第十九話 文学少女の過去と今(1)
私は水巴小八重。
醜い蝿。
1人じゃなにも出来ず、縋るだけの虫。
生きるためなら、穢らわしくて忌み嫌われる物にさえ、必死に群がる意地汚い卑怯者。
……少々言い過ぎたでしょうか?
生理的に嫌悪する人も多いであろうあの虫も、実際は生態系を成り立たせる為には必要な存在です。
確かうろ覚えですが、生物の死骸を片付ける分解者として、重要な役割を持っているとかなんとか。
まあそうでなければ、蝿なんてとっくの昔に絶滅しているでしょうね。
利がないものには居場所がない―――弱肉強食。
それが自然の摂理です。
人間社会とは違います。
だったら蝿のことも、一方的に悪者とは言えませんね。
私の極端な発言でした、反省します。
配慮に欠けた発言は吊し上げられてしまうので、気をつけましょう。
情報化社会では、失敗をそのままにしておかないのが肝要なのです。
ですから最初の言葉は、蝿の益虫としての側面を考えない、害虫としてしか見ない場合での、自虐百の比喩だと思ってください。
燃やされないよう、ちゃんとここに明言しておきます。
言いましたからね?後から追求は無しですよ?
……話が逸れましたね。
さて、気を取り直してもう一度、私は水巴小八重。
醜い蝿。
……あ、ダジャレではありません。
そこに悪意はあっても愉快ではない―――狂言ではなく、真面目なお話です。
それも断っておきましょう。
では気を取り直して、私は―――って、もういいですね。
二度あることは三度ある、とは言いますが、流石に飽きられてしまいます。
ただの比喩の説明に時間を割くなんて、実に愚かです。
良く分からない喩えするもんじゃないものですね。
これも反省です。
蛇足は抜きにして、本題に移りましょう。
私は水巴小八重と言います。
分かりにくい喩えは使いません。
素直に、私は紛うことなき加害者です。
弁護の余地のない断罪者です。
それが水巴小八重という人間の、逃れられない真実なのです。
その評価を、私は甘んじて受け入れます。
なのに彼女は―――ただのクラスメイトでしかなく、あまつさえ私は一度、拒絶したにも関わらず―――私だけが悪い訳ではないと、そう言ってくれました。
真ヶ埼曲さん。
今年から一緒のクラスになった、同級生です。
それだけの関係。
今まで彼女とは全く関わりがなく、擁護してくれるのは悪い気はしませんが、正直、どうして私に?という気持ちの方が強いです。
きつい言葉を使うなら、私の一体何を知って、そんなことを宣っているのでしょう?と疑問を呈さずにはいられません。
……おっと、本音が漏れて、少々語気が強くなってしまいました。
反省します。
ただ、省みたところで、忌まわしく思うことには変わりありません。
私の過去を、罪を、後悔を―――その心を、全て知っているのは私以外には存在せず、どれだけ共感能力が高い人でも、感受性が高く優しい人であろうとも、本当の私になることは出来ないのですから、私の最大の理解者は、私以外にはいないのです。
なのに分かった風な口で、勝手に同情されて、上から目線で諭されるのは、「なに言ってんだ」って思うのは当然ではないでしょうか?
私の気持ちを安く見積もられてる感じがして否めません。
経験者が素人に口を出されるのを嫌がるのと一緒です。
経験のなく、ものを知らない人間が理解者面することほど、滑稽で、不愉快で、馬鹿げたことはないと、私は思います。
はい、口が悪くなりましたね。
反省です。
さて、ここまでが私の些細な愚痴……もとい真ヶ埼さんへの穿った見方である訳なのですが、実のところ、彼女が私について、どれだけのことを知っているかは全くもって分かりません。
ラルフのことを知っていることからも、単なる怖いもの見たさの野次馬という訳ではなさそうです。
私のことを慮って、声を掛けてくれたのでしょう。
―――不愉快ではありますけどね。
彼女の気持ちが多少励みになるのもまた、事実ではあります。
その意味では感謝もすべきでしょう。
……はい。
それはさておき、彼女がもし私の罪や過去を全部知った上であの言葉を掛けたというのなら、随分と酔狂な人―――いえ、この場合は博愛主義者だと呼ぶべきでしょうね。
私というただの蝿を、払わずに情けを掛けてくれるのは、物好きと言う他ありません。
そして、その行動や言葉は、あの人を彷彿とさせるものでした。
性格や言動は何もかも異なるのに、それでも何故か、あの人のことを思い出してしまいます。
あの人はもうこの世にいませんが、酔狂な魔法使いの姿は、今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
漆城羽火。
私を救ってくれた、魔法使い。
その面影が、真ヶ埼さんと重なるのです。
どうしてでしょうか?不思議でなりません。
あんな奇想天外な人と、真ヶ埼さんを一緒にしてしまうのは失礼でしょう。
……それは漆城さんにも失礼でしたね、反省です。
そう言えば、羽火さんはこんなことを言っていました。
『君にもう一度、困難が立ちはだかり、私がいなくなった時は、本当の魔法使いが、きっと助けてくれるさ』
……果たして、どういう意味だったんでしょうね。
死人に口無し。
死者蘇生なんてあり得ません。
あの言葉の真意を聞くことは、終ぞ出来ませんでした。
―――思い出話に浸るのはこれくらいにして、現実に目を向けます。
戦う覚悟を、しましょう。
旧校舎の体育倉庫に着いた私は、一度深呼吸してから、扉を開きます。
そこには、竹中君達がいました。
竹中君含めて五人。
まともに話したことすら無いので、当然他の人の名前は知りません。
知る必要はありません。
竹中君だけを、見ていればいいんです。
髪を金髪に染め、制服をだらりと着崩している、少々ガラの悪そうな男子生徒です。
このぐらいは最近は多様性なんでしょうか?今はどうでも良いですね。
倉庫からは何やら異臭が漂っています。
匂いの元は恐らく、彼が持っている黒色で大きめのビニール袋なのでしょう。
何が入っているのか。
すぐに問いただしたい気持ちで山々であうが、先に口を開いたのは竹中君の方でした。
「久しぶりだね、水巴さん」
「……ですね」
「驚かないんだね」
「なんとなく、分かっていましたから」
「ふうん?まあそう警戒しないでよ。元クラスメイトじゃないか」
丁寧に、そして馴れ馴れしい口調で、彼は言います。
あの時と、全く変わっていません。
軽薄なのに、逃げることを許さない、胸を突き刺してくるような鋭い口調。
私はこの人の喋り方が好きではありませんでした。
けれど、私は立ち向かわなければなりません。
私を救ってくれた愛犬と、あの人に報いる為に。
「また、協力して欲しいだけさ」
協力、それは私と彼等の間でのみで通じる言葉。
「み、見ました。会社の業績、良くなるかもって。なのにどうして、今更……」
「そんな今だからさ。この大事な時に、失敗は許されない。だから最後まで、なるべく多くのデータを集める必要がある」
そう言うと、彼は白い掌にギリギリ収まらないくらいの、直方体上のケースを私に放ってきました。
慌てて投げられたそれを、私は両手で取ります。
ケースからはカラカラという音と、小粒なものが多く衝突しているような感触が伝わってきます。
何度も感じ、使ったものなので中を覗かずとも中に何が入っているのかは、すぐに理解できました。
「やってくれるよね?」
彼は微笑みます。
貼り付けたような笑顔。
裏では何を考えているかまるで分らない笑顔。
この笑みが、ずっと怖かったです。
私は今にも震え出しそうな足を必死に抑えて、一度瞑目してから彼を睨みつけます。
怯えている自分を決して悟られないよう、精一杯の虚勢を張ります。
「……ぃ、嫌です」
「……」
思っていた答えが返ってこなかったからでしょう、彼は貼り付けたような笑みのまま、固まっています。
「……もう、こんなことはしたくない、です」
「……」
「―――はあ!?何言ってんだ、手前!今更逃げられるわけねえだろ?寝言は寝て言いやがれ!」
「少し見ない内に蠅が、随分と調子に乗るようになったみたいね。まさか、薬で頭が溶けちゃったのかしら?だったら滑稽ね。可哀そうな虫さん」
「全くです。この期に及んで被害者気取りとは、優柔不断にふらふらと飛び回る様は正に羽虫。軽蔑に値しますよ」
「人聞きが悪いよね~。貴女から手を出して、勝手に堕ちただけだもん。こっちに悪く言われる筋合いないし~?」
……竹中君以外が思い思いに、好き勝手言ってくれます。
でも、彼らの言葉は全く響きませんでした。
「……水巴さん」
「っ……!」
「っ……!」
「っ……!」
「っ……!」
「…………」
さっきより一段低い声で、彼は私の名前を呼びました。
笑みを崩してまではいませんが、少し陰りが見て取れます。
そのことに彼らも気付いたのでしょう、今の彼に余計なことは言わないよう、口を閉ざしています。
彼の短い一言には、「自分が良しとするまで、煩わしく無用な雑音は起こすな」という気持ちが暗に込められていました。
その圧力を受けた結果として、この場は一気に静寂に包まれます。
―――この光景を見てもらえれば、誰もが竹中君以外は意識するまでのない、有象無象であることを理解してくれることでしょう。
彼らは竹中君の顔色を常に窺っており、彼からは何の役割も与えられず、期待も掛けられていない、否定することすら許されない、ただの腰巾着なのです。
虎の威を借る狐には注意を向ける必要が無いのは自明の理ではありませんか?
そのような光景―――彼らが委縮し、恐怖している様を―――私は去年から何度も見てきました。
なのに抗うことをせず、こんなに息苦しい空間に彼らが自ら身を投じるのは、大企業の御曹司の取り巻きであることが彼ら自身の学校での立場を押し上げ、学校外での生活においても、十二分な恩恵を受けられるからでしょう。
群がる羽虫という意味では、彼らも私と何ら変わることのない、同類です。
彼らの発言はダブルスタンダードに他なりません。
ですが私もは、一度は彼らと同じように自らの欲に負け、竹中君の甘い誘惑に拐かされてしまった人間の一人なのだから、そんな彼らを否定することが出来ません。
彼らを責めれば、私もダブルスタンダードになってしまいます。
目には目をとはよく言いますが、タブスタにタブスタをぶつけても不毛になるだでしょう。
私と彼らは等しく虫―――それで構いません。
そうなれば竹中君は、差し詰め私たちを絡め捕り、逃げ道を塞いで雁字搦めにしてしまう、蜘蛛のような存在でしょうか?
「考え直した方が良いよ。今やまても、君には何の得もない。ただただ不利益を被るだけさ。それは非常に勿体ないことだ」
務めて丁寧に、彼は話を続けます。
その言葉の一つ一つが私を惑わし、脳内にへばりつく様にして、思考を身動き鈍らせていきます。
「僕は君のことも心配しているんだよ?」
「嘘ですね」
この人は私たちのことを、体のいい道具かモルモットくらいにしか考えていません、
では何故、竹中君は彼らを、そして過去には私を、従えているのでしょうか。
学校という舞台で、ずっと独りでいることは返って目立ちます。
何人かのグループを構成して行動を共にするという健全で無難な学生生活を送る為、竹中君は自分が悪目立ちして周囲の視線を集めないように、隠れ蓑として彼らを利用しているだけなのです。
そして私に近寄るのも、自身の手を汚さず、疑いをかけられないようにする為―――そこに仲間意識は存在しません。
「勘違いしないでください。私は、自分が被害者であるとは少しも思ってはいません。あなたの誘いに乗ってしまったことのも、クラスを滅茶苦茶にしたことも、私がしてしまったことであり、私の罪です。たとえ竹中君が歌で仕組んだことであっても、最後の一線を越えてしまったのは私、その事実から逃れることは出来ません。ですから貴方も、私を思い通りに―――用意した逃げ道に縋らせようとすることもまた、叶いません」
私の罪を忘れることは出来ませんし、その為の都合のいい逃げ道なんてものも存在しないのです。
仮に逃れられたように感じても、それはただのその場凌ぎでしかなく、目を背けているだけであり、私の犯した事実が覆ることにはならない。
そのことを、私はあの夏、学びました。
あの魔法使いが、教えてくれました。
「……それはどうだろう?これを見れば、君だって考えを変えて―――」
「あなた達がラルフを攫ったのは既に知っています。」
「……何?」
彼が持っているビニール袋をこちらに投げ込もうとしましたのを、私は制します。
だだでさえ、あの子をいつまでもそんな袋に押し込めておく訳にはいきませんし、何よりも、死してなおぞんざいな扱いを受けるなんて、私が耐えられません。
「大方、一年前の再現……といったところでしょうか?貴方はあの子を、私を追い詰める為の手段として利用した。その為にあの子を―――殺した」
彼の笑みが―――崩れました。
持っていた袋が手からこぼれ落ち、ぼとり、と鈍い音を立てます。
ここで初めて、彼の思い描いていた筋書きから外れたのでしょう、彼のこんな顔を見るのは、一年前以来です。
「どうやってラルフのことを知ったのかは分かりません。ですが、許されることではありませんね」
「……分かっているなら、どうしてそんなに落ち着いていられるのかな?ああそうか、所詮あの犬は、君にとってその程度の存在でしかなかったのか。それとも、必死にそう言い聞かせてるのかい?ごめんごめん、勘違いしていたよ。そうだよね、そうじゃなきゃ……自分のせいで死んだのに、耐えられる筈がない」
「殺したのは貴方たちですよ?」
「違う。殺したのは君さ。君は知らないのかもしれないから教えてあげるけど、この犬を捕まえて、殺したのは旧校舎内の一室なんだよ。可哀想に。こんなに近くにいるのに助けてくれなかったなんて、ひどい主人だ、同情してしまうよ。君がもっと早く気付いていれば、コレが死ぬことはなかった。君がコレと関わりを持たなければ、僕達もコレを襲おうとは思わなかった。君が僕達に逆らわなければ……僕達もこんなことをする必要がなかったんだよ。全部全部ぜ~んぶ、君のせいさ。君の行動の結果さ。君が悪い。君の責任だ。君は悪さ。君こそが、罪人だ」
彼はそう捲し立て、私が悪いと、ひたすらに刷り込みます。
私の心の隙を、一年前と同じように、的確に付いてきます。
一年前―――両親が死に、ひどく心を閉ざしていた私は、安易にも彼の甘言に乗り、目先にあった楽な道へと流されてしまいました。
用意された逃げ道に誘われた私は、その後は彼の思うがままの、操り人形になりました。
……それは、後悔してもし足りない、私の罪。
ですがここで、一年前と同じになってしまえば、私はあの魔法使いに顔向けが出来ません。
「無駄ですよ」
「……何?」
彼が私を執拗に追い詰めるのは、最終的に私のことなど御せられると、そう思っているからです。
それは、私の中にある弱みを、確信しているからこその言動です。
彼の確信には根拠があります。
彼らが待っていると知り、ラルフが殺されたことも承知している私が、それでも危険を冒してまでこの場に出向いたこと。
そんな今の私に、一年前の、逃げ道を探していた頃の愚かな私の姿を重ねたのでしょう。
……実際、彼の洞察力は凄まじいです。
人の感情を、ここまで的確に捉え、自身の思うがままにコントロール出来るものなのかと、その様には戦慄すら覚えます。
だから、彼を出し抜くにはまず、彼の予想から外れる必要がありました。
そこまでしてやっと、彼と対等な立場になります。
「貴方が私を追い詰め、一年前のことを繰り返そうとするのは分かっていました。ですが、私はもう、こんな物には惑わされません。こんな物の為に、この体育倉庫に来たわけではありません」
私は彼に、投げ渡されたケースを見せつけます。
「……なら、どうしてここに来た?」
彼の取り繕いは、最早見る影もありません。
「ここで立ち向かわなければ、あの人…羽火さんに顔向け出来ないからですよ。彼女がいなくなった後の私なら、いくらでも説き伏せられると、そう思っていましたか?」
本気でそう考えていたのなら、それは、羽火さんに失礼です。
あの魔法使いは、死んだら全て無に帰してしまうほど、弱く、脆いものではありませんでした。
彼女が死んでも、彼女が遺したものは―――
「私は、貴方を止めに来たんです。竹中君」
―――今も確かに、生き続けているのです。
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