第10話 特別急行・新幹線
第六話で「鈍行列車」という題目を見た方の中で、新幹線が別枠にあると思われた方はどれほどいらっしゃっただろうか。
両者とも鉄軌を進み、多くの人を輸送するのに適した交通手段であることは共通しており、わざわざ分ける必要もないと思う方もいらっしゃるだろう。
しかし、路線バスと高速バスが別物であるように、ボートとフェリーが別物であるように、鈍行列車と急行・新幹線は別枠に入れるべきと私は考えている。
前回で触れたように、交通手段には二種類あると考えているのだが、急行列車や新幹線は都市間を移動するために存在し、飛行機の仲間である。
飛行機やフェリーとの違いは自由に乗り降りできる点であり、出費を考えなければ気になる都市で途中下車しても一向に構わない。
一方で平均速度は鈍行列車と比べて極めて大きく、長距離を往く旅にとってありがたい存在である。
特に新幹線は博多と大阪を二時間半で結んでしまうとあって、出張で上司がよく利用している。
ただ、それと同時に若干の敷居の高さを感じずにはいられない。
決して乗れないということはないのだが、ヒトリタビで乗り込む際には少々身なりを整えるようにしている。
擦れたおじさんのことなど誰も気にしてはいないのだろうが、何か一つの礼儀のような気がしてせめて清潔にした服で乗るようになった。
流石に靴を脱ぐようなことはせぬが……。
さて、今度の年末年始は全席指定の新幹線が運航されるとの話題があったが、疫病の後の観光需要を考えれば致し方なしと思わないでもない。
しかし、それはあまりにも新幹線の良さを奪うものであり、一両でも自由席を残してほしいともっているのが実際だ。
それというのも、平成と令和の境となった黄金週間で東北・関東に遊んだところ、飛行機を逃してしまい、立ち往生した経験がある。
もしもこれが全席指定となっていれば、指定席の取得が間に合わず、東京から鈍行列車で長征する羽目になっていたことだろう。
それが柿の葉寿司と缶ビールを楽しむゆとりに変わったのは、鉄道の持つ冗長性のお陰であった。
新幹線や特急の冗長性といえば、車内販売もそのほとんどが失われてしまった。
昔は特急列車に乗り、紙カップのホットコーヒーとワッフルでも買ってモーニングとするか、缶麦酒と焼売を求めてモーニングとするかひとしきり悩んだものである。
コンビニなどの発達で車内販売の必要性が低下したという理由を見かけたが、それはまやかしであろう。
なぜなら、単純に乗車前の買い物が車内販売の不調の原因であるというのなら、駅の売店や立ち食いの繁盛していた頃から調子を落とさねば帳尻が合わぬからだ。
人件費や人材確保という観点の方がまだ素直に頷ける。
そうした視点で特急や新幹線に乗った際の周囲を思い返してみると、移動の持つ価値が変わったのではなかろうか。
以前から旅をするにあたって目的地での行動に意識の重心はあったのだろうが、それでも、やはり車内で販売されるものの変化で旅情を感じていたように思う。
広島の辺りでは牡蠣や穴子飯が声高に商われ、近畿に入れば柿の葉寿司が幅を利かせる。
土産物の案内を聞くだけで自分の居場所が思い起こされ、景色の移り変わりと共に海馬へと周囲の喧騒が刻まれていく。
本を読んでいようと景色を眺めようと、普段は味わえぬ冗長な時間が心地よかったものだが、それを動画や絶え間ない顔も合わせぬ者とのやり取りで埋め尽くしてしまえば、他のものが入る余地はない。
よい言い方をすれば時間効率が高い旅となるのだろうが、それはどうあがいても普段着を脱ぎ捨てられぬ移動になってしまう。
鉛筆は 研げば研ぐほど 尖りゆく いずれは芯も 粉となるらし
客車にも 居間を持ち込み 今に生き 己を「今」に 縛る憐み
手段は手段であって目的にしてはならないと、仕事で散々に言われ続ける名言がある。
しかし、ヒトリタビにおいてこの名言は、そっと家に置き忘れてくるか駅舎の屑籠に放り投げてくることをお勧めしたい。
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