第十話 文学少女の過去

「楽にして頂戴ね」


「……お邪魔します」


家に入ってすぐ、私は居間に通された。


クラシックな作りの木机と、それにぴったりと合ったデザインの椅子。


私は四つある椅子の一つに腰を落ち着かせる。


「待ってて、何かお出しするわ」


「あ、いいえ、お構いなく。それよりも……」


「ふふ。せっかちさんね」


そう笑う嘉代さんは、被っていた麦わら帽子を帽子掛けへと移し、私と対面する形で席に着く。


「ふう、それで、何から話そうかしら?」


「水巴さんがどんな人物なのか、そして、彼女に何があったのか、教えてください」


水巴さんの身に起こった、公にはしづらいこと。


嘉代さんはそれらことを知っている。


「……そうね。私の知る小八重ちゃんは、よく笑う娘だった。最初に会ったのは、まだ彼女が小学生くらいの頃だったかしら?場所はそう、確か家の前。ちょうどさっきの貴女と同じように、ピギーに吠えられていた所を私が諫めたのが」


「ピギー?」


「あら言ってなかった?うちの柴犬の名前よ。ピギーって言うの」


「……ああ、そうだったんですね」


「小八重ちゃんは最初泣いちゃったわ。間近で吠えられるなんて初めての経験だったんでしょうね、無理も無いわ。でもそれから、お互い家が向かいっていうのもあって、よく顔を合わせたの。勿論、ピギーも一緒にね。そしたら彼女、どんどんピギーの事が気に入ったみたいで、段々ピギーの方も、彼女に懐いて行った。学校が終わると毎日一緒に遊んでいたわ」


「毎日、ですか?」


「ええ。あの頃はまだ私も仕事をしていたし、ピギーも寂しかったんでしょうね。散歩に行ったり、公園で遊んだり、色んなことをして、いつも一緒にいたわ」


ふーん、つまり柴犬との二人遊びが主だったということか。


だったらあの動物と仲良く会話していた様子も頷ける。


…………いや意外と昔からそんな感じだったんじゃないか


「失礼ですが、今もあまり変わってないというか、その……」


「友達が少ないこと?」


「えっと、……はい」


「ふふっ」


気まずく目を逸らす私に、嘉代さんは穏やかに微笑んだ。


「確かに、昔からよく一人でいた子だったわ。学校の友達も見たことが無かったし、イジメられてるとかでは無かったようだけど、不器用で、よく浮いちゃうんだって、相談してくれたことも一度や二度じゃない。それについては、残念だけど私もあまり力にはなれなかった。それにご両親も共働きだったから、家でも一人。でもね、ピギーと遊んでる時は本当に年相応によく笑う子だったのよ。私とお話しする時も、何がおかしいのかニコニコ笑ってて……それが彼女の本来の姿なんじゃないかしら?だから私は、力になれない負い目もあって、せめてピギーと一緒に彼女が自然体で触れ合える場所を用意しようと決めたの」


よく笑う子。


今の水巴さん―――教室の片隅で本を読んでいる彼女からは想像が出来ないな。


今のクラスには心を許す相手がいないからだろうか?


……それだけではない筈だ。


でなければ、嘉代さんがわざわざ「昔は」なんて言葉を使うことはない。


「あの子が増えてからは一層、彼女は楽しそうだったわ」


「あの子?」


「彼女とピギーと、その子で、よく遊んでいたわ」


彼女とピギーの他に、もう一人。


そして、「いた」という過去形。


『そこにいるの?』


彼女が体育倉庫で、壁の向こうの猫に掛けた言葉がを思い出す。


今思えば、あの言葉は少し不自然だ。


普通、あんな辺鄙な場所に、何かがいると考える方がおかしい。


誰がいる、何がいる、そんな疑問しか出ない筈だ。


でも彼女は、そこにいるのか、と言った。


まるで、何かがそこにあることは分かっていて、確認の為に問いかけているような言葉遣い。


あの体育倉庫に、あると分かっている物。


それは彼女がそこだけを一心不乱に探していて、無いことに絶望する程の、物のこと。


彼女の涙の理由であり、彼女の失くした物。


くそ、何でその可能性に思い至らなかったんだ。


馬鹿野郎だ。


私は物質であることに囚われ過ぎていた。


私は知っていたじゃないか。


あそこら辺は、野良猫や野良犬なんかは、珍しくないのだ。


彼女が探し求めていえうもの、それは……


「……もう一匹いたんですね」


「そうよ。名前はラルフ。彼女が拾ってきた、野良のシェパード」


ラルフ。


それが彼女の失くしたもの。


彼女のにとって、大切な友達。


だから彼女はあんなに必死になって、涙を流しても、探し続けているのだ。


「……ラルフは今どこにいるんですか?」


「ごめんなさい。分からない。元々、彼女の両親が飼うのを反対したのもあって、彼女の家で飼うことは難しかったの。私も、仕事をしながら二匹の面倒を見ることは出来なかった。だから小八重ちゃんは、両親にバレないよう、別の場所にラルフの寝床を作って、食べ物を持っていくことで、飼おうとしたの」


「その場所が旧校舎、ですか」


「え、ええ……よく分かったわね。彼女がラルフを拾ったのも、旧校舎だったようよ。ピギーとあんな場所まで遊びに行ったときに、偶然出会ったみたい。それからは、いつでも三人一緒だった」


「でも、今はそうじゃない。ラルフはどこかえ消え、水巴さんも、ピギーとは接点を持たないようになった、ですね?」


「……そう、ラルフがいなくなってから彼女は変わったわ。私やピギーにも、前みたいな笑顔を見せてくれないようになった。所詮、私たちは彼女にとって、部外者だった。ラルフだけが唯一の家族だったのよ。も、私たちは何も出来なかった。ラルフだけが、彼女に寄り添っていた」


悔しさを滲ませながら言葉を漏らす。


「あの時?」


「ラルフがいなくなって、彼女が笑わなくなったのは今年の四月から、でもそれ以前にも一度だけ、彼女が塞ぎ込んだ時期があった。それは今からちょうど一年前……」


そこで一度言葉を切り、躊躇いがちに口を開く。



「……っ!」


両親の死。


それが、嘉代さんが話すかどうか迷った、水巴さんの抱える秘密か。


「二人とも交通事故でね。あの時の小八重ちゃんの荒れようはひどかった。どんな言葉を掛けても、彼女は耳を傾けず、口もきいてくれない。ストレスも相当だったんでしょうね、今も細身だけど、当時は目に見えてやせ細っていたわ」


「ラルフは、そんな状態の彼女を、救ったと?」


私の問に、嘉代さんは頷く。


「あの娘とラルフの間に、何が起こったのは分からないわ。両親が亡くなった時から、ラルフとも会うことは無かったもの。でも、あの娘が昔ほどではないけれど、立ち直った時、律儀に私とピギーに会いにきたの。自分が一番大変だったのに、優しい娘よね。その時に、ラルフも側にいたわ」


「そう、ですか」


……少し引っかかる。


話を聞くだけでも、嘉代さんは自虐的に話してはいるが、彼女と水巴さんが良好な関係を築けていたのは理解できるし、物腰柔らかな彼女を拒絶するなんて、水巴さんが相当切羽詰まっていたことは想像に難くない。


そんな彼女を、ただの犬が?


たとえ彼女が動物と言葉を交わす系の文学少女だったとしても、人間よりも意思疎通が取れないラルフが、ただ側にいるだけで彼女を立ち直らせたとは思えない。


ラルフの他に、また何か別の要因もあったのではないか?


だとしたらそれは何だ?


両親が死に、友達も少ない彼女を、前に向かせることが出来た、何か。


もしその何かが人であるなら、そいつは底抜けに明るくて、良い意味で人との距離感を壊して接することが出来て……とてつもなくお節介焼きだったのだろう。


―――その人物像にぴったりと当て嵌まる人物を、私は知っている。


漆城羽火。


あの中二病の自称魔法使いが、関係してるのではないか。


水巴さんが再度変わったのは、漆城が殺された時期と一致する。


同時に、ラルフも姿を消した。


これらは全て、偶然で片付けられる代物なのだろうか?


「ラルフがいなくなって、あの娘はまた一年前に戻ってしまった。あの時と一緒で、私にはどうしようも出来ない」


会った時から、柔らかい雰囲気を崩さなかった嘉代さんが眉間を歪めて、責めるような物言いをする。


そうやって、過去の自分を、そして今の自分を責め続けている。


「……そんなこと、無いと思います」


「真ヶ埼ちゃん……」


「その、嘉代さんがいて、気に掛けてくれたことは、それだけでも水巴さんにとって、救いだったと思います。……すいません、私の勝手な想像ですけど」


独りで生きられる人間なんていない。


独りの方が良いと言う人間は、自分が壊れていることに気付いていないだけだ。


弱っている時こそ、人肌は恋しいもの。


周りを突き放す態度は、危険信号に近い。


決して、本心じゃない。


「だから、あまり自分を責めないでください」


きっと、水巴さんにとっては、嘉代さんも、ピギーも、大切な存在だったに違いない。



―――それは、かつての私も、求めていた存在ものだから。



「あっ、すいません。部外者が分かったような口を……」


「……いいえ、ありがとう。同じことを、一年前にも言われたわ」


「そうなんですか?」


「ええ。ちょうど貴女と同じくらいの年の娘で、大きい三角帽子を被った可愛らしい魔法使いさんだったの」


「えっ……」


「私も信じられなかったんだけど……彼女、私の目の前で瞬間移動していたのよ!まるで本当に絵本から飛び出た魔法使いみたいだったわ」


いや、それはただの種のある手品ですよ!


三角帽子を被り、魔法使いの恰好をした人物。


魔法と称し、奇術を見せびらかすペテン師。


ハロウィン仮装でもなく、普段からそんな恰好をしている奴は、私は漆城以外に知らない。


他にいてたまるか。


……彼女も、嘉代さんと会っていたのか?


どうして?


「あ、あの!彼女は、何か言っていましたか?何でも良いんです!」


「そうね……確か、ベル……なんとかは倒したから安心しろ、だったかしら?意味はよく分からなかったけど、あまりにも自信満々だったから、よく覚えているわ」


ベル―――


蠅。


そこから私は、一つの単語を連想した。


「……ベルゼブブ」


「ああ、そう、その名前。何だったのかしら?でもあの後、小八重ちゃんも元気になったし、きっとお友達だったのね、あの魔法使いさんにも―――」


ベルゼブブ。


蠅の王。


暴食の悪魔。


中二病なあいつが好みそうな文言だ。


漆城は蠅の王を倒したと言った。


水巴さんは、自身を醜い蠅と称した。


そして同時に、水巴さんを、漆城は救った。


どこまでが偶然で、どこまでが必然だ?

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