第九話 魔法使いと文学少女(3)


水巴さんはもう話すことは無いと言わんばかりに、早足で帰って行った。


「蠅……か、自虐ジョークかな?」


「本気でそう思ってるの?」


「……訳ないか」


彼女の言葉。


それはジョークでは無い。


憎しみでも、ない。


受け入れて、その上で、自分を罰している。


―――懺悔、か。


私にはそう見えた。


「勘違い、ってことでいいのかな」


「……少なくとも、彼女が脅されていて言えない、って感じでは無かったわ」


私たちのことを信用できなかったら言わないのもあるだろう。


だけど、それだけなら、あんな風に自分が悪い、なんて言わないだろう。


「でも確実に、何かがる」


彼女が名前を呼ばれることを嫌がる事実は変わらない。


そうするようになってしまった要因、過去のトラウマが必ず存在する。


「……続けるのかい?」


「ええ」


「じゃあ次は、彼女の元クラスメイトだね。今の彼女を穏便に口を割らすのは、中々難しそうだ」


「……協力してくれるのね」


「何驚いているんだい。乗りかかった船だろ?それに、君一人じゃ心配だ」


「そう……あ?待って、誰が一人じゃ力不足だって?」


「そこまでは言ってない……君のそういう、意外と直情的なところが不安なんだよ」


「はあー?誰が感情優先の猪突猛進馬鹿ですって?私、クールビューティキャラで通ってるんですけど!?」


「分かった、分かった。じゃあ冷え冷え曲ちゃん、私たちももう教室に戻ろうか」


「あ、ちょっ!逃げるんじゃないわよ!」


私は清楚で知的な曲ちゃんだぞ!!


……誰が何と言おうとそうだからな!!!






―――――――――






放課後。


水巴さんは寄り道せずに、真っ直ぐ帰路についていた。


部活動などもやっていないらしい。


特に何事もなく、彼女は自宅まで辿り着き、中へと入ってしまった。


彼女を尾行していた私も、流石に家の中まで入ることはしない。


能力ではなく、倫理的に、それは切羽詰まった末での選択であるべきだろう。


今の証拠の少ない段階では特に、出来れば真っ当な手段でやりたい。


「収穫なし……やっぱり、尾行だけじゃ限界があるわよね」


尾行によって得られる何か。


そんな不確実な要素よりも、現実的な手掛かり模索した方が良い。


「失くした物……か。聞いても答えてくれないだろうし……」


私が彼女の家の前で立ち尽くしていると、急に後ろから「ワオッワオッ!」と大きな音が向けられた。


「ひゃい!?な、何……!?」


振り向きながら転倒。


思わず無様な格好で尻もちをついてしまった。


音の主は―――水巴さんの家から車道を挟んで、はす向かいに位置する家の庭、柵で囲まれたそこで、飼われているのだろう―――首輪に繋がれた柴犬だった。


柴犬は繰り返し、こちらに向かって吠えている。


「あらあら、どうしたの?珍しくそんなに吠えて……」


女性の声も同じく庭の方から聞こえてくる。


おそらく、この柴犬を飼っている、家主の声だろう。


「や、やば……」


庭の奥から、妙齢の女性が近づいて来る音が聞こえる。


私は急いで立ち上がって、彼女から見える場所に、姿を見せた。


「……あら、可愛らしいお嬢さん。うちの子がごめんなさいね。普段はこんな吠える子じゃないんだけど……」


出て来たのは、齢60くらいの女の人だった。


長袖長ズボンを身に付け、頭には麦わら帽子を被っている。


ガーデニングに精を出すご隠居、といった風貌だ。


女性は庭の横の玄関まで出て来た。


「あ、いえ。私も、ちょっとボーっとしちゃってたので……」


「気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、甘やかしちゃダメよ。こいうのはちゃんと嗜めないと、この子の為にもならないの。後で叱っておくわ」


「……そ、そうですか」


「その制服……もしかして小八重ちゃんのお友達?」


「友達っていうか……クラスメイトです。水巴さんのことを知ってるんですか?」


「ええ。ご近所さんだもの。小さい頃からよく、この子も一緒に遊んでくれたわ」


そう言って、彼女は柴犬を撫でる。


「あら私としたことが、小八重ちゃんのお友達にちゃんと挨拶をしてなかったわ。私、嘉代と申します。よろしくね」


「あ、私は真ヶ埼曲って言います」


「曲ちゃんね。良い名前だわ」


「そ、そうでしょうか……?」


我ながらヘンテコな名前だと思う。


実際、昔はこの名前でよくからかわれたものだ。


「曲ちゃんは小八重ちゃんに会いに来たのかしら?」


「いえ、その……」


尾行してました、なんて口が裂けても言えない。


「ちょっと、彼女が元気が無さそうに見えて、心配だから様子を見にここまで来たんですけど……やっぱり思い過ごしですかね!いやー、私ってば心配性!お節介焼き!あはははは……」


……うーん、咄嗟に思いついたから、思わず口走ったが、ちょっと苦しいか?


「そうなの。曲ちゃんはとっても優しいのね!」


おいおい、あんな言訳で誤魔化せちまったよ……どうなってんだ。


名前の件といい、この老女は少々独特の感性を持っているらしい。


「でも良かったわ。小八重ちゃん、学校にこんな優しいお友達がいて」


「えっと、私は友達では……良かった?何か心配事でもあったんですか?」


「小八重ちゃん、中々元気ないでしょ?昔はもっと明るくて、よく笑う娘だったの。でも、色んなことが重なって……ね?」


「詳しく、聞かせてくれませんか?」


「それは……」


彼女の反応は予想通り芳しくない。


急に現れた人間に、本人のいない間にデリケートな話題を話すのは、抵抗があって当然だ。


「お願いします」


「……ごめんなさいね。私に聞いているってことは、小八重ちゃんにも既に聞いたんでしょう?そしてあの娘は答えなかった。なのに、勝手に私が話すなんて出来ないわ」


「水巴さんは、自分が悪いと言っていました。誰かのせいではない、自分がやったことだと、自分は醜い蠅だと、そう言っていたんです。嘉代さんはそんな彼女の言葉を信じますか?私よりも彼女のことをよく知っている貴女が、はいそうですかと、受け入れることが出来ますか?」


今の私に出来ることは、嘉代さんの情に訴えることだけだ。


私に対してではなく、水巴さんに対しての愛情と信頼。


それらが今、侵されている。


そして、何もしなければ歪まされたままで、その歪みを正すことが出来るのは貴女だけだ、そう主張する。


「小八重ちゃんがそんなことを……」


「どうなんですか?貴女の知っている水巴さんは、彼女の自称する、自虐するような人間だったと、本当に思っているんですか?」


「……真ヶ埼さんはどう思うのかしら?」


「私、ですか?私は……」


言葉が詰まる。


答えられない。


私は彼女のことを知らない。


彼女について、理解していない。


論理を形成するだけの、要素を持ち合わせていないのだ。


知る為に、今こんなことをやっている。


だから、ここから先は憶測―――そこに論理はない、願望だ。


「……まだ分かりません。でも―――」


どうして私は、水巴さんにここまで執着しているのだろう?


彼女が漆城の死に関わっている可能性があるから?


それが第一であることは間違いない。


でもそれだけなら、彼女の件ばかり調べるのは非効率的だ。


ここまで踏み込んで、結果として漆城と水巴さんに何かしらの関係があったとしても―――それが確定的であったとしても―――それが漆城を殺した犯人には繋がらない可能性だってある。


本来ならもっといろいろな可能性から、色々な人物を辿るべきだ。


なのに私は、気づけば水巴さんのことばかり追っている。


彼女が口を割らすのは難しいと、今日知ったというのに、未だ彼女のことだけに注力している。


いやむしろ、今日の事があってよりその傾向が強くなった気さえする。


どうしてだ?


『私はただの……醜い蠅だから』


あの時の彼女の、全てを受け入れて、諦めたような顔。


それが頭から離れない。


……それが、心底気に食わない。


「仮に彼女が全て悪いのだとするなら、それはそれで良いんですよね、私。でも、大抵の問題って誰か一人が一方的に100悪いなんて中々ないじゃないですか?割合として、誰が一番悪いかを決めることが出来ても、一人じゃなくて、関わった人間全てが多かれ少なかれ悪い部分―――責任があることが殆どだと思うんです。だって普通、一人の人間が全部を背負い込むなんて出来ないでしょう?全部の責任を、権利を有するなんて、無茶苦茶でしょう?まあそんな支配構造が実現したとして、周りの人間も文句を言わないなら、その黙って見てる奴等も既に悪いと思いますよ」


『私が、全部悪いんです』


彼女は言った。


―――ああ、本当に気に食わない。


「彼女は自分が納得する為に、罰する為に、自分を必要以上に悪く言っている。全ての悪性が自分にあると思ってる。それは謙虚なんかじゃなく、傲慢ですよね?だから、気に食わないな、って。彼女がそれで納得していることにも、それで責任逃れ出来てる周りの人間も、みんな、みんな……虫酸が走る」


「そう……」


嘉代さんは好き勝手言う私を、私の言葉を、黙って聞いてくれている。


「……あ」


感情に任せて、ちょっと熱くなってしまった。


こんな態度、これから人にものを頼もうっていう人間のそれじゃない。


不味い。


いや、本当に不味い。


嘉代さんは現状、水巴さんを深く知る数少ない人物だ。


彼女に避けられるのはこれからの調査上、とてもよろしくない。


何より……これでは赤藤の言った通りじゃないか。


……何かそれも癪に障るな。


くそ、クールビューティな私としたことが、とんだ失態だ。


「ふふっ」


「嘉代さん?」


「そうね……あの娘一人が悪い。そんなこと、あってはならないわね」


小さくそう言って、嘉代さんは家の扉を大きく開け放った。


「良ければ、上がって頂戴。話せるのは、私の知っていることまでだけど……」


「良いんですか?」


「ええ。何となく、貴女になら、話しても良いかなって思ったの。貴女なら……あの娘のことを、救えるかもしれない」


彼女は微笑みを浮かべて、そう返した。

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