第2話 旅の食
旅行の計画を立てる際に、その地の食を調べるのが楽しみという方も多いのではなかろうか。
実際に食べるかどうかは別として、グルメサイトを巡り、レビューを調べ、どの店で何を食べようかと思案するのは今や自然な光景となりつつある。
そのような他愛もない会話をカフェや食事処でしているのは何とも微笑ましい光景なのだが、それと同時にどこか畏敬を感じるようになってしまった。
特に、旅程と食事の組み立てを細やかにしている様を見ると、三十路を過ぎた我が身の在り方に震えを抑えられぬ。
話が逸れてしまったが、ヒトリタビを愛する私は下準備こそするものの、どの店に回るかを事細かに決めることはほとんどない。
昨年の春に四国を回った際など、予定に組み込んでいた店は一つだけであり、今年の夏にいたっては食べたいものだけを決めて列車に飛び乗ったほどである。
故に、私の旅先の食は常に行き当たりばったりであり、充実した旅を求める方からすれば楽しさよりも眩暈のするような惨状に見えてしまうだろう。
そもそも練りに練られた食事の旅というのは、非常に良い物である。
名店を巡り、目的を果たし、美味に耽るというのは贅沢の極みの一つであろう。
どうしても我々のような小市民には時間と予算に限りがあり、その枠の中で日常から精一杯に飛び出すというのだからお見事と褒め称えたいほどだ。
達成感もまたひとしおであると考えられ、そうした旅の話を伺うにつけ、中身以上にその顔にやられてしまう。
また、物書きとして見るのであれば、そうしたイベントの多い旅の方がネタとして扱いやすく、筆も進むのだろうなと羨望を抱かずにはいられない。
あまりにも俗物的な発想だと笑われてしまいそうであるが……。
私が旅に出ようと思う時、まず行き先が決まり、それから頭の地図に持てる食の知識を並べていく。
これまでに食べてきたもの、知人から集めた話、小説やゲームで知り得た知識、何かで見た情報などを並べていけばその地域の全体像が見えてこよう。
私はこれを大局観と呼んでいるが、このような言い方をしては将棋好きの方から怒られはしまいか。
ただ、私はそのほとんどを振るい落としてしまい、狙い目を一つ二つに絞り込んでしまう。
ヒトリタビでは荷物を減らすことが不可欠なのだが、目的もまたそれと同じであまりに抱えすぎるのはちと重い。
年々衰える記憶力を考慮してもそれぐらいがちょうど良いのだ。
こうした考えであるから、私の旅では名物に限らず何でも旺盛にいただく。
別の紀行文で陸奥を旅した際に「サイゼリヤ」に寄ったという話を書いたが、これはあくまでも一例であり、思い返せば枚挙にいとまがない。
京都でいただいた「なか卯」の親子丼と駅の卵かけご飯に、博多の「マクドナルド」でいただいたチキンフィレオ、青森のデパートの石焼ビビンバ……。
チェーンの飲み屋と立ち食いそばやうどんの店も入れてしまえば、大半がわざわざ旅先でいただくようなものではなくなるだろう。
しかし、先の陸奥の旅では前の席の淑女が品良く珈琲とデザートを楽しまれその街の在り方を垣間見ることができ、青森では「街の早さ」を知ることができた。
知りたい情報をいつでも得られる時代になったからこそ、かえってこの気軽さが私の詩やを拡げてくれる。
そして、名物をいただくのも名店とは限らない。
盛り場を探すのに地図アプリを利用することはあるが、そこで自分の嗅覚を頼りに店を探す。
好ましい店を見つけたところで閉まっているなどということもあるが、何かの縁ということで腐らず次の河岸を求めて歩く。
何が出るかもどのような雰囲気かも戸を開けるまで分からぬが、思わぬ出会いが堪らなく愉しい。
前を向き 香りになびき 街歩き 無知の幸い 噛みしめながら
欠点としては、気ままに入った店で名物を頼みそびれて、土産話で名物を一つも出せぬようになりうることだろうか。
旅の恥は掻き捨てというが、帰宅後のため気になる方にはあまりお勧めできぬ。
私はもう気にならないのだが、世間体を気にして旅をされる場合には注意されたし。
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