、雨曜日の聖女イリス様は花屋の聖女様だ。みんな、その仕事をしている人たちの聖人なんだよ」


 それぞれの職能ギルドで祀られているために、その廟も職場の片隅に置かれ、ひっそりと守られているのが通例なのである。廟を詣でる客足の話などばちあたりだ。


「ランジュ様は、先生だよ?」

「そこなんだよ」


 聖女ランジュの異質なところはまさにそれだ。


「先生なのに、技芸のご利益があったり、武芸にご利益があったり、風変わりだろう?」

「そうだなあ」

「ほかとは違うのさ」

「じゃあ、聖女ナジェ様は?」


 天気読みの聖女。学者である。


「うむ。学問の聖女様だな」

「ランジュ様も先生だけど、遠慮しちまったのかね? それで、芸事のほうを任されたのかな?」

「どうなんだろうなあ」


 父親は答えに窮し、麻袋から焼き菓子を出して息子に与えた。

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