第十五話 文学少女と蠅の王(3)

「久しぶり」


「……」


「折角見舞いに来てあげたんだから、返事くらいしたらどう?」


「別に頼んでないだろ」


「無償の施しほどありがたいものはないわよねえ」


私はベットの横にあるパイプ椅子に腰かけた。


最初、私の存在に驚いていた彼は、分かりやすく不機嫌になった。


「はいこれ見舞い品」


そう言って果物の盛り合わせを渡す。


この前は何も持って来ずに、ただ一方的に話をしに行っただけ―――って改めて思い返すと相当失礼な見舞い人だったな。


それほどまでに私も、そして赤藤も余裕が無く、降って湧いた彼という有力情報に食い付いてしまったということだ、反省。


だから流石の私も申し訳なく思って、今度は見舞い品を持参した次第という訳だ。


まあ用意したのは赤藤だけど。


しかし流石はお嬢様、見るからにお高そうな果物たちだ。


……うん、おいしそうだな、これを貰えるとは羨ましい。


「いらないよ」


「そう?勿体ない」


私は差し出した果物かごを引っ込める。


仕方ない、本人がいらないというのだから、食料廃棄を防ぐという意味でもここは一つ、私が消費しておこう。


早速ブドウを一粒、口の中へと運んでみる。


おいしい。


嚙むごとに濃い味の果汁があふれてくるのに、それが全くくどくない。


何個でもいけそうだ。


私はもう一粒口に運ぶ。


うん、おいしいおいしい。


成程、これが高級嗜好品という奴か。


私がブドウに舌鼓を打っている様子を、彼―――道楽新は懐疑的な目で見つめる。


まあ、彼からしてみれば、その感情は至極当然のものだろう。


ゴクリ。


じっくり咀嚼していたブドウを飲み込む。


「貴方も食べる?」


「いらない……なあ君、ふざけているのか。どうして、またここに来た?」


そう、私は家で塞ぎ込んで、赤藤に叱咤された後、もう一度道楽新の病室を訪れていた。


一度は逃げ出したこの場所に、性懲りもなく再び足を踏み入れたのだ。


彼の心象はさぞ悪い―――同時に、私の行動に理解が追い付いていないだろう。


「また俺に何か聞きに来たのか?だったら前と同じように、とっとと帰れ。俺はこれ以上、お前とは口を利くつもりはない」


「ん?違う違う。もう貴方には何も聞かないわよ。いや、聞く必要が無くなった、という表現の方が正しいわね」


「……だったら、猶更どうして、ここにいる?」


「理由は二つあるわ。一つはお礼、もう一つは……誤解は解かなきゃって、そう思ったのよ」


「礼?誤解?」


彼の困惑した声に、私は頷く。


「貴方のお陰で、今回の件は解決したわ。それについてのお礼よ」


水巴さんの周りで起きた一連の出来事、それらは一応の収束をみせた。


ここに来たのは、その経過報告的な意味合いも含んでいた。


「解決……ってことはなんだ、あの女は立ち直ったのか。一度ならず二度までも他人に助けられるなんて、どこまでも迷惑な奴だな」


彼がどこまで知っているかは分からないが、この言葉から、少なくとも水巴さんが一度は立ち直ったことは知っているようだった。


もしかしたらそのまで、知っているのかもしれない。


そうなれば、彼があそこまで水巴さんのことを敵視する理由にも、ある程度納得がいく。


……やっぱり、私も彼も、少し勘違いをしていた。


この前のやり取りは、お互いにすれ違っていたことを、確認できた。


「無事に……とは言わないけれどね」


「?なんでも良いけどさ。僕はもう、あの女については話したくないし、聞きたくもないって、そう言っただろ?今あの女がどうなろうか、僕には関係ないし、関わりたくもない」


「でも、貴方がいたから真実に辿り着けたのは、貴方自身がどれだけ否定しようが覆ることのない事実よ」


「……勝手にしろ」


「ええ。勝手にする。ありがとう」


短く感謝の言葉。


「じゃあ、誤解っていうのは、一体何だ?」


そして、ここからが本題だ。


私は、彼の誤解を解かなければならない。


も含めて、彼とは帳尻を合わせる必要があるのだ。


「水巴さんについての誤解よ」


「あの女に?僕が何を誤解してるっていうんだ」


「まるで彼女のことを全て知っているような言い草ね。前にも言ったでしょ?端から眺めてるだけで、その人の全てが分かった気になるのは、驕りよ。現に貴方は、彼女が本質的には何も変わっていないと思っていたようだけど、本当にそうなら、彼女が再度立ち直る、なんてことは無いでしょう?」


「それは……」


「誤解していたのよ。お互いにね」


私と彼は、二人とも水巴小八重という人物を浅く見積もっていた。


彼女のことを早計にも間違った型に当て嵌めてしまった。


彼女のことを真に分かっていたのは―――漆城だけだった。


だからこそ、私と彼は、知っておかなくちゃならない。


知って、自分の愚かさを知り、後悔しなければならない


「貴方は、彼女のことを人殺しと言った。私は彼女のことを、被害者だと思っていた」


どちらも微妙に合っていて、絶妙にずれていた。


その間違いを今、正す時だ。


「貴方は何も言わなくていい。聞くのも自由。これは所詮、私の自己満足だからね。私はそういう奴。自分勝手な人間―――でも、それは全部じゃない。私には、思いやりの気持ちも、確かに少しばかりあるらしいから、目の前で勘違いしたままの人間を放っておくのも忍びないの」


あの日、家を出てから色々あった。


土産話に少々付き合ってもらおう。


のことを想うなら、耳ぐらいは傾けておきなさい」


初めて、彼の前で漆城の名前を口にする。


彼もまさか、私がそこまで辿り着いていたとは思わなかったのだろう、何も言わず、しかしその瞳は見開き、静かに驚嘆していた。


そう、結局私たちはあの死んでいった魔法使いに踊らされていたに過ぎない。


彼女の死が私たちを狂わせた、ただそれだけの、単純な話だったのだ。










―――――――――













赤藤が来襲した翌週、私は再び学校へと通い出した。


彼女には既に、私の秘密―――漆城が殺されたこと、その根拠はあらかた話してしまっている。


彼女に絆されて、つい口が滑ってしまった。


これで彼女も私と同じく、晴れて危険な身の上になった訳だ。


つまり私と赤藤は、所謂一蓮托生というやつだ。


こうなったら彼女の事は今まで以上にこき使ってやる。


「周りの人間を調べる?」


「ええ」


私は学校に来て早々、赤藤に水巴さんの周りの人間を、より詳しく調べることを頼む。


「それは難しいって話だっただろ?」


今までは彼女の周りの人間について、深く調べることは無かった。


それは水巴さんにも危険が及ぶかもしれないという懸念があったからだ。


しかし私たちが動いて、彼女に一切の注意が向かないやり方も存在する。


「だから、水巴さんについて聞くんじゃないくて、彼・彼女等自身について、聞くのよ」


直接水巴さんについて問いかければ、私たちが水巴さんと何かしら関係していることがバレてしまう、そうならないよう、あくまで水巴さんについては触れずに、調べるのだ。


「それは……出来るだろうけど、何の意味があるんだい?」


確かに、水巴さんとは直接関係のないことを聞いて回るのは一見無意味のようにも思える。


だが、私の疑念を確信に変える為には、その行動はなくてはならないものなのだ。


「確かめたいことがあるの」


「確かめたいこと?それは何だい?」


「私たちは、思い違いをしていたのかもしれない」


「思い違い?」


「前提が、間違っていたのかもしれないの」


「……ふーん。で、どんな結論に行き着いたのかな?教えて欲しいね」


「……まだ疑惑の段階よ。情報も、証拠も圧倒的に足りない、もしかしたらの話しかできない」


「可能性として、どれくらい?」


「半分……も無いわね」


「分かった。それでいい。聞かせてくれたまえ」


「信じられないかもしれないわよ?」


「おいおい、私を疑うのかい?あんな奇天烈な妄言ですら信じた私を、どうして疑うことがあるのかな?」


「……そうね」


先日、彼女に話したこと。


それに比べれば、これから話すのはまだ現実的だ。


信じられるのか、そう思うのは彼女に対する侮辱に他ならない。


「水巴さん、あの人は―――」










「―――っていうのが私の考え。どう思う?」


「……成程。確かに信じるにしても、情報が圧倒的に足りない」


「でしょ?」


情報が足りない。


そう言いつつも、彼女から一切の疑念が感じられない。


「分かった、水巴ちゃんの周りについて、もう一度調べてみよう。仮に君の言葉が真実だとしたら、何人か当たればボロが出る筈さ」


「そうね。よろしく」


「……なんか今日はやけに素直だね、ツンデレちゃんが珍しい」


「誰がツンデレちゃんよ!!」


人を変なあだ名で呼ばないで欲しい。


くそっ、この女、ちょっと感謝すればすぐにこれだ。


油断も隙もあったもんじゃない。


「とにかく、頼んだわよ」


「分かってるって。それで、曲ちゃんは?」


「私は、もう一回旧校舎の方に行ってみる」


前提が覆れば、全ての要素を再度疑い直す必要が生じる。


なら真っ先に向かうべきあそこだ。


全ての始まりは、あの旧校舎からなのだから。











―――











「ふーむ」


私は旧校舎に向かい、体育倉庫を眺めて唸った。


水巴さんはこの場所で失くしもの―――ラルフを捜していた。


何故この場所を執拗に捜すのか、それはラルフが元々ここにいたからだろう。


では何故、ラルフはここにいたのか?


答えは簡単、彼女がここで、ラルフを飼っていたからだ。


彼女の両親は動物を飼うのには反対していた―――それが野良犬なら尚更だろう―――だから、彼女は自分の家で飼うことは出来ない筈である。


だが彼女は、ラルフとずっと一緒にいたと、嘉代さんは言っていた。


つまり彼女は別の場所で、それもかなり近くで、ラルフを匿っていたのだ。


普通の子供が動物を飼う為に用意出来る場所なんて、そう多くは無い。


況してや毎日会いに行っても怪しまれない、かなり家から近い場所なのだから、その数はもっと限られてくる。


さらにもう一つ、重要なことがある。


彼女とラルフは、どこで出会ったのだろう?


野良犬なんてそんじょそこらで捨てられているものでもない。


今の時代、見つかればすぐ保健所や自治体に直行だ。


彼女はなるべく、一目の付かない場所でラルフと出会ったのではないだろうか?


そこで考えられるのは、この旧校舎だ。


この旧校舎の建っている山は、野良犬や野良猫は珍しくない。


そして彼女の家からも通える距離。


壊れかけでも建物だ、雨風を凌ぐ手段だっていくらでもある。


旧校舎で、もっと言うとこの体育倉庫で、彼女はラルフを飼っていたのだ。


前に訪れた時にも気になっていたが、ここはボロい校舎の施設には不釣り合いなくらい、清潔に保たれている。


勿論道具は使い物にならないものが多く、老朽化も進んでいるが、埃っぽさは全く無い。


随分な頻度で、手入れをしていた証拠だ。


「だとしたらここらへんに、ああ、あった」


倉庫の奥、雑多にまとめられていた用具入れを掻き分けて捜してみると、案の定ペット用の皿と、この倉庫の中では比較的使い物になりそうなボールが見つかった。


皿は食事用で、ボールは遊び道具かな?


ここにある用具の中では明らかに目新しく、使い込まれている。


「でも、じゃあラルフはどこに?」


嘉代さん曰く、彼女とラルフは相当仲が良かったそうだから、ラルフが勝手に逃げ出したのは考えづらい。


本当は虐待をしていたとか?


……いや、今のは笑えない冗談だったな。


虐待の玩具が無くなった程度で、あんなに血なまこに、涙を流してまで捜すことはあり得無い。


そもそも本当に虐待していたら、こんなに綺麗に倉庫や道具が使われないだろえし、もっと色んな道具だって使われ―――


ん?待て。


じゃあはどこだ?


あれがこの場に無いのはら明らかにおかしい。


私は倉庫の中をもう一度よく見渡す。


どこだ?どこに―――


あれ?何だ、この違和感。


入り口で見た時とは、景色が丸で変わって見える。


中からと外からの、視点の違い?いやそれだじゃあこの違和感は―――


って、今はそれだけじゃない。


そんな根拠の無い違和感よりも、私は見付けるべきものがある。


それはこの倉庫の中に必ずある、無ければおかしい。


私は倉庫中を右往左往して探す。


可能性という意味では、至るところに、それはあるだろう。


倉庫の端から端まで、ローラー式で見て回ると、鉄の棒を組み合わせることで形作られているボール入れ、その中の棒のひとつに、はあった。


何か細いロープ状のものをくくりつけていたであろう部分。


その部分だけ他と比べて日焼けしておらず、錆も削れていた。


「やっぱり……じゃあ、ラルフが消えたのって……」


この場所を知っているのは、今や私と水巴さんだけ―――ではない。


私は倉庫を出て、旧校舎に目を向ける。


元々の学舎なのだから、現校舎ほどで無いにしろ、巨大だ。


誰か1人―――1匹居たところで、大人しくされていたら気付けないだろう。


「そ、そんな……だったら……!」


私は一目散に旧校舎の中へと入って行った。


教室の扉をこじ開け、机をひっくり返し、椅子を蹴飛ばして、駆け回る。


くそっ、私のせいだ。


どうしてもっと早く、思い至らなかった!


最悪の想定を排除しようとはしなかったんだ!


後悔しても仕方がない。


今は必死に足を動かす。


間に合え。


間に合え。


間に合え。


そう祈りながら何分、いや、何時間そうしたのだろう、すっかり日も落ちた頃―――私はやっと、彼を見付けた。


「あっ、あっ、あああっ―――!!」


暗闇の中、もう犬とも判別出来ない程に痩せ細った亡骸を見つめながら、私は自身の無力感に苛まれて、深く絶叫した。

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