第一章 獣魔召喚
第一話 魔法使いは死んだ。
伏波高校には『魔法使い』がいる。
嘘か真か、そんな噂が校内には流れていた。
と言っても、それは都市伝説というよりは、世間話の類のようなものだ。
伝承というよりも、喜劇という方が似つかわしかった。
その始まりは、入学式の後。全体HRで行われた自己紹介にまで遡る。
「私は、漆城羽火!だが、それは与えられた仮の名前に過ぎない。我が真名は、ウルティマ・サテナ・クロウリー!魔法結社TMC団の団長であり、現代に降り立った、由緒正しき魔法使いの一人!魔道を極め、世界に混沌をもたらす者よ!!」
彼女はそう大声で名乗る。
恥ずかし気無くも言い放った。
彼女の身に付けていた制服は、まだ入学時点であるにも関わらず、魔改造が施されていた。
紺色のブレザーを、まるでお伽噺に出てくる魔女が着ているローブのように、仕立て直して羽織っている。
何より目を引くのは、これまた絵本の中から飛び出たような、大きな魔法帽を被っていた。
彼女は漆城羽火。
自称魔法使い。
もっと一般に、分かりやすく言い換えるなら、中二病。
高校に入学しても思春期特有の心の病が進行し続けている、可哀想な子。
それが、漆城羽火に対しての、クラス全員の第一印象だった。
そして断っておくならば、その印象は最後まで大して変わることはなかった。
「あーっと、皆まで言わなくていいわ!あなたたちはこう思ってる。『魔法なんてあり筈がない。現実を見ろ』とね。だけど、私から言わせれば、あなたたちこそ現実を直視出来ていない!」
漆城は周囲の反応を気にせず、勝手に話を進めた。
「この中に、実物の魔法を見たことがある人はいる?経験した人は?使ったことのある人は?」
勿論、彼女の問い掛けに教室の誰も応じない。
答える筈がなかった。
「やっぱり、いないようね。あなたたちが魔法が存在しないと考えている理由は、至極簡単。見たことが無いからよ。そして、経験したことが無いから。見たことが無いものには、虚実の可能性を考慮して、実感が伴わないし、経験したことが無いものには、身近な物理法則に符合させることで、信憑性を見出だせる科学とは逆に、理解への想像が湧かない。分かりやすく模範的な、批判的思考よ。でも、批判的思考は、探求する精神があって初めて、価値が生まれるものでしょ?その思考は論理を推敲する為もののであって、歩みを止める為に使うものではない。あなたたちは、魔法が存在しない、と本当に言い切れる?論拠を以て、思い込みを排して、そう断言出来る?否定の証明が、有ることを証明するよりも遥かに難しい。もしあなたたちの中に、出来る人がいるというなら、今すぐ前に出て、私に示してみなさい!」
当然、誰も応じることはなかった。
関わりたくなかった。
「ふっ、やはり、あなたたちも魔法の不在証明を、確信してはいないようね。でも恥ずべきことではない、むしろこれから誇ることになるでしょう。これから、あなたたちは真実を目にすることになるのだから―――」
「おい漆城、いい加減にしろ。後がつかえてる」
そこで、彼女は担任によって止められた。
端的な自己紹介の場において、彼女の演説は痛々しいだけでなく、長尺だった。
「な、何を?!ここからが本番なんですよ!私は今から、皆が目を背けている真実を白日の下に晒そうとして……は!まさか先生、貴方はあの委員会の差し金で―――」
「委員会?何を馬鹿なことを言っとるんだ。とにかく、早く教壇から降りろ」
担任がそう促す。
入学早々、大変な生徒に当たってしまったな、と先生には同情してしまう。
しかし彼女は頑として、その場を譲らなかった。
「ふっ、この私が委員会に屈すると思ったら大間違いですよ!!私は戦う!貴方たちが闇に葬ろうとしている真実を私が―――」
彼女の言葉を待たず、先生は彼女の手を強引に取って、席へと向かわせた。
「や、やめろ!これはセクハラだ!パワハラだ!社会的死が怖くないのか、坂上先生!?」
彼女はバタバタと抵抗し、先生の手から逃れようとする。
だが彼女の手はびくともしない。
「生徒の脅しが怖くて教師が勤まるか!?分かったらどけって……ん?」
先生が彼女の手を強く引っ張った。
すると、スポッ、と何かが抜ける音がした。
クラス中の視線が、音がした方に注がれる。
見ると、先生の手には、彼女の手のみが握られていた。
彼女の手が、取れていたのだ。
「う、うわあぁぁぁ」
先生は慌てて持っていた手首を放り投げた。
投げられた手首はカランカランと、生物由来の肌では決して鳴らない、高い音を立てながら床に転がった。
血も出ていない、明らかな偽物だった。
当の本人はというと、彼女は袖から手が無い腕をヒラヒラと煽るように見せびらかしていた。
「ふっふっふ、どうですか坂上先生?これぞ正に、人体錬成の魔法!……いや、幻覚を見せる魔法?複製を生み出す魔法?うーん、何かしっくり来ないなぁ……ま、まあ、とにかく!これが魔法ですよ!!先生!!」
そこは曖昧なのかよ!とクラス全員は心の中でツッこんだ。
全く、自分でやったのだから、設定ぐらいもう少し練って欲しいものだ。
「何が魔法だ!ただの奇術じゃないか!」
「うぇ!?へ、へぇーんだ!!負け惜しみなんて聞こえませんねぇ!!ほい!!」
ボンッ
と上がった煙幕が彼女を包み込み、煙が薄くなった時には、彼女はその場から消えていた。
「はーはっはっは。これこそが、瞬間移動の魔法!!」
そう言って、次の瞬間に彼女は、ポーズを決めながら教壇に立っていた。
煙幕で衆人の目を眩ませ、その隙に誰にも気付かれずに素早く移動。
魔法使いというよりも、忍者のような動きだ。
「どーですか!この極められた魔法の数々を!!これでもまだ魔法は存在しないと言い張りますか!?どうですか!?」
彼女が高笑いを上げているのを、クラスの皆は唖然としながら、見つめていた。
先生でさえも、それは変わらない。
教室の中の全員が、まるで魅いられるように、彼女を見ていた。
まだらには、拍手を打つ音も聞こえる。
それが魔法だとは決して思わない。思っている人間なんていない。
だがそれとは別に、彼女の数々の奇術は素人目に見ても、非常に洗練されていた。
先程とは違うクラスの雰囲気に、彼女は満足気に首肯した。
「うんうん。好評好評。では最後に!あなたたちに取って置きの魔法をご覧にいれようではないか!!」
彼女は腕を広げ、バサッとローブを翻す。
その動きに、私達は釘付けになる。
この場に入る皆が、彼女の一足一挙動を、見逃すものかと見入った。
「見よ!私達の新なる出会いを祝福する、大いなる魔法を!!」
彼女の一声と共に、教室中に桜の花吹雪が舞い散る。
それだけでなく、いつから仕込んでいたのか、一斉にクラッカーも鳴り響く。
その中心で、彼女は屈託なく笑う。
まるで、ショーの終幕のような、華々しい奇術だった。
と、これが彼女が起こした最初の事件だった。
その後彼女は、坂上先生にこっぴどく叱られて、反省文を何枚も書かされたと愚痴っていた。
HRの進行を無茶苦茶にし、ついでに教室も散らかしたのだから当然の措置と言える。
むしろ、何枚かの反省文と、一回のお説教程度で済ませてくれたのだから、坂上先生も随分甘い対応をしてくれたものだ。
つまりは、先生も彼女に魅入られたのだろう。
それだけ、彼女の起こしたことは騒がしくも美しかったのだ。
彼女は漆城羽火。
自称魔法使いの中二病。
しかし、誰もが認める天才奇術師。
彼女はそれから多くのトラブルを引き起こした。
その度に小言を言われたり、やっかまれたりもしたが、同じくらい彼女は愛された。
痛々しい発言も、動きも、頭も、ある程度受け入れられた。
彼女との一年は、端から見ていても騒がしく、濃く、そして何より楽しかった。
第一印象とは変わって―――いや、変わらずに―――進級する時には、クラスメイトの誰もが惜しむくらいには、彼女は皆にとって掛け替えの無い存在になっていたのだ。
そして、2年生になったその日。彼女とクラスメイトになってからちょうど一年後。新入生を満開の桜が出迎える、そんな日。
彼女は―――
―――校庭で最も大きな桜の木の下で、静かに事切れていた。
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