第十一話 文学少女と蠅の王(1)

次の日。


「ベルゼブブ?それはまた羽火が言いそうな言葉だ」


「ええ。漆城らしい、見せ掛けだけの何の意味も無い妄言」


「はは、君はいつも羽火にはキツイ言い方をするよね。まあ確かに、羽火はよく特に意味の無い言葉を格好が良いというだけで使ってはいたが……それは嘘と言うよりも、脚色に近かった。誇張はされていても、虚像ではない。彼女の使う言葉自体に意味は薄いかもしれないが、彼女がその言葉を使ったことには理由がある。君もそう思ってるんだろう?」


ベルゼブブ。


蠅の王。


物語上の悪魔が実在するとは思っていない。


しかし、彼女が蠅の王と例えた、何かしらは存在するだろう。


そうでなく、全部100%の妄想だったら、わざわざ嘉代さんの元を訪れたりはしない。


漆城はどこからか嘉代さんと水巴さんが親密であることを知って、その言葉を伝えるべきだと判断したから、行動に起こしたのだ。


では、彼女がベルゼブブと呼んだものは何だろう?そして、それを打倒したというのはどういう意味なのだろうか?


「蠅の王。水巴さんも、自分を蠅だと言っていた……」


「偶然じゃない、かい?」


「恐らくね」


「ふーん。情報は増えたが、少し抽象的過ぎるな。彼女の周辺を洗い出すのも、そろそろ限界じゃないかい?」


「……そうね」


水巴さんの塞ぎ込んだ原因―――彼女の両親の死と、そこから立ち直るのにラルフと漆城が関わっている。


そして漆城が死に、ラルフの行方が分からなくなったことで、彼女はまた一年前と同じ様子に戻った。


どの情報も結局は、水巴さんが学校や旧校舎で何があったのかという根本的な部分を明かしてはくれない。


やっぱり外部の人間だけを調べても限界があるし、それによって思いつく仮説も、仮説の域を出ることがない。


校内の生徒―――彼女の元クラスメイトについて調べるのは、全貌を明かすのには避けて通れないのだ。


「だけど、迂闊に彼女のクラスメイトに接触するのは危険よ」


彼女はイジメを受けていないと言っていた。


しかし、クラスメイト達が彼女について触れようとしないという事実自体は変わっておらず、そのような情報統制には作為的なものが無い限り成立はしないだろう。


多くの人間の口を、本人たちの良心だけで閉ざすことは出来ない。


誰かの圧力、個人か組織かは不明だが、その類のものが必要だ。


それが分からない限り、自分達だけならまだしも、水巴さん自身にも危害が及ぶ可能性が残されている。


「分かってるさ。つまりはそいつが、ただの巻き込まれであるかつ、私達の詮索を黙認してくれることへの、確固たる保証があればいい。そういうことだろう?」


「それが分からないから困っているんじゃない」


「いるんだよ。一人だけ」


赤藤はスマホの画面を私に見せてつけてきた。


画面に映っているのは、昨日見た水巴さんのクラスの全体写真を拡大したものだ。


ある一人の人物、男子生徒の顔が中央に映るよう、拡大されている。


「彼は誰?」


道楽新どうらくあらた。水巴ちゃんと同じクラスの生徒だった人物さ」


「そんなことは分かってるわ。私が聞いてるのは、どうして彼が大丈夫なのかってことよ」


「彼は今年の夏から入院中で、今は学校に来れていない。つまり私たちが接触しても、学校の人間に知られることは無いということさ」


「はあ?そんなの分からないでしょ?病院だろうと、中から連絡は取れるし、何より彼が巻き込まれた人間だとは限らない」


「そこは心配ない。ほら」


次に彼女は、SNSアカウントがずらりと並ぶ画面を下にスクロールして見せた。


そこには何十、いや何百人のアカウントが登録されている。


友達100人出来るかな♪どころではない。


……あの歌詞を現実に再現してる奴なんて初めて見た。


確かここには水巴さんの元クラスメイト全員が入っている筈だが、何だったら全校生徒登録されているんじゃないかとさえ思う。


ったく、こんなのを見せびらかして、赤藤は一体何を言いたいんだ?


友達自慢か?


だったら余計なお世話である。


友達は数じゃなくて質なのだ。


薄く広くよりも、深い関係をどれだけ築けるかが重要だろう。


……別に悔しいとぁ、羨ましいとか、そんなことを覚えていない。


と誰に向けるでも無い言い訳を考えていた所、彼女の指が止まり、画面もそれ以上下に動かない。


どうやらそれで登録されたアカウントは全てのようだ。


ん?


待てよ、おかしい。


「……いない」


「そう!私は水巴ちゃんのクラスメイトと接触する時に、まずは元いる友達から、後は芋づる式に連絡を取っていた訳だが……なんと彼の連絡先は誰からも辿ることが出来なかったんだよ!元クラスメイトだけじゃない、私の知り合いの生徒全員を辿っても、結果は同じだった。それに彼は入院中だから、勿論直会うこともない。話を聞くところ、特に中の良い人物もいなかったようだ。裏を返せば、彼からも周りで頻繁に連絡を取り合う人間はいないということさ!彼からは私たちの事は絶対に漏れないのさ」


クラスの一員でありながら、集団からは限りなく外れた存在。


今私達が求める人物像そのものだ。


「……そして、彼が水巴ちゃんに何かをすることも勿論出来ない」


彼が水巴さんに何かをした、主犯でないという保証は出来ていない。


しかし仮に保証が無くても、水巴さんに対して動を起こすことが不可能であればいいのだ。


「確かに、彼なら問題ないかも。でも待って、彼は入院してるんでしょ?面会なんてそう簡単に……」


特に昨今は感染症の影響で、身内以外の見舞いは難しかった筈だ。


「はあぁ~」


赤藤は突然大袈裟にため息をついた。


……わざとらしい。


「何よ?」


「曲ちゃんは本当、私に興味がないね」


「……それはそうだけど?そのことと、今の問題とは関係ないわよ」


赤藤はまた大袈裟にため息をついた。


……ウザッ


「まあ、曲ちゃんが心配することは無いってことさ。じゃあ今日早速、会いに行こうか」


「今日?」


藪から棒にも程がある。


本当に大丈夫なんだろうな?


赤藤は得意顔で懸念する私を眺めている。


……うん、やっぱウザい。






―――――――――







放課後。


今あえて述べさせてもらうのだが、私は赤藤涼香という人間についてあまり知らない。


よってこの場を借りて、私の知る彼女のプロフィールを今一度確認してみようと思う。


まずは見た目から。


整った顔立ち。


見る人を委縮させかねない鋭い眼光。


日本人離れした真っ赤な長髪。


高身長で、モデル体型。


次に能力。


人脈の広さから分かる、優れた社交性。


成績は極めて優秀で、確か学年一の秀才。


体育の時間での人間離れした動きから、運動神経も抜群。


そして優れた人心掌握能力。


彼女の前では、全て見透かされているように感じてしまう。


次は性格。


飄々としていて分かりにくいが、実はお人好し。


以上、他に言うことは無し。


最後に基本情報をまとめる。


伏波高校二年生。


最近知ったことで、剣道部所属。


……こんなところか。


やっぱり改めて挙げてみると、如何に私が赤藤のことを上っ面の薄い部分しか知らないのがよく分かる。


文字で起こせば、余白だらけになるだろう。


仮に赤藤を知りたい人間がいたとして、こんなプロフィール覧を見せられても、困ってしまう。


いや、役立たず過ぎて、私ならキレ散らかす。




さて、ここで赤藤についてもっと詳しくなりたい物好きなあなたに朗報が届きました。


今日、赤藤涼香のプロフィールに追加の記載があります。


赤藤涼香の追加情報―――




―――代々病院を経営している、良家のお嬢様。


そして彼女の父が営む総合病院には、道楽新が入院している。


「本当に大丈夫なの?貴女の親がどうだかは知らないけど、別に貴女自体には特権も何も無いのよ?」


伏波高校から、そう遠くない距離にある総合病院。


その病院の通路を渡りながら、私は赤藤に毒づく。


先導する赤藤は顔を半分こっちに向けて笑う。


「はは、流石に私もそこまで愚かではないさ。でも親の七光りとか、生まれの優位性を他所の目を気にして利用しなければ人生損だということだよ。父には友達に見舞いに行くと言ってあるから問題は無い」


「……ふん、なら良いけどね」


「うん。ここだね」


目の前を歩いていた彼女が止まる。


視線の先には、ネームプレートに「道楽新」の文字が書いてある病室があった。


彼女がノックを三回するが、中から反応は返ってこない。


「失礼するよ」


躊躇いなく部屋の中に入った。


私も後に続く。


中は病床が一つの個室で、部屋の主?は床の上で身体を起こしていた。


「……起きているなら、返事をしてくれても良いと思うがね?」


「……驚いているんだよ。ここを訪れる人間なんて、そうそういない。況してや、同級生―――赤藤涼香に見舞われるなんて夢にも思わなかった」


「ほう。私の事を知っているのか、嬉しいね」


「あの学校にいて、君のような有名人を知らない奴はいないよ。も同様に、ね」


彼が、道楽新。


短い癖毛が特徴的な、暗い雰囲気を隠そうともしない男だった。


見た目は中学生や小学生の高学年でも通りそうな

くらい小柄で、かなりの痩せ型。


「それで、赤藤さんはどうしてここに来た?」


「用があるのは私じゃない、彼女の方だ」


赤藤は私の後ろに回る。


ここからは任せる、ということだろう。


「……君は?」


まあ、知らないのは当たり前だ。


漆城羽火や赤藤涼香とは違う、私はどこにでもいる普通の魔法が嫌いな魔法使いだ。


「私は、真ヶ埼曲。道楽新、貴方に聞きたいことがあるわ」


「僕に?」


「―――水巴小八重。彼女に付いて知っていることを、全て教えて欲しい」

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