第六話 文学少女の動向(2)


ガラガラ。


水巴さんが錆びれた扉を、広く開ける。


「え……?」


「にゃーお」


落ち着け、大丈夫だ。


「猫……?」


「にゃあ」


自然に溶け込めば、気付かれる訳がない。


「さっきの音は……?」


「にゃあ?」


彼女は扉の向こうにいた人……ではなく、猫に向かって、問いかける。


だが、相手は猫だ。


勿論、答えることは無い。


なので彼女も、この一匹にそれ以上問い詰めることは出来やしない。


「えっと……」


彼女は辺りを見渡すが、人らしき影は見つけられていないようだ。


ふう、間一髪だったけど、何とか間に合った。


ここは半分山の中にある旧校舎、野良犬や野良猫の一匹二匹、珍しくものではないのだ。


頻繁にここに通っている彼女なら、それはよく分かっているだろう。


なので普通に隠れるよりは、こうやって猫という、変わり身がいた方がよっぽど自然で、疑がわれない。


これなら、さっきまで人がいたこと、そして周りを探すなんてことはしないでいてくれるに違いない。


「うん……貴女だったみたいね」


「にゃあ!」


猫は呼応するように鳴く。


ふ、よし!いいぞ猫!完璧な返しだ。


水巴さんも、このまま目の前の現実をただ受け入れておいてくれ。


「そっか……貴女だったか……」


「にゃあ!!」


うんうん、彼女も納得してくれたようだ。


これにて一件落着、私がこの場にいることはバレないだろう。


このまま私の順応力を以てして、彼女が立ち去るまでやり過ごしてやる。


心の中で、そう勝利宣言をする。


対照的に、彼女の表情は暗い。


お、へいへい、どうしたのかな、文学少女?


私に負けたのがそんなに悔しいのかい?




……まあ冗談はこのくらいにして、先程頬に流れていた涙は既に乾いてはいるが、彼女は今にも泣きだしそうな雰囲気だった。


溢れようとするものを、必死に耐えている。


「あ、ごめんなさい。貴女のせいじゃないよ」


そう言って、潤んだ瞳を拭った。


「えっと、どこから来たのかな?……首輪は付けてないみたいだけど、ここら辺にいるってことは、やっぱり野良猫?」


猫は喋らない。


ただ見ているだけ。


けれど、彼女は猫に向かって、そんな独り言を繰り返す。


「お友達はいる?ここにはよく来るの?どんなことをして遊んでいるのかな?あ、もしかして倉庫の中ボールとか!だからここに来たのかな?」


おっおお……落ち着け?文学少女。


ステイステイ。


何だか、こちらの予想外の方向で勝手に納得されてしまったらしい。


ふむ。


彼女は動物と話す系の、ちょっと残念な文学少女なのか。


……自分で言ったが、何だそれは。


彼女が他人とのコミュニケーションを苦手としているのは、昨日のやり取りでも十分予想出来たが、動物相手だとやけに流暢に、そして積極的に喋りかけてくる。


友達がいないから野生動物を話し相手にする、と言ってしまえば、随分可哀そうな娘ではある。


多分、大抵の人間は、彼女を見るとそんな感想を抱くだろう。


けれど今の彼女の姿は、哀れみを受ける対象であるとは思えないくらい、ウキウキと、とても楽しそうな表情を浮かべている。


その姿は、コミュニケーション能力の欠如による、逃避の結果だとは考えにくい。


さっきまでの暗い表情は徐々に消え、今は明るい笑顔に変わっている。


そんな顔で笑えるのか、と驚いてしまう。


成程。


これが彼女の晒す、本当の素顔なのだろう。


「……どうしたの?」


いや、だから、そんな聞かれても猫は答えないんだって。


はあ、全く、これでは黙って見ているこっちがおかしいみたいではないか。


「にゃあ!」


「うん……うん!そうだよね」


そう、猫に出来ることは辛うじて出来ることは、鳴いて反応してやるくらいのものだ。


何か、上手い具合に会話?が噛み合ってくれている。


しかし、気持ちの良いぐらいに納得してくれるな。


ちょいちょいお嬢さんや、私は君の将来がちと心配だよ。


彼女は屈み、なるべく猫と視線を近くして話を続ける。


それを受け、猫は適当に相づちを打っていた。


……結構長いな。


隠れているのが猫だったら、放っておいてくれると思ったのだが、一向に終わる気配が無い。


うーん、これが野鳥とかだったら、気にせず飛んで行って、会話?をぶった切れるのだが……それは今更考えても仕方がない。


ともかく、早く終わっておくれ!!


「……あ、もうこんな時間だ」


私の祈りが通じたのか、或いは長話に付き合った結果か、この会話?は、彼女のその一言で終わりを告げた。


……多分後者だな。


「じゃあ、またね」


また来るつもりか!?


そんな私のツッコミは本人の耳には届かず、彼女は名残惜しそうに、その場を立ち去った。


チラチラと此方を見ながら、本校舎へと戻っていく。


……後ろ髪引かれ過ぎだろ。


「はあ」


彼女が見えなくなって、私はやっと姿を表すことが出来た。


終わってみれば、数十分おしゃべりという名の言葉の散弾銃を浴び続けたのだ。


どっと疲れが沸いてくる。


「さて、と」


始業までもう少し時間がある。


その間に倉庫の中をもう一度確認しておこうと、扉を開けて中に入る。


お、意外と埃っぽくない。


これは行幸。


倉庫の中は、さっき外から見たのと何ら変わらぬ風景だ。


彼女はここで、何を探していたのか。


水巴さんと同じように、私も倉庫を一通り回って調べてみる。


……探し物自体が分からないのだから、その状態で調べても大した情報は掴めないな。


早々に諦めた私は、次に彼女がどうして涙を流していたのか、考えてみる。


順当に考えるなら、探し物が見つからなかったことが要因だろう。


でも、見つからなかったらなく程悲しい探し物とは何だろう?


結局、彼女が何を探しているかが問題だ。


分かっていることは、それが彼女の悲しみの元凶であること。


しかも彼女は、何日もここに通っているのだから、その物がこの範囲にある、ということをある程度絞れている。


倉庫にあるのが分かっていて、目当ての物が無かったから、涙を流したのだ。


他に探す場所があるのなら、この場で悲しむ道理が無い。


探す場所には当たりを突けており、そして、見つからなければ悲しい物。


推察するに、彼女はこの倉庫で、落とし物でもしたのではないだろうか?


であれば、彼女がこの場所を執拗に探し、見つけられずにこの場で涙を流すのも、分からないことではない。


では、それは今もこの倉庫のどこかにあるのか?


少なくとも、今私がそれを見つけることはほぼ不可能であるということは、今の彼女様子から理解できる。


泣くまでの状況ということは、もう他に手が思いつかず、途方に暮れ、希望が無いといことだ。


しかし、倉庫の中は別に広々としている訳でも無いし、彼女のように、毎日根気よく隅々まで探せば見つけられないことも無いだろう。


つまり彼女はこの倉庫内で出来る限りの事をやり尽くし、それでも未だ目当ての物を見つけるには至っていない。


そして結局、じゃあその失くした物は何なのか、という疑問に立ち返る。


可能性1。


失くした物は非常に小さい、または保護色とかで、あるのが分かり辛くて、見つけられない。


……可能性としては低い。


たとえ、どれだけ分かり辛かろうか、所詮は分かり辛いというだけで、分からないまではいかない。


却下。


可能性2。


失くした物は他の場所にあり、この場所にあるというのは彼女の勘違いである。


……これも可能性として低い。


他の場所にもあるかもしれないのなら、彼女が少なくとも数回、今でもこの旧校舎まで通う必要は無い。


ここにあるという確信があるから、わざわざこの場所まで来て、この場所で泣いてしまった訳だ。


却下。


可能性3。


失くしたものは確かにこの場所にあったが、既に移動している。


……可能性としてはこれが一番高い。


見つけられなくて泣いちゃうくらいだ、失くした物はそれなりに価値のあるものだろうし、誰かに持ち去られてもおかしくはない。


保留。


可能性4。


彼女が探しているものは、既に存在していない。


……これもある。


もう既に存在が失われたものを、取り返しのつかないものを、その幻を、往生際悪く縋っている。


そんな、悲しい可能性。


保留。


……そんなところだろう。


可能性3と4、ここから彼女の探している物を導き出す必要があるだ。


と、ここまで考えた所で、始業十分前を知らせる鐘の音が、本校舎からここまで届いてきた。


このままここで手をこまねいていても、大した収穫は無いか。


私は倉庫を後にする。


――――――


帰りは下りだとはいえ、山道を往復するのは一苦労だった。


「…何で、前までは使われてたのに、こんなに荒れてるのよ。獣道か」


悪態をつきながら、肩で息をして道を下る。


「…ん?」


前方から声が聞こえる。


こんな場所に?


まさか水巴さんが戻ってきたのか?


私は急いで姿を消した。


声が近づく。


しかも、声は複数聞こえてくる。


歩いてきたのは、数人の学生グループだった。


彼等が身に付けている服は、私と同じデザインの制服。


つまり、波伏高校の生徒だった。


彼等は私を通り過ぎ、そのまま登って行ってしまう。


まさか、旧校舎に向かっているの?


この時間なら、往復して確実に始業までは間に合わない。


そもそも何の目的だ?


言っては悪いが、正直見た目はガラの悪い不良グループといった感じだった。


溜まり場として、あの面白い物なんて何も無い、旧校舎を使っているのだろうか?


だとしたら、溜まるにしてももっとましな場所があるだろうに。


彼等も、水巴さんや漆城と関係があるのか?


少し止まって、考える。


……水巴さんとは明らかに別の人種で、関わり合いなんてなさそうに感じられるし、漆城だって問題児ではあるが、ガラが悪いといった感じでは無かった。


それに、あの二人はグループに所属するような性格でも無い。


やっぱり彼等は二人とは関係なく、単にたまり場としてか、好奇心で旧校舎に行くのだろう。


立ち止まって考える時間が少ないのもあり、私はそう、彼等の動向についての疑問はそこそこに、本校舎へと向かった。


そうやって、他の可能性を十分に考えずに、選択的な思考で導いた簡単な結論で、納得してしまったのだ。


―――後にその浅慮が、取り返しのつかない事態に発展し、かけがえのないものを失ってしまうとは、この時の私は考えてもいなかった

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