第十七話 文学少女と蠅の王(5)

竹中勝。


竹中製薬会社社長の息子。


所謂御曹司というやつ。


成績は優秀。


少し見た目のガラは悪いが授業態度は至って真面目で教師からの覚えもよく、クラスの中心的な人物だったらしい。


……私が知っているのはその程度だ。


だからあとは、赤藤の報告を待つしかない。


なので私は旧校舎から家に帰って来てすぐに、彼の父の経営する製薬会社についてネットで調べてみることにした。


「竹中製薬。ベンゾジアゼピン系の新薬、バアルゼブルを厚生労働省に承認申請。もし承認されれば業績回復の見込みあり、か」


竹中製薬と検索して真っ先にヒットしたのは、最近発表された新薬関係のニュース記事だ。


ベンゾジアゼピン系とは、睡眠薬や抗不安剤に多くが分類されている系統の薬のことらしい、ストレス性の疾患を抱えた患者には非常に重宝される代物だ。


年々精神疾患の数が増えている現代では、効能の良いベンゾジアゼピン系の薬は需要も高いだろう。


確か竹中製薬と言えば、それ以前はとある大学病院との金銭的癒着が原因で相当なバッシングを受け、業績が低迷していた記憶がある。


そんな中でのこの新薬開発は、正に最後の命綱のようなものに違いない。


「……まあ親の会社のことなんて、ネットだけじゃこれくらいが頭打ちよね―――」


それ以上大した情報が得られないと判断した私は、見ていたスマホを放り投げて、ベッドに突っ伏した。


「ふう……」


寝返りを打って仰向けに、天井を見つめた。


……もうある程度、真相は見えてきている。


だけど今までの情報だけでは、まだ結論を断定するには至っていない。


こんな時こそ、冷静にならなくてはならないのだろう。


しかし、今はとにかく残された時間が少ないという事実のせいで、私は言いようのない焦燥感に駆られてしまうのだ。


竹中グループがラルフをあんな風にしたのはほぼ確定と言っていいだろう。


では、何故彼らはあのような惨いことをしたのか、そこには水巴さんが関係しているのもまた、殆ど自明である。


単純に彼らがサイコパスな一面を持ち合わせていて、動物を嗜虐することに悦を感じる異常者の集まりであることも否定は出来ないが、竹中勝の評判や立ち振る舞いを聞く限り、彼がただ自分の欲望を満たす為だけに旧校舎まで足を運び、世間から忌避される行為に及ぶとは考えにくい。


仮に欲に駆られた行動であったとしても、自身のクラスメイトの愛犬を標的にしてしまえば、世間に自身の残虐性が露呈してしまう可能性だって十分にあるのだから、他の動物を標的に変えるという理性は働きそうなものである。


自身の行動が世間からどのような評価を受けるか、その評価が自身の首を如何に絞めて、将来の人生にマイナスに働くか、それらについて彼が考えることが出来ない、短絡的な人間だとは思えない。


だがあの部屋にはラルフの亡骸しかなかった。


つまり、彼らがあんな事をしでかした本当の理由はサディスティックな欲望に依るものでは決してなく、あくまでもその行動が必要だったから、わざわざリスクを冒してまで元クラスメイトの愛犬を死に至らしめた。


―――まあ別に私は彼とは喋ったことは無いし、そんな私の、彼に対する印象は勝手な過大評価に過ぎないのかもしれないが、相手がより強大な敵であり。最悪の場合は想定するに越したことは無い。


ともかく、彼らがわざわざラルフだけを執拗に襲ったのは、それが水巴さんにも繋がるからだろう。


なら次に、彼らは水巴さんに直接接触を図るはずである。


……それは出来るだけ避けたい。


理由は、彼らが命を平気で奪う人間性を持ち合わせているのだから、水巴さんが危ないということが一つ。


もう一つは、彼女がラルフの死を竹中達から聞いて、思い詰めてしまうといけないからだ。


自分の愛犬が、成す術もなく、それも自分が毎日通っていた旧校舎の中で、静かに殺された事実を知れば―――それは紛れもなく竹中たちが一方的に悪であるのは自明だが―――きっと彼女が自分を責めることになる。


ラルフとは直接関わりのない私でさえあの光景に罪悪感を覚えたのだから、彼女の場合は私の時の比ではないだろう。


嘘か本当かはどうでもよく、自分のせいにしてしまう。


だからせめて、彼女に伝えるのはもう少し時間を置いて……どうせなら殺されたことや死んだ場所も伏せたままの方が良い。


世の中には知るだけでマイナスなこと、知らなくてもマイナスならないことは確かに存在するのだ。


―――


―――


―――


―――水巴さんは、今どんな気持ちなんだろう?


今でも彼女は、ラルフの帰りを待っている。


ただ待つだけじゃなく、行動も起こしている。


何か事件に巻き込まれていないか、一体どこに行ってしまったのか、ご飯を食べているのか、自分がいなくて心細くはしていないか、毎日夜も眠れずに、ラルフの安否を慮っていただろう。


……最悪の可能性だって、何度も頭を過った筈だ。


それでも折れずに、彼女は明日も朝早くにあの旧校舎を訪れる。


第一印象なんか当てにならないものだ。


彼女は見た目以上に、心が強い。


一度逃げ出してしまった私なんかより、遥かに強い。


尊敬する。


だからこそ―――正直言って、彼女のことは見ていられない。


必死に最悪から目を背け、無理矢理前を向いている彼女の結末が、愛犬の死という、バッドエンド以外にはもうなり得ない。


死んだものは、決して生き返らない。


奇術だって、魔法だって、その願いを叶えることは不可能だ。


それが自然の絶対法則。


破ることは、魔法使いにだって出来やしない。


そんな残酷で救いようのない最後が、彼女を待ち受けている。


今度は誰も助けられない。


立ち直ることは、もう二度と出来なくなってしまうかもしれない。


……ちょっと厳しすぎやしないか?神様。


彼女は年端のいかない十代の少女……まだ子供じゃないか。


こんな仕打ちは、あんまりだ。


そして私は―――そんな彼女に、どこまで踏み込めばいいんだろう?


私の本来の目的は、漆城の殺した犯人を見つけ出すこと。


今回の水巴さんの件に首を突っ込んでいるのは、彼女が漆城と過去、何かしら深い関係があったから。


道楽新についても同様だ。


あの二人は漆城と関係がある、もしかしたら犯人その人なのかもしれないと、私は考えていた。


そうして私は一度足が竦み、閉じ籠っていた。


だけどそれは私の短慮と、想像力の無さが招いてしまったこと行動だった。


道楽新は漆城羽火が殺されたと言い、殺したのは水巴さんだと示した。


水巴さんは全部自分が悪いと言い、漆城羽火が殺されたと同時に奇妙な行動が増えた。


道楽新の言葉。


水巴小八重の行動。


私はそれらを、自分にとって都合の悪い、悲観的で偏った視点を以て、解釈してしまっていた。


だがバイアスのかかった前提を考え直せば、違う結論にたどり着ける。


再度情報を精査し、吟味すれば、全く違う景色がまた、顔を覗かせる。


これまでの情報で、この一連の事件の全貌はある程度見えてしまっている。


真実は、もう既に私の掌の上に漂っている。


あとは掴むだけ。


慎重に―――今度は見落としや勘違いが無いよう、一つ一つ確認していけば、真実は容易に手に入る。


だからこそ、ここが分岐点だ。


事件から手を引ける、最後の機会が今だ。


一応断っておくと、手を引くというのは、前みたく私が閉じ籠っていた時のような、死の恐怖故の行動ではなく、あくまでもそれが一番だからである。


これ以上の介入や詮索は無駄であるという、感情が介在する余地のない。極めて合理的な判断だ。


掴みかけている真実。


そこに、漆城の死は含まれていない。


つまりは漆城の死に、水巴さんは直接関わってはいないのだ。


そこまで分かっていて尚、私は水巴さんと関わるメリットは果たしてあるだろうか?


分かり切ったことだ。


悲劇的な結末が確定しているこの物語に、付き合う必要はもう無い。


今度は冷静に判断して、ここら辺が引き時だと、そう思う。


お節介焼きであり、正義感が強い人間の領分だ。


私には情もあるが、自分勝手でもある。


今引かず、踏み込むのは私らしくないと、自分で思う。


ここからは水巴さんの問題だ。


私が無理をしてまで、関わる必要はない。


むしろ目立って事を大きくし過ぎれば、漆城を殺した犯人に警戒されるかもしれない。


それでは本末転倒も甚だしい。


別に、私は前に進むことは決めただけで、自身の死が怖いという思いは全く変わっていない。


死が怖くない人間なんていないだろう。


勇気を持つことと死にたがりは全く違う。


私は、命を投げ出して自暴自棄になることは決してない。


命を大切に、リターンの少ない無用なリスクを背負うのは極力避ける。


だから結局、ここで引くのがベストなのだ。


―――その、筈だ。


間違ってはいない。筈。


なのに、何故だろう?


まだ、引く気にはなれない。


頭ではそれが最善だと理解していても、心のどこかで引っ掛かって、決断を先送りにする。


彼女を、放ってはおけない。


何故なら、今の彼女の状況は―――あの時の私によく似ている。


漆城を殺されたと知った時、私も今の彼女と同じように、自身の不甲斐なさを強く感じていた。


自分の身の回りの、本当に手が届くところで起きた悲劇に対して、私は無力感に苛まれた。


―――まあ一度は自分本位に逃げ出したという点で彼女とは似ても似つかないと非難されるかもしれないが、彼女に共感をしてしまっていることは確かだ。


彼女の立場を経験し、その辛さを分かっているからこそ、私は彼女を見捨てることが出来ない。


自分本位の私の中にある、ほんの少しばかりの情が、正義感が、私を引き留める。


でも私が、臆病で自分勝手な人間であることもまた事実だ。


完全に他人への情だけで構成されてるわけでもないし、ずっと自分勝手な人間という訳でもない。


いざ眼前に死が実感を以てあらわれれば尻尾を巻いて逃げ出したように、今の決断を後悔して、掌を返すことだって、きっと起こり得る。


だから今、考える。


この思考に意味は無いのかもしれないけど、未来の自分に失望しないよう、頭を回す。


私はこれから、どこまで彼女に踏み込むのだろう?


彼女にどれほどの情を感じ、どれだけのことをしたいのだろうか。


自分の気持ちが、わからない。


自分の思いは、一体どこにある?


そもそも私は、彼女のことを最後まで助けてやりたいのか。


未来はどうなっているかは分からないが、今の私の心持ちでは、本当の意味で、この事件から手を引くという選択肢があるとは考えられない。


……全く、一度逃げ出したくせにどの口が、と思われていても仕方がない。


自分でも、臆病な私にしては珍しいことだなと思う。


この気持ちもまた、陶酔から来る勘違いなのかもしれない。


同じ過ちを、繰り返しているだけかもしれない。


それでも今の私は、水巴さんについて最後まで、関わらうとしてしまっている。


その正義感は行き過ぎてやいないか?


私らしくないのではないか?




―――本当に、ただ似ているかという理由だけで、こんな気持ちになるのだろうか?


自問自答を繰り返す。


…………。


…………。


…………。


…………ん?


スマホの着信音が鳴る。


私は放り投げていたそれを拾い上げ、通知を見る。


赤藤からのメッセージ。


開くと、竹中について調べた情報がまとめられていた。


彼だけでなく、そこには竹中グループのほか四人のものも含まれている。


仕事が早いな。


私は送られてきた文面をじっくりと読み、今までの要素と合わせて、導きかけていた結論に当て嵌めていく。


……うん、分かった。


水巴さんが過去に何があったのか。


水巴さんが何をしてしまったのか。


あのクラスで何が起こったのか。


漆城が、何を遺したのか。


彼女が、どんな魔法をかけたのか。


全部が繋がって、解を導く。



―――これでもう、後戻りは出来ない。


この事件の結末を、私は見届けることになる。


傍観者としてなのか、端役としてなのかは分からないが、この物語に最後まで付き合うことになる。


















―――私は彼女に、何をしてあげたいんだろう?






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