第十六話 文学少女と蝿の王(4)
「……悪趣味、ね」
目の前に広がる凄惨な現場に、私は思わずそんな感想を零した。
その部屋は、旧校舎の地下一階に位置する小さな教室だ―――と言うよりも、物置と言った方が近いだろうか、校舎内にある他の、ここよりも広い教室たちと比べても机や椅子の量が多く、しかも乱雑に押し込まれている。
この場所は恐らく、校舎が使われていた頃からこんな状態だったのだろう、立地的にも通いにくく、手狭なので、普段は使わない備品をしまっておく部屋として使われていたに違いない。
そんな場所だから、私も捜し出すのに時間が掛かってしまった。
……そんな場所だからこそ、ここにラルフを連れ込まれていたのだ。
この亡骸はシェパードのもので、首には首輪が付けられている。
品種が見て分かるくらいには、まだ腐敗が進んでいないことから、死んだのはごく最近であることが見て取れる。
これがラルフのものである保証はまだ無いが、この旧校舎の近くで見つかりかつ、首輪を付けているシェパード、しかも最近まで生きていたもの、なんて事例はそう多くないだろう。
確かめるため、私は亡骸の首にある、首輪をよく見る。
血で汚れたそれにはしっかりと、ralphの文字が刻まれていた。
やっぱり、この亡骸はラルフのもので間違いない。
そう、小さい頃から水巴さんはこの旧校舎のある山付近だけでなく、家の近くでもラルフと遊んでいたそうなので、だったらリードが無いのは―――まあ彼女が動物の扱いに長けていて、という可能性も無くは無いが、やはり少々不自然だ。
それに首輪が無ければラルフが野良犬とバレてしまい、周囲から無用な勘繰りを受けるだろうし、最悪厄介な人間に見付かれば保健所行きだ。
ならラルフも守る為、ラルフとの生活を守る為にも、誰かの所有物であることの証明は必須だろう、首輪は昔から付けられていた筈だ。
だったら屋外で飼うという状況も含めて、ついでにリードも首輪に付けて置く可能性が高く、余計リードが無いのは不自然だ。
あの体育倉庫にあったロープ状の何かを括り付けていような跡は、この首輪のリードで巻き付けた跡だったのだ。
つまりラルフは、巻き付けてあったリードを解いて姿を消したということになる。
―――人間の介入がなければそんなことは起こらないだろう。
誰かがラルフをあの体育倉庫から連れ出し、この教室に押し込んだのだ。
しかもその首輪のリ-ドで―――鳴いて位置がバレないよう―――口元をきつく縛り付けられていているという徹底ぶり。
明らかに悪意を持った人物による犯行だ。
亡骸は痩せ細っていて、身体の所々には打撃痕が見受けられる。
血も多く流したのだろう、身体に滲んでいるだけでなく、よく見ると乾いた血痕が部屋のところかしこにある。
連れ去った人物が、この部屋でラルフに何をしていたのか、考えるまでもないし、考えたくもない。
「……間に合わなかった」
あともう少し、あと数日早ければ、助けられたかもしれない。
―――私がもう少し早く部屋を出ていれば、こんな結末にはならなかった。
こんなに近くにいたのに、助けられなかった。
「私が、殺したのと一緒ね……」
後悔するなら、あの閉じこもっていたことだけじゃない。
あの時感じた違和感を、放り投げずにもっと精査しておくべきだった。
誰が、こんなことをしたのか。
私と水巴さん以外で、この場所に来るような人物、それは―――
「ん?」
スマホの着信音が鳴る。
「……ごめんね」
今はまだ、きちんと埋葬してやることは出来ない。
全部終わったら、改めて供養する。
そう約束して、亡骸の前で短く合掌をした後、私は部屋を出てから通話のボタンを押す。
「どうしたの?」
「近況報告だよ。水巴ちゃんの周囲の人間について、ある程度情報が集まったから共有しておこうと思ってね」
「そう」
電話越しに出たのは赤藤だった。
一日と待たずに頼まれごとを進めてくれているとは、仕事が早い。
「どうしたんだい?元気が無いようだけど……」
……本当、こいつは鋭いな。
「大丈夫よ。本当に大丈夫だから」
「……そうかい」
もう立ち止まることはしない。
どれだけ無力感に苛まれようと、逃げ出したくなる現実が現れようと、折れることはあってはならない。
赤藤もそれを理解してくれたのだろう、深くは聞いて来なかった。
こういう時、彼女の性格はありがたい。
「それで、どうだった?」
「ああ、まだ全員を調べた訳じゃないけど、色々と見えてきたよ。そうだな……ある程度グループ分けして話した方が良いか。じゃあまずは運動部の連中から。彼等は分かりやすく奇妙でね、去年の4月から7月くらいまで、部の競技成績が頗る良かったらしいよ」
去年の4月から、となると新入部員として頭角を現したことになる。
しかし7月まで、その言い方ではそれ以降はあまり活躍は出来ていない、という風に聞こえる。
「元々出来る人間が偶然集まっていた、って可能性は?」
「どうなんだろうねえ。一応、眠れる才能が環境や心身の変化で目覚める、なんてこともあり得なくはないだろうけど、クラスの全員が、っていうのは明らか不自然だろう?それに彼等は、大体が中学の時と同じ部活に通っていてね。中学まではそこまで目立った選手じゃなかったようなんだ」
中学から、つまり彼等は中学校を卒業してから高校に入学するまでの間で、爆発的に競技成績が伸びたということだろうか。
確かに不自然だ。
入学したてで環境の変化が影響はするだろうが、馴れていない環境に順応するという意味でむしろ、普通はパフォーマンスは落ちるものじゃないか?
なのに多くの人間がいつも以上の成果を挙げた。
「で、そんな彼等の現在だが、お察しの通り、今は平凡な一部員として清を出しているようだよ」
「スランプとかではなく?」
「元々成績が良いわけじゃなく、数ヶ月だけ飛び抜けていのだから、どちらが本当の実力なのか、周りがどう判断するかは一目瞭然だろう?」
成績の低迷―――というよりも、順当に戻った―――好調だったことの方がイレギュラーだと判断された。
同じクラスの生徒同士の、不可解な共通項。
入学してからの数ヶ月の間で、彼等に何かがあったのは間違いないだろう。
「他には?わざわざ運動部、って区別したのだから、あのクラスにはまだ、別の共通点があるんでしょう?」
「ああ。勿論。さっきの話は運動部に限ってのことだったけれど、次は全体に関係する話だ。どうやらあのクラス、素行が良くないと一学期は教師の間で有名だったそうだよ」
「荒れてたの?」
「学級崩壊とまではいかなくとも、他のクラスと比べたら素行不良が目立ったそうだ。具体的には授業中、ひどい時は半分以上の生徒が居眠りをしていたり、些細なことで感情的になったり、短絡的な行動に走ったり、そんなところだ」
ちょっとヤンチャな学生程度のものだ。
「ただクラスの雰囲気は悪くなくて、明るく活発な様子だったと、教師たちは不思議がっていたよ。そして―――」
「一学期を終えると、それも収まった?」
「ご明察。正確には夏休みを挟んでからだね」
タイミング的にも、運動部の件とも一致しているのはただの偶然ではないだろう。
「あとは体調を悪くする生徒も多かったようだ。原因の分からない震えや下痢、腹痛等々。にも関わらず生徒の殆どは医師の診察を受けたがらないと、保険医はぼやいていたよ」
「……随分教師側からの意見が多いわね」
赤藤はクラスメイト達に探りを入れていた筈。
なのに本人たちからの情報が少ないように感じられる。
「何か微妙にはぐらかされたんだよね。水巴ちゃんの時みたく」
水巴さんについてだけではなく、彼ら自身についてのことも、彼らは触れたがらない、ということか?
自身のプライベートはあまり吹聴したくないという気持ちは理解できるが、調べたのはあの赤藤だ。
彼女が他人のとのコミュニケーションにおちて心の距離を測り違えることは考えにくい。
そこら辺は上手くやるものだと思っていたが……
「―――ということで、いよいよ信憑性が帯びてきたね」
「……そうね」
私たちが立てた仮設。
それは、クラスメイトたちが水巴さんに触れたがらなかったのは、彼女の問題に対して彼らが巻き込まれるのを嫌がったから、ではなく、彼ら自身に、何か知られたくない事柄があったからではないか、という説である。
つまり、彼らは水巴さんのこと隠したかったのではなく、彼女を調べることで、彼女と自分たちとの繋がりが露呈し、自分たちに調査の矛先が向かうことを防ごうとしたのだ。
このような仮説を立てるに至った根拠は、水巴さんのクラスメイトが皆、一様に口を開こうとしなかったからだ。
水巴さんだけの問題で、彼らの殆どが傍観者であるなら、ここまで徹底して彼女についての情報を隠そうとするのは不自然だと感じたのだ。
例えば巻き込まれたくないという理由があったとしても、人の噂に戸を立てるのは難しく、秘密を共有したがるのが人間の性である。
それに匿名希望による情報伝達、公開なんて今の世の中ならいくらでもやりようがあるだろう。
本当に彼らが水巴さんとは全く関係のない、ただの第三者ならば、彼女のことを一人や二人、中の良い友人や信頼できる大人に相談したり、雑談のネタにするくらいはしそうなものだ。
なのに彼らは、全く口を開かなかった。
彼らがそこまでする理由は何だ?
噂話すらせずに、口を閉ざす理由とは一体何だろう?
その答えは、水巴さんの話が単なる第三者のゴシップではなく、自身が当事者であるから、ではないだろうか?
野次馬感情ではなく、自身の非常にセンシティブな問題で、知られたくないという、自己保身に近い感情が、彼らに今のような行動を取らせているのではないだろうか?
「どうやらこの件、水巴さんと一部の生徒、なんて小さい括りではないようだね」
「ええ、あのクラス全体で、きっと何かあった。水巴さんは、一体彼らにとって、どんな存在だったんでしょうね……」
水巴さんはもちろん中心人物だが、あくまでもそ当事者の一人でしかないのだ。
だったら彼女のクラスでの立ち位置は一体何だったんだろう?
「少なくともクラス中から隠されるということは、単なるクラスの一生徒、という訳ではないだろうね。それこそ、曲ちゃんの仮設がそのまま、なんて可能性もある」
水巴さんの元クラスメイトがただの第三者ではなく、全員が当事者であるという仮説。
私たちの立てたこの仮説には続きがある。
私たちは最初、彼女がクラスで何らかの迫害、いじめを受けていると思っていた。
その予想は、クラスメイトたちが彼女についてひた隠しにする理由が彼ら自身もまた、いじめに巻き込まれないようにする為だと考えたことから、導いたものである。
しかしこれまでの仮設が正しければ、その予想は覆る。
そして何より、彼女自身がいじめについては否定した。
彼女の言葉を聞いたとき、初めはいじめの被害者の例としてよくある、いじめの実態を知られたない、他者に迷惑をかけたくないという思考からの、言動だと私たちは思った。
だが彼女が、本当に真実のみを言っていたのだとしたら?
行き過ぎた自虐ではなく、淡々と事実のみを述べていたのだとすれば?
『私が、全部悪いんです』
あの言葉には、嘘やその場凌ぎではない、本心が感じられた。
最初の―――水巴小八重が被害者であるという前提が間違っていて、逆に彼女自身が加害者側の人間であるのではないか?
だからクラスメイト達は彼女について多くを語らなかった。
いじめにおいて加害者が被害者の口を封じるように、水巴小八重という加害者が、被害者―――クラスメイトたちの言動を、恐怖と利害によって制限させていた。
それが私たちの仮設から導ける、最終結論である。
「……だとしたら彼女こそ、一体何者よ」
「そうだな……ベルゼブブ、なんてね。でも冗談じゃなく、いよいよ羽火の言っていたことも笑い話では無くなってきたな」
「……ベルゼブブ」
ベルゼブブ。
蠅の王。
暴食の悪魔。
それは、生前の漆城の言葉。
彼女は誇張はするが虚構を吐くことはない。
そして同時に思い出されたのは、水巴さんの言葉だ。
『私は、醜い蠅だから』
単純に考えて、漆城と水巴さんの言葉を対応させれば、それは彼女を指す言葉になるだろう。
ベルゼブブという加害者が、あのクラスを貪っていた。
漆城羽火は去年の夏ごろ、蠅の王を打倒した。
そしてクラスメイトたちの奇妙な変化は元に戻った。
前提を見つめ直せば、これまでバラバラだった要素が筋道だって一つにまとまり、整理され、新たな結論が生まれる。
この事件の全貌。
まだ軽く靄がかかってはいるが、確かに見え始めている。
「赤藤、急で悪いけど、やって欲しいことがあるわ」
「何だい?」
ここまででも、かなり点と点とが繋がった。
だがまだ、明かさなくてはならない謎は多く残っているのだ。
そして、今見えかかっている真相が真実ならば、残念ながら事態は急を要してしまっている。
遅くても明日にはすべてが終わってしまう。
その前に手を打たなくてはならない。
もう、後悔するのはたくさんだ
「……竹中勝について調べてくれない?くれぐれも、本人には接触しないように」
「ふうん、どうして彼を?」
「理由は後にして。じゃあなるべく早く、今日中にはお願いね」
「は?今日?それは流石に……」
「お願い」
「……分かったよ」
赤藤から了承を引き出してすぐ、私は電話を切った。
竹中勝。
彼については慎重に、そして迅速に調べる必要がある。
彼と水巴さんとの間に何があるのかは分からないが、少なくとも平和的な関係でないことは確かだ。
ラルフをあんな風にした人物。
それはこの旧校舎に出入りしている人間しかいない。
旧校舎はもう使われていないし、好き好んでここに出入りする人間は限られる。
この場所に通っているのは私も含めて水巴さんと合わせて二人のみ、過去を含めても漆城が足されて三人だ。
けれどもう一人、いや、もう一組ある。
あの日、私が初めてこの旧校舎に訪れた時にすれ違ったグループ―――竹中勝を中心としたグループである。
ラルフの亡骸は一人がやったというよりも、複数人で嬲ったかのような、そんな凄惨な現場だった。
竹中グループ―――彼らがラルフを殺した犯人なのだ。
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