第五話 文学少女の動向(1)


次の日。


私は早朝に学校に来ていた。


水巴小八重について調べると決めた昨日から、私は彼女についての情報を集めたが、現状、大した成果は得られていない。


彼女には特別親しい友人などはおらず、去年のクラスでも今とは変わらず、ただ運動部には所属している様子なく、いつも教室の隅で本を読んでいた、極々普通の文学少女だったようだ。


周囲の人間からは、その程度の情報しか出てこなかった。


よって、いきなり確信を突くことにはなるが、私が水巴さんについて知っている情報の中で、最も利用価値の高いものは、やはり彼女の異様に早い登校時間だろう。


彼女が何の目的で、何をしているのか。


それに漆城とどういった関係があるのか、知る必要がある。


そこで私は、早朝の彼女の動向を探るため、尾行という古典的で確実な方法をとることにした。


ちょうど正門が見える場所を陣取り、彼女が来るのを待つ。


時計を確認すると、今は午前7時。


赤藤の言葉を信じるなら、そろそろ来る時間だろう、それとも、朝早いのは毎日ではないのか?その時は、何日でも、繰り返し待つしかない。


と、ほどなくして、水巴さんは姿を現した。


正門を抜けた彼女は、校舎の中には入らずに迂回して、裏門の方へと向かって行っている。


そちら側にあるのは武道場と、第一運動場くらいだ。


運動部に所属していない彼女には、どちらも縁も所縁もない場所。


やはり彼女は、普通じゃない理由で、こんな早くに登校しているのだ。


そう確信した私は、彼女に気付かれないよう、そして見失わないように、静かに後を付いていく。


校舎を回って、武道場を傍目に、さらに奥へと進んで行く。


道が段々と狭まっていき、先には横道が出ているのが見えた。


その横道は第一運動場まで続いている。


彼女は曲がらずに、真っ直ぐに移動する。


どこまで、行くつもりだろう?


この横道に入らなければ、後は裏門から学校の敷地外に出るのみだ。


そこから先には何も―――いや、一応あるにはあるが、もし彼女がそこに行くのならば、いよいよもって、彼女の目的が分からなくなる。


彼女は裏門も抜けて、その向こうにある道路を横断する。


道路を挟んだ裏門の対面。


そこには普段使われている本校舎とは別に、現在はもう使われていない旧校舎が存在する。


彼女は躊躇いも無く、慣れた動作で建旧校舎の敷地内へと入って行った。


旧校舎には運動場や、本校舎には無いプールなどがある。


その為、それらの施設の一部はまだ授業や部活でもたまに使われたりはするのだが、それでも老朽化が激しく、取り壊されるのも時間の問題、という話だった筈だ。


そうでもないと、わざわざ本校舎を建てることはないだろう。


ここから、小さくではあるが旧校舎が見える。


この、見るからに錆びれたオンボロ校舎に、彼女は何の目的で、こんな早朝に出向くのか。


……考えても仕方がない。


私も彼女を追って、旧校舎の門を抜ける。


門から旧本校舎まではかなり距離があった。


旧校舎は半ば山の上に建っていると言えるくらい、自然と同化しているので、校舎としての役割を終え、整備がされなくなった事実を抜きにしても、道は荒れており、高低差も激しい。


単純に歩きにくく、短い道のりでも体力を無駄に消費する。


確か元々、伏波高校は自然と一体化した校風を持ち味にしていた、とかなんとかだった気がする。


けれど、私はナチュラリストでもなんでもない訳で、こんな歩きにくい道の良さは分からない。


昔の学生は毎日こんな苦労をしてまで学校に通っていたのか。


先人たちには頭が上がらないな。


私ならこんな場所ごめんだ。


学校にそこまでの価値を感じない。


絶対に不登校になっていただろう。


こんな校舎、使われなくなって正解だ。


と、温室育ちの私は悪態をつきながら彼女を追いかける。


水巴さんは私とは違って、大して疲れも見せず軽い足取りで進んでいる。


気を抜くと見失ってしまいそうになる。


この文学少女、見かけによらずかなり動けるのかもしれない。


それか、慣れるくらい頻繁に、この場所に通っているのだろう。


旧校舎が目の前に見えて来た。


しかし彼女は旧校舎の中には入らずに、これまた迂回して、運動場の方に出て行ってしまった。


あ、不味い。


私は、どうせ用は旧校舎無いだろうと高を括り、旧校舎が見えた所で歩を緩め、足を休めていた。


体力の限界だったのだ。


なのに、あの文学少女はこちらの気なんか知らずに進んで行きやがった。


……こいつ!こっちが気を使って裏からコソコソ嗅ぎまわっているっていうのに、そっちだってもうちょっと手心というものがあるもんじゃなかろうか?


私のこの細い腕と足を見ろ!


どう見ても自然に揉まれていない、うら若き乙女の肢体だろうが!!


……しかし言い訳虚しく、このままでは彼女と本当にはぐれてしまう。


くそ。


だがね、ここまで来て逃げられると思わない方が良いよ、文学少女ちゃん。


頑張れ、私!


私は、真ヶ埼曲。


魔法嫌いの高校生。


でも、あの自称魔法使いに対して、最低限の義理を返さなくちゃならない。


こんな所で、油を売る訳にはいかないのだ。


私は誰に見られている訳でもないのに、そう虚勢を張り、肩で息をしながら、急いで彼女に続いた。


運動場に出る。


だだっ広く、閑散とした場所だ。


あちこちに雑草が茂っており、一体どこがトラックかも分かりづらい。


本校舎のものと比べても広さだけは一丁前だが、もう何年も使用されていないのが一目で分かるくらいの荒れようだった。


改めて、こんな場所に彼女は一体どうして?


運動場を見渡して、彼女の姿を探す。


えっと、彼女は―――いた。


彼女は運動場の端、そこにある小さな納屋の扉を開け、入って行った。


配置とかを見た感じ、昔の体育倉庫だったのだろう。


近づいて、もっとよく見る。


その納屋は旧校舎と同様に錆びついていた。


半開きになっている扉に顔を近づけ、中を覗く。


倉庫内には照明はついておらず、薄暗い。


目を凝らすと、ようやく暗さに目が慣れてくる。


倉庫の中に置かれているのはボール、三角コーン、ハードル、跳び箱。


中の様子はガラッとしており、用具の数はそれほど多くなく、そのどれもが総じてボロついている。


使えそうな物は本校舎に、そうじゃない物はここに置いていってしまったのだろう。


さて、水巴さんはというと―――これは、何をしているんだろう?


倉庫中を歩き回り、物をどかし、かと思えばすぐにそれを元あった場所に戻す。


それら一連の動作を繰り返している。


まるで、何か探し物でもしている風な感じ。


では、彼女はこんな場所に一体何を探しているのか?


ここからじゃ元々の暗さも相まって、細かい部分まで相まってよく見えない。


もう少し近くで見るために、扉から顔を入れて、首を伸ばす。


倉庫の中が、よりはっきりと見える。


何より、ここからなら彼女の様子がよく確認できた。


彼女の顔は至って真剣そのもので、とても伊達や酔狂でこんことをしている訳でないのが分かる。


普段気弱そうで大人しい彼女が、あそこまで取り乱して必死の形相でいるのも珍しい。


そう思ったが、彼女は自身の個人的な領域に関しては、その理由が覚悟であれ、恐怖であれ、ちゃんと自己主張する人間であったと、昨日の教室でのやりとりから思い直す。


つまり、この行為も彼女の個人的な―――彼女の真に迫る出来事なのだ。


その証拠に、彼女の情緒が揺れ動いているということがここからでも分かった。


彼女の頬。


そこには一筋の涙が流れており、暗がりであれば一層分かりやすく、光を反していた。


……泣いている?


嬉し泣き……ではないだろう。


彼女の表情は暗い。


ならば、悲しみか。


彼女のその感情は、一体どこから湧いている?


それを突き止めれば、彼女に何が起きているか、何を隠してるのかが分かる。


その秘密が漆城とも関係しているのかもしれない。


その為にも、もっと彼女を観察しなければ―――


ガタン!


あ、ヤバ。


私は顔を扉から離し、身体を引っ込める。


「……誰?」


……バレちゃった。


倉庫の扉は鉄製のかなり重い。


横開きする形で、扉は上から吊るされる形だ。


そして、付けられている壁との間には僅かに隙間がある。


本来ならこの扉は少し体重を掛けたくらいではビクともしないだろうが、そこは旧校舎の設備だ、例外なく老朽化が進んでいる。


私が中をよく見る為になるべく張り付こうとしていたのが災いして、設置が甘くなった重い扉がグラつき、壁に当たって音を立てたのだ。


「そこに……居るの?」


彼女の足音が倉庫で反響しているのっが聞こえる。


その音はだんだん大きく……彼女がこっちに近づいて来るのが分かる。


ここはもう使われていない旧校舎。


こんな場所に、こんな時間に、彼女がそうであるように、人間がいるのは本来不自然だ。


しかも、いるのはクラスメイトであるこの私だ。


見つかれば、彼女を追ってきたのは明白であり、言い逃れは難しい。


どうする?


逃げるか?いや、間に合わない。


物陰に隠れる?出来なくはないが、探されれば見つかる危険性が高い。


「ねえ……」


彼女は、すぐそこまで迫っている。


もう、隠れる時間も僅かしか残されていない。


……万事休すか


そうして、私を覚悟を決めたのだ。

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