第5話 謀反(むほん)、そして出奔(しゅっぽん)

「アッシュ兄ちゃん」


 村の子供、トンミイが画帳を広げて難しい顔をしていた。


「おじいちゃんが習ってた、ランジュ・シトラス先生の顔はこれで合ってるの?」

「おお、よく似ているとも」


 栗色の巻き髪、薔薇色の頬、果実のようにみずみずしい唇。

 どこへ出しても恥ずかしくない腕前だ。


「おじいちゃん、これは違うって言いかけて、父ちゃんに口ふさがれてたんだけど」

「これは観光名所のランジュ訓導廟に飾るんだから、多少のお化粧はランジュも許してくれるさ」

「そんなもんかなあ」

「ほんとのランジュは、俺たちの胸の中だけでいいじゃないか」

「そんなもんかなあ」

「名所になって、村に金を集めてくれるんだよ。ランジュも笑って許してくれるさ」

「そんなもんかなあ」


   * *


 夜明けの頃、私たちは都のはずれにいた。

 日が昇ると。

 戦乱に疲れ、荒れ果てた都の姿がそこにあった。


「これが今の、この地のありさま」

「なのに革命政府は、革命歴の六曜の聖者を制定したときから旧暦の聖者の聖画を新たに描くことを禁じた。みんな祈らなきゃやってられないのに。だから僕は闇で描いて売っていたのさ」


 六曜の聖者に祈り、神に祈り。それらは届かず、革命の名のもとに蹂躙され続けていたのか。


「私たちが『違う』って言えば、あなたは〈聖女〉じゃないのよ。ばれるまでしばらく隠れ住んでもいいんじゃない? さっそく疲れたでしょ」


 ドロテアが、どこまで本気なのかわからないことを言い出した。


「あなたを召喚したと誰が主張したところでね。ヴァンでも、ハーネル枢機卿でも駄目。首検分の権限は私たちにあるの。私たちが『この人は私たちの旅の仲間でランジュ・シトラスじゃない』と言いさえすればね」

「でも儀式から逃げたとして、お尋ね者みたいな扱いじゃない。それに私、天井画も直してしまったし、死人しびとの追手を浄化してしまったし、わかってしまうのも時間の問題。あなたたち、きっと今ごろクビよ」

「そこは失敗したよなあ」


 アッシュがぼやいた。


「今からすんません、て戻って、儀式をやってもらえば丸く収まるかね。ただ、ランジュはこの通りここにいるから祭壇には現れない。どうなるんだよ法王庁。法王決まらないぞ。

 しょうがねえなあ、とりあえず朝飯でも食うか」

「ちぇ」


 カルルもぼやいた。


「お尋ね者じゃあ僕の聖画、取りに戻られないなあ。いっぱい描いたのにな」

「あなたはどうしたいの? ランジュ」


 どうしたいと言われても。


「……聖女らしく思し召しのままにするべきかと思うのだけれど……」


 私を遣わした神はどこにおわし、この地を眺めておられるのか?


「まだ自分の力もよくわからないし」


 朝の陽はますます明るく照らしはじめた。


「ねえ。やっぱり正しく召喚しちゃったんじゃないの? こんなゴタゴタして、こわい追手を寄越すような法王候補たちなんて、神様も嫌いなんじゃないの?」

「カルル。そんなことを」


 聖女らしくたしなめてみたが、ほんとうに神の御心はわからない。


「なんだ、あれ?」


 カルルは今度は遠くになにかを見つけたらしく、指をさす。

 馬車だ。こちらへ向かっている。


「追手かしら」

「いや、どうも違う」


 大きな黒い馬が二頭。

 馭者も大柄に見える。

 革命政府か、法王庁か。それとも。


「あっ、ランスロット兄ちゃん! レネ姉さん!」

「ごきげんよう、わが聖女。はじめまして」


 大柄な馭者は、灰色猫の魔獣人、レネだった。肩に鳥が止まっている。ヒヨドリだ。


「お前さんたち、とりあえず馬車だ。都を離れたほうが気楽だぜ。闇で売ってる聖画を描いてたあの隠れ家もバレちまってるみたいだからな」


 ヒヨドリが喋った。ランスロット兄ちゃんとは、このヒヨドリらしい。鳥の魔獣人なのだろう。


「そうだなあ」

「早く乗れ。中には食料もある。あ、カルル、絵の具箱も積んだぞ」

「お、わかってるなあ」


 レネにうながされて私たちは乗り込んだ。


「さてさて」

「長旅になるかもね」


 アッシュもドロテアも、のんびりしているけれど。


「よろしくね」


 私も心を決めた。なぜなら〈聖女ランジュ〉は私。荒れ果てたこの地に遣わされ、これからきっと、使命に導かれてゆく。


「行くぞ」


 旅の始まりだった。

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