第3話 画策(かくさく)
なんてことだ。まさか聖者と同じ名前の奴が、あんなことをするなんて。
ごめんね。あんたも魔獣人なのにこんな話。
でも、酷いじゃないか。襲ってきた革命軍。襲ってきたことも酷いけど、革命兵士だよ。
見れば半分以上、
これで死人使いが指揮をしているのは間違いないな。魔獣人も人間も、死んでからもこき使って。聖者と同じ名前の奴が!
本当にこの革命とやらは、意義があるのかい? 意志のない革命兵士が、町を襲っているんだぜ? ……かわいそうなマチルド。同じ魔獣人の子供まで犠牲にして。
『戦禍の聞き取り帳』から。
【検閲削除済】
* *
私たちは追手をなんとか巻いて、路地から路地を巡り、とある店の前に出た。夜のことで、閉まっている。
「『キンポウゲ野原を見つけた』」
裏口でアッシュが合言葉らしきものを言うと、扉は開いた。
「ご無事で」
人間の男の子が眠たそうにしていたのだが、私の姿を見て目をぱちくりとした。
「あっ、ひょっとして」
「そうよ。聖女ランジュ様よ」
なんだか拍子抜けした顔をされた。
「急いでこちらへ」
導かれて行く先は、床下に備えられた隠し階段を下りた先にあった。
「どうぞ。ここは昔は人気の酒場だったところでね、悪くないとこですよ」
白い壁の、広々とした部屋には。
「
壁一面に、大小の聖者の絵姿がかけられていた。
花曜日の聖女フラ、星曜日の聖レトワ、風曜日の聖ヴァン、雨曜日の聖女ベル、海曜日の聖女サラ、陸曜日の聖カルル。
フラは熊手を持っている。レトワは望遠鏡を持っている。ヴァンは黒板の前に立っている。ベルは櫛を持っている。サラは鉢を持っている。カルルは猫を抱いている。
「もったいないお姿を、まあ」
「僕がみんな描いたんだ」
男の子が得意げに言った。
「よく描けているわ。手がとても上手。色の選び方も素敵よ」
思わず絵画教師に戻ってしまったが、実によい絵だった。
「今では旧暦の
男の子はカルルという。しかし花曜日の生まれだとか。
「僕は聖女フラのご加護で、それもありがたいですよ。でも、革命暦では聖女ランジュ、絵描き冥利に尽きるあなた様のご加護を、というのは気に入っているんで、どっちの暦がどうということは思っちゃいないんですがね。どうせ偉い連中だけがゴタゴタしてるんだ。聖者は聖者ですよ」
子供なのに達観している。
革命軍の十年。よほど振り回されたのだろう。申し訳ない気持になる。
「これが〈聖女ランジュ〉の聖画だよ。このあいだ列聖されたばかりの六曜の聖者は、そのそれぞれの祠に伝わる肖像を参考にしてる」
手のひらに入るような小さな聖画を渡される。
驚いた。
「これは……」
まるで女神のように美化された自分の似姿がそこにあった。栗色の髪は女優のように巻かれて金粉でも振りかけられているように輝き、頬は薔薇色で、唇は果実のようにみずみずしい。
ひょっとしたらさっき、拍子抜けされたのはこのせい?
と、思ったら。
「いやあ、報せを聞いて驚きました。先ほどは妙な顔をしちまって失敬」
カルルはさらにこう言った。
「明日の召喚の儀式のために枢機卿様からご指名されて、あの二人が法王庁に連れていかれたのも驚きましたが、まさかあなたが儀式もなく出現されるとは」
「……儀式もなく? そして、儀式は明日だったの?」
「ああ、カルル。その話は順を追ってするところだったんだよ、喋りすぎだ。
ランジュ」
ドロテアとアッシュが奥の部屋を整えた、と呼びに来た。あなた方、どうなってるの? 〈夢告げ〉は? 儀式は?
「俺たちは十日前から儀式のため、君の生前を知る証人として法王庁に呼ばれていたのさ。召喚後、顔を確認する役目のためにね。毎日申し含め、申し送り続きでくたびれたよ」
「私たちの証言ひとつで聖女召喚がひっくり返るような大役だったんだけど、あなたに関わることだから引き受けるべきだと思ったの。……でも驚いたわ」
二人は法王庁の見学を許されていたので、儀式に用いられる祭壇の前に立った。二人の候補のために二つ並んでいる。明日、どちらかに聖女は召喚され、法王が決まる。
「どんな形でも、ランジュに会えるのは嬉しいね、とか話していたんだよ」
ところがそのとき。
「私があらわれた?」
「そう。儀式前なのに。あの白い服を着て、君が横たわっていた。私たちがたまたま前に立っていた右の祭壇のほうに」
それで。
「なんていうかさ。勝手に身体が動いたのよ」
「俺たちの係の方には悪いことをしたけれど」
気づいたら私をさらっていたのだという。
それであの司祭服の入手方法も理解できた。この二人は時々乱暴なところもある。
「でも君はほんとうのランジュで、ほんとうの聖女だ。まあ、奥で座って話そう」
立ち上がりしなに。
「
カルルの声で振り返ると。
聖女フラ。聖レトワ。聖ヴァン。聖女ベル。聖女サラ。聖カルル。
すべての
「すごいな。きっと新しい聖女として、迎えられたんだ。ひょっとしたら、正しい召喚をしちゃったんだったりして? アッシュ兄ちゃん、ドロテア姉さん?」
「バカなこと言わないで」
そんなやり取りの間、私は自分の身の上に起こったことの大きさと恐ろしさで頭がいっぱいになってしまったけれど、カルルがお茶を淹れてくれ、私たちは卓についた。
とにかく今は、二百年間の話を聞かなければならない。
「俺とドロテアは、君が亡くなってからも村にいた。仕事で数年離れることもあったけれど、家はずっと村にあって、君がいた頃のように穏やかに暮らしていたんだ」
魔獣人のうち、人間とともに暮らすことを選んだ人たちは、私の祖父母の時代あたりからいた。
村のことしか知らないうちは、どこでもそれなりに人間と魔獣人はうまくやっているものだと思っていたのだが、大人になってからそうでもないことを思い知らされた。
「革命軍は、魔獣人の優位を説く一派からあらわれた。寿命が長いほうが世を統治するべきだとね。根拠が薄いのに、飛び付く魔獣人も多かった。人間が何かを成し遂げるまでの世代交代がまどろっこしかったらしいよ。うまく引き継がれなくて価値あるものが潰された例を見すぎたのかもしれない。まあ、それはいいんだ」
たしかに魔獣人は五百年以上生きる。子供の姿だったドロテアから私のおばあちゃんの小さい頃を聞いたことがある。木登りして降りられなくなった猫を、梯子をかけて助けたって。
「革命軍を率いていたのは、猫の魔獣人、ヴァンという名の奴だ」
風曜日の聖人と同じ名前とは。
「彼が執拗に侵攻をあちこちに仕掛け、結果はこの通り革命政府樹立となった。
しかし法王庁は人間なしには成り立たない。そうなると、そこだけが人間の拠り所となるからかえって求心力を強めていく」
「そこなのよ」
ドロテアが憂鬱そうに息を吐く。
「ヴァンは、そこに手を入れようと考えていたはずなの。先の法王に革命歴の六曜の聖者を列聖させて、その心労で帰天されたと見るや、〈魔獣人である自分も列聖の力を神のお告げとともに授かった〉と主張をはじめた。それが、あの例の〈夢告げ〉だと言うの。
実はね。これは革命軍の機密事項なんだけど」
ドロテアが声をひそめた。
「勢いの衰えを知らない革命軍を率いていたヴァンは、
アッシュと、黙って話を聞いていたカルルまでがうなずいた。
「〈夢告げ〉のことを聞いたとき、ヴァンは死人遣いのわざを利用して、〈召喚〉と称してランジュに似せた死人を連れてくるのだろう。そのための作り話だろう。私たちそう思っていたのよね。
でも法王庁もその話を飲んだ。かえって人間の候補の優位を示す機会と考えたのかもしれない。いろんな思惑がある話ね」
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