第二十三話 魔法使いと文学少女(1)


目の前に現れたのは、あの時と同じく、黒く巨大なケルベロス。


あの時と一つ違うのは―――


「…………あっ」


―――それが奇術でも錯覚でも無く、正真正銘本物だということです。


その証拠に、ケルベロスは巨大な四肢を以て竹中君達を凪払ったのです。


彼等は十数メートルほど飛ばされて地面や建物の壁にぶつかり、そこからピクリとも動かなくなりました。


一年前のように逃げる暇もなく、一瞬のうちに彼等は蹂躙され、意識があるのは私と、ケルベロスだけです。


ケルベロスは私の方へと歩みを進めますが、その距離が近づいても近づいても、その身体は巨大なままです。


現実として私の目の前にいるのは、私の倍以上の大きさの身体を持つ、架空の世界から飛び出してきたとしか思えない化け物だったのです。


―――けれど、私は一年前と同じく、この化け物に恐怖というものを全く覚えませんでした。


それどころか、私は何だか懐かしいような、親しみさえこの化け物には感じています。


あり得ないことです。


死んだ人間は、決して蘇らない。


―――あの魔法使いがそうだったように。


そんなことは、頭では理解しています。


「……嘘……」


目で受けた情報とは裏腹に、私の心は目の前の存在が化け物でないと訴えています。


心の訴えが、私に一筋の涙を流させます。


「……ラルフ?」


死んだ筈の愛犬の名前を呼ぶと、ケルベロスは私に呼応するように吠えた後、その大きな頭を擦り寄せてきます。


間違いない、このケルベロスはラルフ本人なのです。


私は一瞬現実を理解できず、涙を流したまま身体を硬直させてしまいます。


「あっちょと、もう!どういうこと!?」


すぐに現実に意識を戻し、じゃれてくる愛犬を宥めて、抱き寄せます。


自分よりも大きくなったラルフに、私の腕は頭を抱くだけで精一杯でした。


「……ほんと、何でかな?意味分かんない」


頭を撫でて上げると、愛犬はいつものように甲高い甘声を上げます。


「……ありがとう、ラルフ。また、助けられたね」


一年前と同じ言葉を、愛犬に掛けます。


もう二度と会うことは出来ないと思っていた愛犬に、私は精一杯の感謝を伝えました。


「……あれ?」


こうして肉薄し、よく彼のことを見て触っていると、少し違和感を覚えました。


何というか、よくわかりませんが、まるで―――生気が感じられない?とでも仮に形容しましょうか、生き物を抱いている感じがしないのです。


彼はラルフに違いないのですが、生物特有の、血の巡りや呼吸が感じられない。


あと―――私はこのをどこかで触れたことがある?


「ラルフ、貴方は―――」


「驚いた」


唐突に、この場の誰でもない。第三者のものであろう声が耳に入ります。


声のする方を見ると、そこにはさっきまでは、一人の女子生徒が立っていました。


「まさか、気付かれるとは思わなかったよ、水巴さん」


「真ヶ埼……さん?」


先程校門前で話していたクラスメイトが目の前にいました。


一体いつから、そこにいたのか?


何故ここにいるのか?


どこまで、この状況を把握しているのか?


あらゆる疑問が口から吐き出されようとしましたが、彼女の全てを見透かしているような雰囲気が私の口を閉じさせます。


そしてそれとは別に、一年前のあの偽物の魔法使いの言葉が、頭に浮かび上がってきました。


「……貴女は、『魔法使い』なんですか?」


私の言葉に、彼女は困ったように苦笑しました。








――――――――――――










どういうことなんだろう?


どうして彼女は、魔法使いなんて言葉が真っ先に思い浮かんだんだ?


普通、どれだけ理解しがたい現象が現れても、その可能性が最初に浮かぶことは無い筈だ。


つまり彼女は、使である私の存在を、誰かから聞いていたのかもしれない。


―――いや、ないな。偶然に違いない。


私の正体を知っているのは私と、昨日打ち明けた赤藤くらいだ。


そうでなければ―――


まあ、正体を知る人物は、これでもう一人増えることになるけれど、この際仕方ないだろう。


人間は、孤独を嫌う生き物なのだ。


「ええ。私は魔法使い。どう?びっくりした?」


私の告白に、彼女は呆然としていた。


……もしかしたら引いているのかもしれない。


いや、まあ信じられないのも無理はない。


今の私はどこからどう見ても中二病を患う痛い高校生だ。


でも、偽物のアイツと同列視されるのは癪なので、一応訂正はさせて貰おう。


「証明としては、そこのラルフが正にそう。まさか気付くとは思わなかったけど、貴女の言う通り、そこにいるのはラルフ。勿論、生きてはいない」


私は頭を下げる。


どんな釈明よりも、説明よりも、まず彼女にやっておかなければいけないことがあるからだ。


「彼は私が見つけた時にはもう殺されていたの。ごめんなさい。私がもっと早く気付いていれば、助けられたかもしれない」


この謝罪だけは、やらなくてはならない。


「え?でも……じゃあ……」


彼女は困惑しながらラルフを撫でて実物であることを示している。


確かに、ラルフの身体には触れられる。


けれど、触れるからと言って、生きているとは限らないのだ。


「彼が殺された時に、その残留思念……彼の強い思いが残ってたの。魂って言った方が分かりやすいかもね。私はそれを仮の肉体に宿らせて、現実に干渉出来るようにしたの。だから、生きてる訳じゃないわ」


日本の伝承に準えると、付喪神のような存在だ。


付喪神とは道具に精霊や魂が宿った存在。


普通なら強い思いを持った魂が、長い年月を掛けて偶発的に物に宿ることで生まれる存在だけど、昔の魔法使いの中でそれを再現した酔狂な奴がいたのだ。


私はそいつの作った魔法で、ラルフの魂を用いた付喪神を人為的に作り出したのである。


「正直、大変だったわよ。彼の殺された教室では、彼の怨念がそれはもうこれでもかってくらい溜まっていたの。あまりにも強い思念は魔法でなくても現実に影響を及ぼすの。今回の彼の思いの内容は、貴女を一人にすることへの気掛かりと懺悔。そこに殺されたことへの恨み辛みも加わっていて、きっとあのままじゃ竹中君たちは呪い殺されていたわね」


私としては別にそれだけなら良かった。


彼らの行いで彼らが報いを受けるのはある意味で自然の流れ、自業自得だ。


けれどあれだけ強い思念は彼らを殺すだけに収まらず他の人たちにも危害を及ぼす恐れがあったので、何とか説得し、こうして穏便に済ませるようにした訳である。


私の努力の甲斐もあって、彼らはぶっ飛ばれて気絶しているが、辛うじて息はある。


最悪細切れにするくらいは覚悟していたのだが、蓋を開けてみれば最愛の飼い主を見つけた途端に彼らにはもう目もくれず、じゃれ合いに行ったのだから、あの犬も中々現金な奴だ。


頑張って説得していた私が馬鹿みたいだろう。


まあ彼女も愛犬が人殺しをして欲しいとは思ってないだろうから、説得には意味があったと考えよう。


―――でも、は、我ながら傍から見れば独り言をぶつぶつ言う危ない奴だった。


誰も見ていなかったから良かったが、また同じようなことがあれば気を付けよう……なるべくあって欲しくはないが。


「その身体は倉庫の中にちょうどあった着ぐるみ?みたいなものを魔法でちょっといじったもの。彼の要望でね、『今度は本当に大きい方が都合が良い』だそうよ」


どうしてあんな着ぐるみがここにあったのかは……きっとあの自称魔法使いの置き土産なのだろう。


体育倉庫の仕掛けの面影からも察するに、彼女が一年前に何をここでやったのかは大抵見当がつく。


きっとラルフは、彼女を助ける為に一年前と同じような方法を選んだのだ。


「……貴女は、どこまで知っているのですか?」


「多分、大抵のことは分かってるわ。嘉代さんから話も聞いたし、何度かこうやって跡を付けたわ」


そう言って魔法で一瞬姿、また姿を現す。


この魔法を使えば、彼女やからも、私は見えない、尾行するにはうってつけである。


まあこの前は少し油断して、仕方なく姿こともあったが、ともかく私は魔法を駆使することで今回の事件を調べていた。


そうでもなければ、どこにでもいる一介の女子高生―――特に友達の少ない私なんかは、誰にも気付かれずに尾行したり、情報収集を出来る訳がない。


「どう?信じて貰えた?」


他にも、彼女の前でいくつも魔法を実践して見せた。


炎を出したり、光の球を出したり、氷の結晶を降らしたり、簡易的で分かりやすい魔法をいくつも使う。


どうせ正体を知って貰うなら、半信半疑とかではなくきちんと私のことを……魔法のことを知って貰いたい。


「……信じるも何も、ここまでされたら信じるしかないじゃないですか」


あり得ないことが、現実であり得ている。


現実は信じるものではなく、ただそこにあって、受け入れるものだ。


だから彼女も、私という魔法使いを、魔法を、受け入れざるを得ない。


「貴女が、本当に魔法使いであることは分かりました。けれど、どうしてそこまで―――魔法を使ってまで、私に関わるんですか?助けてくれたんですか?私は、何度も貴女を拒みました」


「第一は、貴女の為じゃない。私の為。漆城羽火を殺した人間を探すために、私は生前のアイツと関りがあった人間を追っていたの。貴女はその内の一人」


「殺された?しかし彼女は――」


「死因は原因不明。でも殺されたの。事故でも自殺でもない、誰かに、ね」


「一体何を根拠に、そこまで言い切れるのですか?」


「彼女が魔法使いを自称していたから」


「……はい?」


「それで、私がいるから」


「……どういう意味ですか?」


私の答えに要領を得ず、彼女は聞き返す。


まあ、これだけじゃ分かる筈がない。


過去の失敗を自ら掘り返すのは気が進まないのだが、これは私の罪だ、私の口から説明しなくてはならない。


自業自得だ。


私は許しを請うように、話を続ける。


「魔法は情緒に大きく左右される、霊的な存在も謂わば魔法の一種なんだ。私は死んだラルフと会話をしたり、物に憑かせたり出来たのはそれが理由。だから私は、漆城が死んだ時は先ず彼女の魂を探したんだ」


どうして彼女が死んだのか?


死人に口なしとはよく言ったものだけど、私は死者ともある程度のコミュニケーションが取れる。


―――ミステリー小説なら反則と呼べるものだけれど、残念私達が生きているのはつまらない現実だ。


他の何よりも、真相を知ることこそが優先されるのだ。


「でも、遺体があった現場以外も学校中を探したけれど、彼女の魂は見つからなかった」


「……この世に未練が無かったのでは?彼女ならそれもあり得ると思います」


うん、それについては私も同意見だ。


「確かにね。あいつが往生際悪く生きていた頃にしがみつくのは想像しづらい。それでも、私がその残り香も含めて何も感じないっていうのはおかしいんだ」


魂は未練が強ければ強いほど残留思念として残り続けるし、ラルフのように呪いにもなってしまう。


それは事実だ。


しかし、未練の強弱は魂が現実にどの程度干渉出来るかどうかには影響を及ぼすが、それがイコールで魂が存在出来るかどうかまで決まる訳ではない。


生物には須く魂があり、生物が死んだら、それだけで普通なら魂はその場にあるものなのだ。


私が何も感じないというのは、明らかにおかしい。


「犯人は、彼女の魂ごと、きれいサッパリこの世から無くしたんだよ」


「そんなこと……出来るんですか?」


「出来るよ。委員会ならね」


「委員会?」


魔法使いという異端を許さず、魂の一片でさえもこの世から排除しようとする人々は、昔から存在する。


「水巴さんは、『魔女狩り』って知ってる?」


「……まあ、概略くらいなら」


「うん。一応説明すると、魔女―――男性も含まれたそうけど、魔女と呼ばれた人々が次々と処刑された出来事だよ」


魔女狩り。


それは中世末期からヨーロッパを中心に起こり、数万人の犠牲者を出したと言われている、人間の負の歴史。


原因は不明。


宗教か、政治か、はたまた全く別の要因か。


今でも多くの説が提唱されているが、実際のところこれと断定出来るような原因は分かっていない。


ただ真実として確かなのは、何万人もの人間が、人間に殺されたということ。


そして、殺された人々は皆『魔女』と断ぜられたということだ。


「犠牲になった殆どの人は、普通の人。ギフテッドだったりはしたかもしれないけれど、ただの人間の域は出ない人達。でも、その中に極少数、真正の異端が混じっていた。それが―――『魔法使い』」


魔法という超常を操り、他の人間とは根本的に違う、異端の使徒。


私のような本物の魔法使いも魔女狩りによって犠牲になり、そして元々数が多くなかった魔法使いはさらにその数を減らしていった。


「『魔女狩り』では本物の魔法使いも殺されていた。それは一部の人間だけが知っている裏の歴史けど、その中でも特筆して魔法使いを殺すことに終始している組織がいた」


本来の意味での魔女狩りを行っていた組織、その名は―――


「聖罰委員会。神が作った世界の異物として排除する、というのが彼等の言い分。現代じゃ魔女狩り自体は鳴りを潜めているけれど、彼らだけは今でも率先して魔女狩り活動に励んでいる。科学が発展したこの世界において、魔法という存在を信じ、魔法をこの世から排除しようとする、そんな酔狂な集団よ」


「じゃあもしかして羽火さんは―――」


「ええ。彼らに殺された」


水巴さんが息を吞み、言葉に窮す。


私は続ける。


「魔法使いを憚っていた彼女は、魔法使いを殺すことを使命として掲げていた集団に殺されたの。イカれた組織がイカれた動機で行う、殺しよ?それを現実的な指標に当て嵌めようとしても上手く行くわけがない。原因不明の死の真相としては妥当でしょ?何より私がいるからわ。私という使が、実際に彼らの殺しの対象が、同じ学校にいる。そこで自称魔法使いとして有名な彼女が殺された。偶然というには、聊か無理があるわ」


私という魔法使いがいるのだから、彼らをただの都市伝説の存在だと言い切ることも難しい。


魔女狩りのことも否定できない。


私というファンタジーが、本来あり得ない死の真相を成立させ、支持してしまっているのだ。


「ですが、彼女は魔法使いではありませんでしたよ?確かに技術は凄かったですけど、種も仕掛けもある奇術師でした。どれだけ魔法のように見えても、それだけで大した精査も無しにいきなり人を殺すなんてことあるでしょうか?」


人殺しにはリスクはある。


都市伝説のような存在でも、委員会もまた私たちと同じく法整備された世界で生きている人間だ。


法が適用され、社会に縛られ、罪からは逃げられない。


人殺しという大罪を犯すのは、私たちがそうであるように非常に危険な行為である筈だ。


一般に受け入れられない動機を基にしているのだから猶更だ。


謝って魔法使いでない人間を殺すことは、彼らの信条的な意味でも、損得勘定的な意味でも、避けたい筈なのだ。


、彼らも実力行使に移ったりはしない。


逆に言えば、確かな証拠さえあれば、彼らは平気で人を殺せるということだ。


「……あるのよ。少なくともこの街に使がいるっていう確かな証拠が。彼らにはこの街の魔法使いであるかは分からないけど、使は分かっている。魔女狩りでは多くのが殺されてきた。つまり、委員会もある程度は一般人を殺しても構わないと考えていもおかしくない。『魔法使いが必ずいる』という確信さえあれば、それだけで彼女が殺される理由にはなり得るのよ」


事実、魔法使いである私はここにいるのだから、彼女が殺されたのも不思議ではない。


そう。


魔法使いの存在が証明されれば、委員会は彼女を殺す。


が、彼女を殺したも同然だ。


「十二年前。とある馬鹿な魔法使いの子供が、それがどれだけの不幸を齎すのかも知らずに、大きな魔法を使った。結果、委員会は魔法使いの存在を知り、街を襲った。本来なら子供は殺される筈だったけれど、唯一の肉親の魔法使いを犠牲にすることで、生き延びた」


あの時の選択によって、馬鹿な子供は全てを失った。


許されない罪を犯したのだ。


そうして子供は、


「子供はそれから二度と同じ過ちを起こさないよう、魔法を使わなくなったけれど、委員会は当時殺した魔法使いが目当ての魔法使いではないと勘づいていたんでしょうね、十数年以上の歳月を通して街の監視を続けていた。やがて子供は高校生になり、自称魔法使いの漆城羽火と同じ学校に通うようになって―――そうして漆城羽火は委員会に目を付けられて、殺された」


子供は二度と繰り返さないと決め、自身の魔法を封印したにも関わらず、またしても自分のせいで人を死なせてしまった。


「つまるところ、彼女が死んだのは大体のせいってことよ」


馬鹿なガキだった頃の過ちが、巡り巡って彼女を殺してしまった。


誰が何と言おうと、私の罪だ。


「漆城羽火は、私が殺した。勝手に解釈すると、私は彼女に助けられたとも言える。その義理ぐらいは、返すべきでしょう?私があの事件を調べてるのは、そういう単純な理由よ」


殺した人間を捕まえて、償わせる。


それが死んだ彼女に私が出来る、些細な恩返しである。


「―――どうして、それを私なんかに話したんですか?」


「貴女には、話しておくべきだと思ったから」


私は困惑した様子の彼女をじっと見つめる。


一人の力では限界がある。


少なくとも、私の場合はそうだ。


私は魔法を使うことは出来るが、それ以外はただの卑怯な人間。


死にかければすぐに決心が揺らいで逃げ出してしまうくらい臆病で、どこかの剣道女子に尻を叩かれないと前も向けない、どうしようもなく駄目な魔法使いなのだ。


「水巴さん。貴女には漆城羽火を殺した犯人を捕まえるのに協力して欲しい」


『誰だって、孤独ってのは嫌なもんなんだ』


とある肉親の魔法使いの言葉が、私の心にこだましていた。

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