第十二話 文学少女と蠅の王(2)

「……帰ってくれないか?」


彼が最初に口にしたのは、私に対しての明確な拒絶の言葉だった。


「何故?私は彼女の今のクラスメイト。元クラスメイトの貴方と、彼女に付いて世間話を聞したいだけなのよ?」


「どの口が。ただの世間話で、こんなところまで来るわけ無いだろ」


「へえ、随分とまあ、邪見にしてくれるのね」


自分が失礼な物言いをしていることは百も承知だが、それにしても彼の拒絶具合はやり過ぎな気がする。


「何故僕なんだ?あのクラスの人間なら、他にいくらでもいるだろ?」


「貴方が一番都合が良いから。貴方なら私達が来たこと、誰にも言わないでしょ?」


「……それは、あの女の為か?」


あの女。


露骨な嫌悪を彼は滲ませる。


「そうだと言ったら?」


「あの女の肩を持つとは気が知れないな、というだけだ」


「貴方の方こそ、水巴さんに対して相当当たりが強いようだけど、どうしてかしら?」


「……答える義理は無い。他を当たってくれ、あの女については、話すことも聞くことも、煩わしい」


「そう言われて素直に、はいそうですか、って引き下がると思う?ああ勿論、貴方以外のクラスの人間にもそれとなくは聞いたわよ」


深く追求すると怪しまれるので、本当にさりげなく、だ。


……聞いたのは赤藤だけれど。


「でも、誰もまともに取り合わなかった。不思議だとは思わない?あんな、ちょっと気の弱いだけの女の子を、除け者にするなんてね」


そこに、正当な理由があるとは思えない。



「気の弱い、か。お前たちにはあの女が、そう見えているのか?」


「……何が言いたいの?」


「別に。どうせ、今もあの女は教室の隅で、こそこそしてるんだろうって、そう思っただけだ。やっぱり、あの女は本質的に何も変わってはない」


変わっていない。


その言葉には失望と、軽蔑が感じられた。


水巴さんの変化が結局は見せ掛けであったことへの、そして彼女が変化していなかったことへの、失望と軽蔑。


彼女の変化とは、両親の死に塞ぎ込んだ状態と、立ち直った状態との変容のことである。


彼女の両親が死んだのは去年の4月。


つまり彼にとっては、落ち込んだままの彼女が、本来の彼女なのだ。


過去の私も、彼とは一年違いではあるが、彼女の第1印象はそうだった。


でも、その認識は間違いであることを、今の私は知っている。


昨日の嘉代とのやり取りを、思い出す。


「違う。彼女がそんな状態になったのには理由がある。端から見ているだけで、その人間の全てが理解できる、なんて思わないことね」


「……確かに、一理あるな」


一応の同意。


だが、「じゃあ」と直ぐに彼は切り返す。


「理由があれば、人を殺してもいいのか?」


「え……?」


質問の、意味が分からなかった。


言葉の意味。


それを彼が口にした理由。


全てが、分からなかった。


殺す?誰が?


文脈的に、まさか水巴さんが?


じゃあ、一体誰を?


水巴さんと関りの有る人間は限られる。


去年のクラスメイト。


今年のクラスメイト。


嘉代さん。


ピギー。


ラルフ。


この中で、殺された人物。


……そんなの、一人しかいない。


漆城羽火。


彼女しかいない。


だがどうして、彼がそのことを知っているのだ?


彼女の死が他殺であることは、私以外知り得る筈が無いのに……


「もう一度言う。俺は、あの女について口にしたくない。聞きたくもない。見たくもない。関わりたくもない」


いや、もう一人いる。


漆城が殺されたことを知っている人物、それは―――






―――彼女を殺した、張本人。






「だから、もう帰ってくれ。そして、俺に二度と関わるな」


道楽新。


漆城羽火が殺されたと主張する人物。


水巴小八重が人殺しだと主張する人物。


漆城殺しの、容疑者。


私は彼の言葉に、何も返すことが出来なかった。





――――――






「で、言いくるめられて帰った訳だが、どうしたんだい?君らしくも無い」


「…………」


「曲ちゃん?」


道楽新は、漆城が殺されたことを知っているというのは、彼から直接聞いたわけではない、私の勝手な予想だ。


彼の文言から私が推察しただけの、ただの仮定でしかない。


でも、仮定だからこそ、嘘だとは断定できない。


漆城は世間的に、不審死ということになっている。


原因は不明。


事故死か、自殺か、他殺かも分からない、だから憶測を呼んでいた。


確実に殺人だと言いきれる証言も証拠も、公表されてはいない。


そして私だけが、私にしか手に入れることの出来ない情報から、彼女が殺されたことを知っている。


よって、漆城が殺されたのだと知っているのは、私以外いないのだ。


もし私以外にいたとしたら、その人物は私とは別の筋道から、彼女の他殺を知ったということになる。


でもそれは一介の高校生が知ることの出来るものではないし、況してや学校に行っていない道楽新が、知ることなど出来る筈が無い。


むしろ、よく漆城羽火の死という情報を入手出来たものだと感心してしまう。


故に彼女の他殺を知っている学校関係者は、必然的に彼女を殺した犯人である可能性が高いことになってしまう。


彼が犯人なのだとしたら、そして犯人じゃなかったとして、彼の言葉が真実でえい、水巴さんが犯人だとしたら―――


―――私はその深く接触してしまった。


人殺しの最有力候補に押しかけ問答をしてしまった。


私が犯人の立場で、自分のことを探っている人間がいたとした、取る手段は一つ。


そんな奴は、消してしまおうと思う。


さっさと逃げる可能性もあるが、今突拍子もなく学校からいなくなれば自分が怪しまれる可能性があるのだから、強硬手段に出てもおかしくは無い。


そして、犯人の行動を楽観的には構えられない。


何故なら、相手はもう既に人殺しと言う、最も倫理観が欠如した大罪を犯した人物なのだから。


「……ちゃん」


私は、既に犯人に目を付けられたのか?


だったら―――殺される。


疑いが広まらないよう、真っ先に殺される。


私の今までの行動が、私の首を絞め、引き千切る。


もう春の暖かい季節なのに。背筋に悪寒が走る。


殺される。


殺される。


殺される。


殺される。


殺される。


漆城のように、殺される。


彼女の死を調査すること、犯人を見つけ出すことには、危険が伴うということは、頭では分かっていた筈だった。


殺されるというリスクも、勿論承知していたつもりだった。


けれど、想像の死に様が急に目の前に表れ、現実味を帯びて来たことは、私を立ち止まらせるのには十分だった。


喉元にナイフを添えられたような、こめかみに銃口を突きつけられているような、リアルな死に対する恐怖。


自分の行き着く結末に、身体が震えてしまう。


死んだ彼女への義理を果たす。


救ってくれた彼女に、せめて自己満足ではあるが、返すべきことがある。


そう思っていた。


でも、結局それは現実が見えてない馬鹿な女子高生の、浅はかで愚かな考えだった。


だって今、死に対して怯えている私は、漆城のことなんてまるで考えられていない。


自分の事だけだ。


自分の事情。


自分の安全。


自分の命。


自分を守ることしか、考えていない。


頭の中だけのかっこつけも、勢い任せの覚悟も、全て意味を成さない。


自己満足。


私はその言葉を自虐として使っていたが、その実心のどこかでは、本当は漆城の為になると思っていて、そうやって自己中に見せ掛けて他人を慮る自分の人物像に、私は酔っていたのだ。


ニヒルなダークヒーローでも気取っていたつもりか?


中二病もほどほどにしとけよ、ったく。


今なら、正しい意味で使える。


―――立場が悪くなれば、保身の事しか考えていない、真の意味で自分勝手であり、姑息で矮小な人間。


それが、私だ。


真ヶ埼曲という人間の本質だ。


……ちょっと見ただけで水巴さんのことを知った気になるなと、私は道楽新に説いたが、今となれば滑稽だ。


自分の本質にさえ、まるで気付けていないじゃないか。






―――私はもう、進むことは出来ない。






「……ちゃん」






―――いや、待て。


もしかしたら、犯人はまだ私を殺そうとは思っていないかもしれない。


相手に道徳を求めることは出来ないが、損得勘定を求めることは出来る。


人殺しはリスクが高く、隠蔽しにくいものだ。


だから相手も、慎重になるはず。


その希望もまた、楽観的なのかも知れないが、私にはもうそれしか縋るものが無い。


そうだ、きっとそうだ。


これ以上私が踏み込まなければ、私は―――


「―――曲ちゃん!!」


思考に耽っていた私は、赤藤の声で現実に戻される。


赤藤は心配そうにこちらを見ていた。


こいつが真面目にこんな顔をするくらい、今の私は酷い顔をしていたのだろうか?


これは、しばらく鏡は見たくないな。


「……何?」


「何って、これからどうしようかって話だよ」


「……ああ」


「全く、しっかりしてくれよ。それで―――」


「もういい」


「…………ん?どういうことだい?」


「もう、関わるのはやめようって、そう言ってるのよ」


繰り返し、詳細に、調査の打ち切りを宣言する。


「……聞き間違えかな?」


首を横に振る。


「何で今更、そんなことを言い出すんだい?」


「今、だからよ。もう調べる伝手は無いし、根本的に、私たちが首を突っ込む問題じゃなかったのよ。いやこの際、問題があったってこと自体ただの思い過ごしで、水巴さんがああなってる原因は、ただ単に五月病とか、そんな何てことないものかもしれないわ」


思い過ごし。


過大解釈。


誇張妄想。


そうやって逃げる。


今ある全部から、目を背ける。


水巴さんのことも、漆城のことも、道楽新のことも、私の死についても、無かったことにする。


そう、思い込む。


「……貴女にも、迷惑かけたわね」


それだけ言って、私は一目散にその場を立ち去る。


「ちょっと!曲ちゃん!?」


後ろから赤藤が何か言ってるのが聞こえる。


でも、聞こえないふりをする。


出来るだけ早く、早く―――その思いが足を動かし、気づけば私は子供みたいに全力疾走していた。


心臓の鼓動早まる、痛い。


肺が酸素を求めて活発に動く、痛い。


それでも走る。


冷めた身体を無理矢理熱くする。


エネルギーを消費して、思考を鈍らせ、余計なことを考えないようにする。


恐怖、懸念、責任、後悔、正義感。


それらを振り切るように、走る。


振り返らず、逃避する。








私は真ヶ埼曲。


どこにでもいる普通の高校生。


何かを為そうとその気になって、何も為せずに折れた、本気の覚悟も持ち合わせていない―――










―――世間知らずで、現実の見えていなかった、ただの子供。




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