第十八話 文学少女と地獄の番犬

次の日。


私は朝早くに体育倉庫に来ていた。


これで三度目の訪問である。


順当にいけば、この後水巴さんもまた、この場所を訪れるだろう。


今日、全てが終わる。


その前にもう一度。この場所を訪れておく必要があった。


それは、この部屋で感じた違和感の原因を、突き止める為である。


私は倉庫の扉を大きく開け、中には入らずに外から様子を眺める。


倉庫の中にあるのはボールやハードル、マットに三角コーン。


どれも老朽化が進んでいるが、それ以外は普通の、よくある備品しかない。


違和感を感じたのは、その配置である。


色や形の異なる、様々な種類があるそれらが、一か所にまとめられておらず、倉庫の中を、まだらに配置されている。


さらに、その並びには規則性があった。


サイズの小さいものはなるべく入り口から遠い場所に、サイズの大きいものはなるべく入り口の近くに置く。


これは誰かが意図的に置いたものだ。


ボールとかが分かりやすく、ボール入れは入り口からすぐの場所にあるのに、いくつかのボールは奥の方に転がっていた。


それも同じデザインで号数が小さいものや、空気が抜けて萎んだものがボール奥に、大きいものはボール入れに残されていた。


コーンやマットについても同様で、単純に大きさで分けているだけでなく、見た目や色が似通ったものを、まるで比較できるように手前と奥に置かれているのだ。


極めつけには、奥のハードルは限界まで低くしているのに対し、入り口のものはかなり高さを伸ばしていた。


そして全体的な配置として、入り口のある壁を一辺として、三角形のような形になるよう、奥に進むにつれ倉庫内の空間を狭まっていくように備品が置かれていて、反対の壁付近では、入り口付近と比べて動けるスペースがかなり減らされている。


ここまで無茶苦茶で、しかし規則的な配置は、人為的でなければ起こり得ないだろう。


「まるで……何か、大きな仕掛けを起こすための仕込みね」


ではこの配置の狙いは一体何なのだろう?


同じ見た目のものを、大きなものと小さなものとで比較するように置く。


そうすると私たちは、この二つを同じものとして捉えてしまう。


大きさの違いなんて実際に定規で測ったりでもしない限り、個人の感覚に頼れば曖昧になる。


距離が近いものの方が大きさははっきり分かるので、この配置では、たとえ奥にあるものが実際は小さなものであろうとも、近くのものと同様に、実際のものよりも巨大に感じられてしまう。


ではそんな中、倉庫の奥に新しく、サイズの分からない物体を配置すれば、私たちはそれをどう感じるだろう?


周りには、私たちが大きいと感じてしまっている備品らに囲まれているのだから、その物体もまた、現実よりも大きく見える筈である。


よってこの感覚のズレを利用すれば、物体を意図的に、実際よりも大きく見せることが可能になるのだ。


さらに、この全体の配置―――どんどん奥の空間が狭くなっているのにも、大きさを錯覚させる要因になっている。


私たち人間は、同じ大きさだと既に分かっている物に対しては、それがたとえ遠くにあるものでも、近くにあるものでも、同じ大きさだと脳が判断し、補正する性質がある。


その性質……つまりは修正機能を上手く使えば、入り口手前と奥の方の空間のゆとりの違い―――道幅の違いが脳に誤った修正をさせ、奥の物の方が大きいと錯覚を起こす。


以上から、私たちは倉庫を外から見る時に増す増す、奥にあるものの方が大きい物だと考えてしまうのだ。


この倉庫の配置は、その錯覚を引き起こすための舞台装置に間違いない。


配置を行った人間の狙いは、倉庫の奥にあるものをより大きく見せたかったのだ。


「巨大化の魔法……なんて、あのペテン師なら嘯いたでしょうね」


だとすれば、彼女の目的は―――


そこで電話がかかってきた。


相手は赤藤だ。


「……はい。どうしたの?こんな朝早く」


「いやあ、今何してるのか気になってさ……」


お前は面倒くさい恋人か。


「切るわよ」


私は携帯から耳を離す。


「いや、ふざけているわけじゃないよ!?」


「……はあ、何?」


「一人で行くつもりかな、って思ったのさ」


「ええ、そうよ」


勘が良いことで。


隠しても仕方ないな。


「何か手伝うことは?」


「あったらとっくに言ってるわよ。ここからは一人でやった方が色々と都合が良いわ」


「……そうかい。じゃあ、上手くやりなよ」


「止めないのね」


もしくは、今からでも一緒に来ると言って聞かないと思っていた。


こんなにあっさり送り出してくれるとは予想外だ。


「何だい?不安なのかい?それなら仕方がないな、私も―――」


「い、ら、な、い」


「……このツンデレちゃんめ」


誰がツンデレだ。


「君が決めたんだろう?だったら止める権利は私には無いさ」


「そう」


彼女は、逃げ出そうとした私を引き留めたが、それは私が放棄をしたからに他ならない。


私が向き合って出した結論なら、きっと彼女は一見無謀に見えることでも……逃避でさえも、受け入れてくれたんだろう。


「だけど心配をしないとは言っていない。メール、見てくれただろ?相当厄介ごとだよ、これは」


「……分かってるわ」


昨日送られてきた文面。


その大体は私が想定していた結論を後押しし、整合性を取ってくれるものだったけれど、一つだけ異質な単語が混じっていた。


「本当なの?ケルベロスって……」


ケルベロス。


地獄の番犬。


神話上の化け物が、彼女の報告にはあった。


「竹中グループの内の二人が口を滑らせていたそうだよ。『のせいで、俺たちはこんな目にあったんだ』とね」


「突拍子の無い……は今に始まったことじゃないわね」


ベルゼブブや何やらが出ているんだ、今更だ。


「そのことを聞いたのは保健室を常用していたサボリ魔の生徒。その二人は傷の手当の目的でそこを訪れていたようだ。そしてその日は―――」


「7月、ね」


水巴さんのクラスが戻った時期と一致する。


それと、漆城が嘉代さんの家を訪れた時期にも。


もう偶然じゃない。


「まあ彼らが何を見たのかは、大体予想はつくけどね」


それを確かめる為、わざわざ時間にここに足を運んだのだ。


彼らが、既に見当はついている。


「おお、流石、自信満々だね。それなら心配はいらなさそうだ」


「ええ、大丈夫。貴女は何も考えず、ただ待っていればいいわ」


「そうさせてもらうよ。じゃあ……しっかりね」


そう言って赤藤は通話を切った。


……彼女も心配性だな。


まあ一度逃げ出しているんだ、信用が無いのも当然か。


私は倉庫の扉をしっかりと閉める。


あともう一度あの場所を訪れることになるだろうが、その時には本当にすべてが終わるだろう。


次に向かうのは、ラルフの亡骸が放置されている地下一階の教室。


一日置いたところで、その場所の凄惨さが変わることは無い。


目を背けたくなる衝動を抑え、私はラルフに歩み寄る。


「……大丈夫、彼女のことは私が何とかするわ。だから、私に任せてくれない?私なんかは信じられないって?確かにそうかもね。その時は、どういう形であれ、責任を取るつもり。でもあなただって、このまま黙って見ているのは我慢ならないでしょう?」


自分を殺した人間たちを野放しに、何より愛する主人を放っておく何て出来ないだろ?


私はそんなラルフの弱みに付け込む。


ずるいやり方だ。


でも、これで納得してもらう他ない。


「あなたの無念は、必ず晴らすから」


私は死者?に、そうやって勝手に了承を得ると、それだけ言って、私は教室から出て行った。






そのまま旧校からも出て、本校舎へ続く道をいていた。


しばらく歩いていると道の先で、複数人の足音が聞こえて来た。


……既視感があるな。


私はこの前と同様、姿を消す。


案の定、足音の主は竹中グループだ。


前は授業が始めるタイミングでここに来ていたが、今日は水巴さんが来るのに合わせている。


恐らくは、意図的なものだろう。


下卑た笑みを浮かべながら、私には気づかずに通り過ぎて行く。


「―――はあ、随分楽しそうね」


これから自分たちが起こす非人道的な行為に、胸を躍らせでもいるのだろうか?


……そうはいくか下種ども。


全部思い通りにいくなんて思わないことだ。


私が、そんなことは絶対にさせない。


固く決心して、山道を降りる。






竹中グループは今、旧校舎へと向かっている。


正直に言ってしまえば、彼らの行動は私の予想からは少々外れていた。


こんなに急に―――ラルフを殺した昨日の今日で行動を起こすとは流石に可能性が低いと思っていたのだ。


彼らの執念を軽く見ていた私の考えが甘かった。


だが後悔している暇はない、彼らの行動に合わせて、私も急いでやらなければならないことがある。


本校舎まで辿り着いた私は、正門前でとある人物を待っていた。


待ち人は、程なくして現れる。


「おはよう、早いわね」


「……何でいるんですか?」


彼女―――水巴さんは驚き半分、怪訝半分といった感じで私に問う。


そりゃそうだ。


はっきり拒絶した人間が自分の周り、それもかなり深い部分に踏み込んでくるなんて、思ってもいないし、不快だろう。


でも、私は退かないと決めた。


「何でだと思う?」


「……別に、どうでもいいですよ」


そう言って私を無視し、彼女は正門を潜ろうとする。


私は引き留めようとはせず、彼女に一言だけ声を掛ける。


「貴女が今やっていることは、取り返しのつかなくなってしまったことをただ認めたくないだけの、無意味な足掻きかもしれない。それでも、行くの?」


「……」


彼女は足を止めた。


「貴女は全て自分が悪いと言った。けどそれは貴女の勝手な被害妄想よ。何か問題が生じて、その責任が全て、たった一人にあるなんてケースは殆どない。自分一人が何とか出来れば丸く収まる、なんて考えは傲慢以外の何物でもないのよ」


「……何が、言いたいんですか?」


「行かない方が良い」


「なっ……!」


「今からでも帰って、何かも忘れても、誰も貴女を責めない。貴女がしでかしたことは確かに簡単に許されることでは無いけれど、貴女だけに罪があるわけでもない。クラスメイトたちだって、同罪よ」


「……真ヶ埼さんは、一体どこまで知っているんですか?」


「竹中勝」


「……!」


「彼らは今、あの体育倉庫で貴女を待ち受けている。ここまで言えば察しが付くかもしれないけれど、ラルフを攫ったのも彼ら」


「あ、あの子は!どうしているんですか!?」


普段大人しい彼女が、声を荒げて取り乱す。


これだけでも彼女がどれだけラルフのことを思っていたのか伝わってくる。


……さて、どう答えようか。


彼女のことを思うなら、ラルフがあの旧校舎で無残に殺されたことは伏せておくべきだと思っていた。


―――本当にそうか?


彼女をこのまま、竹中たちがいるあの場所に向かわせるのは危険だ。


場合によっては、ここで傷ついて、折れて、止まってしまった方が、彼女の為にもなる。


「私に言わせるつもり?」


そう考えた私は、直接は言及せず、しかし暗にラルフの死を仄めかした。


「じゃあ……」


彼女は私の言葉の真意を見抜く。


一気に表情が暗くなる。


さて、ここから彼女は何を選択するだろう?


今ここで逃げ出したとしても、私の時とは違い、誰も文句は言わない。


文句を言う権利は、誰にもないだろう。


けれど彼女は―――


「……なら猶更、行かなくてはいけません。これ以上、私は私に失望したくない。あの人に、顔向けできませんから」


そう言って、止まらずに旧校舎へと向かった。


その声は、少し震えていた。


怖くない訳がない。


だけど進む。


―――やっぱり、彼女はこんなにも強い。


彼女が昔の消沈していた頃に戻った、なんてのは外野の的外れな見方だった。


彼女が旧校舎に通っていたのも、無意味な希望に縋っていたのではない、諦めない意思の表れだったのだ。


私も、道楽新も、嘉代さんも、彼女について的外れな思い違いをしていた。


彼女のことを理解していたのは、あのインチキ魔法使いだけだった。


強い彼女は、何一つ変わってはいない。




―――私は彼女の後ろ姿を見つめながら、自分がどうしたいのかを、ようやく理解する。


私がまだ水巴さんを放っておけない理由。


私は、彼女のことを助けたい。


『誰だって、孤独ってのは嫌なもんなんだ』


私もそうだし、彼女も例外ではない。


漆城が遺したものを、無駄にしたくない。


それが私のせいで死んだ漆城への義理返しでり、私の意思。


ただそれだけの、単純なことだったのだ。


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