第二十五話 魔法使いは死んだ(2)

「竹名君たちからは、君や水巴ちゃん……その他の薬を使っていた生徒についても情報は漏れていないらしい。物理的な証拠は無いし、何より彼らは学生だ。警察の捜査が彼らに向くことも恐らくは無いだろう」


「……まあ、学生が同級生に新薬を臨床試験としてバラまいてました、なんて信じないし、考えもつかないわよね」


「そういうこと。だから心配することわないよ。一応、今後も彼らのことには気を遣っておくさ」


「ありがと」


「おお!素直にお礼するなんて、ツンデレ曲ちゃんにしては珍しいねえ」


「……デレてない」


相変わらずの赤藤の態度に、私はため息をつく。


昼休み。


私は赤藤に剣道場で事後処理について報告を受けていた。


この道場は密談するのにはもってこいだと、剣道部員である彼女が開放しくれた場所である。


私はその畳の上に寝そべりながら彼女の報告を受けていた。


この季節の道場は隙間風が心地よく入り込み、頬を撫でている。


―――気持ちいなあ。


「……いつもよりキレが鈍いねえ。何か気になることでもあるのかい?」


「あんたに付き合うのが疲れるだけよ」


「お!ツンが戻った」


「ツンじゃない……」


寝返りを打ってそう返す。


「……それで?何でこんなところに呼び出したのよ」


「そりゃあここなら誰も聞かれないだろ?」


赤藤は私の横に腰を下ろす。


「文字通り腰を据えるなら、ここが一番だ」


「聞かれたくないならメールでも電話でも、いくらでもあるでしょう?わざわざ面と向かって話す必要はないわ」


「そういうことは顔を見ながら言って欲しいね」


「聞きたいことがあるんでしょう?さっさと聞きなさいよ」


「冷たいなあ……実際に合わないと分からないことも多いだろ?通信だけで済ますのはコミュニケーションとして味気ない」


「……そういうもの?」


「そういうものだよ」


交流関係が広い彼女には、彼女なりのコミュニケーションに対する哲学があるのだろう。


確かに、人と人との間で行うものなのだから効率だけ突き詰めても返って非効率なこともままある―――議論はリモートよりも対面でやった方が上手く行くというのも聞いたことがあるし、彼女が言うことにも一理ある。


―――まあそもそも、友達が少ない私と多い彼女では、後者の意見の方がこの場合は圧倒的に信頼に足るものだし、正論なのだ。


「……別に取り立てて聞きたいことがあるわけじゃない。君の言う通り、報連相をするだけなら直接会わない方が安全だ」


「だったら、どうして呼んだのよ?」


「君が根を詰め過ぎていないのか、少し気になっただけだよ」


「私が疲れてるってこと?お生憎様、この通り元気いっぱいなんだけど?」


「うん、嘘だね」


「……」


「君は羽火が死んだときから、ずっと自分の命が危険に晒されている状態だった。ずっと何かに狙われているような感覚を覚え、心休まるときは無かっただろう。焦燥するのも無理は無い」


彼女は私の強がりを無視して、彼女は私の心の内を見透かす。


―――ああ、成程こいつはその為に私を呼んだのだ。


私が嘘を言っていたらすぐに分かるように、直接顔を突き合わせることを望んだのだ。


私は、結局彼女にも自身の正体を明かした。


彼女の前では、嘘などつけよう筈がないのである。


「何より、今回君は目立って動き過ぎた。ただでさえ危機的状況だったのに、君はこれからさらなる死の恐怖を感じ続けながら生きていかなければならない。それは、とても辛いことだ」


自ら気持ちを語るまでもなく、全て代弁されてしまう。


私が上手く言語化出来そうになかった感情まで、何の違和感なく要約されてしまっている。


……エスパーかよ。


ったく、これの方がよっぽど魔法じゃないか。


「……よく分かるね」


「簡単なことさ。私は、今君がどういう状況に立たされているかを知っている。なたそれと同じ境遇に自分が立った時、何を思うかを想像するだけでいい。自分の感情は推察するだけだ、何も難しいことは無いだろう?」


つまりこいつは、自分の感情なら全て手に取るように把握しているということか?それもまた化け物じみた話だ。


自分の感情を完全に客観視するなんて、殆どの人間は出来ないだろう。


出来ないからこそ、人間は悩むし、失敗する。


「どうだろう?少なくとも私は出来なかったよ」


私は、水巴さんが言われるまで自分の気持ちにまるで気付いていなかった。


「出来るさ。ようは慣れだよ」


彼女は馬鹿にするでもなく、下に見るでもなく、子供に諭すように、答えた。


「―――君は魔法が使えるだけの、ただの人間なんだ。だから、きっと出来る。君の考えが私にも分かったように、ね」


「……そう」


ただの人間……か。


水巴さんにも言われたな。


私はそれを言われて、何を感じたのだろう?


嬉れしさか、怒りか。


―――私には分からなかった。


彼女の言葉通りなら、時間を経るとこの気持ちも理解できるようになるのだろうか?


それすらも、今の私には分からない。


「君はずっと独りだった。周りの人間全てが敵だった。でも今は違う、私と……水巴ちゃんだっている。だから今迄みたいに気を張らなくても構わない」


「……まさか、それを言う為だけに呼んだの?」


「休息も大事だよ。君は私たちよりも強い。その気になれば、一人でだって犯人を捜すことも出来る。けれど君は人間だ。人間は、独りでは限界がある」


独りで生きられる人間なんていない。


もしそれが出来ると本気で思っているのなら、その人は他者からの恩恵に気付いていない視野の狭い人だ。


独りが良いと思っているなら、その人は既に人間として壊れてしまっている人だ。


とある魔法使い―――私に魔法を教え、私が殺してしまった肉親の教えだ。


彼女もまた、私たち魔法使いのことを人間だと考えていたのだろう。


「……説教臭い人間は、それを言わないと気が済まないのかしらね」


「だろうね。これは心理というやつだ。全員に言える、万能の金言さ」


「それ、自分で言う?」


「まあつまり、君が休んでいる間くらいは私たちが守ってやれるっていう、それだけの話だよ」


「……過保護ね。そんなに私が心配?」


「そりゃあ、一週間学校に来なかった人間を信用できる訳ないじゃないか」


「うっ…………」


痛い所を突かれる。


独りで突っ走って、抱え込んで、その末でのあの引き籠りだ。


信頼なんてされる訳がない。


私がこれから先何をするか、それは私にも予測出来ない。


また逃げ出すかもしれないし、塞ぎ込むかもしれない。


今は立ち直っているけど、これは一瞬の躁の状態でしかなく、ふとした拍子にこの前のように無様に逃げ惑うかもしれない。


むしろ私の勇気と決心を、私自身が一番信頼していないのだ。


だから、前を向かしてくれる人間が、私には必要なのだろう。


赤藤もそれを理解している。


「放っといたら君はまた無茶をする。今度は壊れる前に休みたまえ。君は一人ではないんだからね」


「………………」


……改めて言葉にされると、随分と安心するものだ。


確かに、これは面と向かってでないと味わえないものかもしれない。


「……そ。精々こき使ってあげるわ」


「うんうん。その調子だよ、曲ちゃん」


私の素っ気ない答えに、彼女は何が面白いのか、微笑を浮かべながら返した。


……何か、我儘な妹に対する扱いのようで気に食わないが、まあ今回は大目に見ることにしよう。


私は心が広い、大人だから。


「じゃあ今から私寝るから。いい感じの時に起こして」


瞼を閉じて、投げやりに言う。


私は独りじゃない。


その事実を確認したことで、張っていた身体から一気に余力が抜ける。


今はこの空間の心地よさに身を委ねて、眠りにつきたい気分だ。


この数週、失敗しながらも色々頑張ったのだから、これくらいやっても罰は当たらないだろう。


「……はは。了解」


彼女の了承の声を尻目に、私の意識はどんどん現実から遠ざかる。


あの魔法使いが死んでからの怒涛の一月と数週間が頭の中を駆け巡る。













ここ、伏波高校には魔法使いがいる。


名前は漆城羽火。


そして、今年の四月―――その魔法使いは死んだ。


桜の木の下で、無情にもこと切れていた。


しかし、彼女が遺したものは、守ったものは、今も生きている。


それは―――魔法嫌いの魔法使いとか、過去に罪を犯したベルゼブブとか、妖怪じみた人心掌握術を持つ剣道少女とか、とにかくたくさんである。


私はそれらを守りたい。


彼女の意志を、足跡までもを、殺したくはない。








―――私は真ヶ埼曲。


漆城羽火の元クラスメイト。


魔法が大嫌いな、高校二年生。


そこに加えて、本物の魔法使い。


独りじゃなくなった、魔法使い。

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