第28話 初デートはハードモード その1

 待ちに待った有瀬とのデートの日が訪れた。シノブは三十分以上前から集合場所の公園に来ている。早すぎやしないかとも思うが遅れるよりはマシだろう。


 昔の写真や山での出来事などの問題も今日だけは頭の隅に追いやる。なにせ初めてのデートなのだ。つい口元がにやけてしまうが浮ついてばかりはいられない。避けては通れない大きな問題があるからだ。


 シノブには有瀬の姿が見えない。一緒に歩くだけで前後左右どこにいるのかわからなくなる。足音を拾おうにも学校の廊下を歩くのとは訳が違う。文字通り雑踏の足音の山に埋もれることは火を見るよりも明らかだ。


 ならばどうするか。答えは一つだろう。


 シノブは息をゆっくりと吸って深く吐く。有瀬が来るまで時間はたっぷりある。これで心の準備をして――。


「わ! おはよ!」

「うおう!?」


 突如、背中をツンとつつかれシノブは素っ頓狂な声を上げた。振り返っても何もない。


 なんだお化けか。びっくりさせやがって。こっちはもう神様に会ってんだぞ。


 ……冗談はさておき、姿は相変わらず見えないものの有瀬がそこにいるのは確かだった。早い。早すぎる。困惑の最中、シノブは何とか挨拶を返すことができた。


「お、おはよう。有瀬さん……はやくない?」

「あはは。それを言うならシノブくんもでしょ」

「いや僕が早いのはいいんだよ。ほら、女子って男より準備に時間かかるだろ」

「……シノブくん、デートしたことあるの?」

「ないない。調べただけ」


 はははと笑いながら手を振ってシノブは否定するが、考えてみれば経験がないよりあるほうがいいのではないだろうか。しまったなとシノブは苦い顔をするが、対する有瀬の返答はどことなく喜色がにじんでいる。


「ふ、ふーん。そうなんだ。アタシが初めてか。へー」

「ま、まぁ? ヒカリと買い物とかは行ったりしたよ? さすがに水族館行ったりとかはしなかったけど」

「……ふーん」


 あれ? 冷たくなった!?


 有瀬の声色の変化にシノブは困惑する。経験がないよりはあったほうがいいんじゃないのか。恋愛経験ゼロのシノブには女心がまるでわからない。このままでは不味いなとシノブは話題を変えることにした。


「い、いやー。今日は晴れてよかったな!」

「ね! いい天気、ちょっと暑いくらい」


 ぱたぱたと服の裾を仰ぐ音が聞こえる。香水でも付けているのだろうか。甘い匂いにシノブは頭がくらりとする。いい匂いだね、とそのまま口に出しそうになったがなんとか堪えた。


 シノブが何も言わないでいると今度は有瀬から声を掛けた。


「シノブくんの服、かっこいいね。似合ってる」

「あ、ありがとう」


 言われ慣れてない誉め言葉にシノブはたじろぐ。妹にビデオ通話で選ばせた甲斐があったというものだ。服、うん? 服?


 シノブは有瀬が服のアピールをしていることがに気が付いた。有瀬の姿が見えないことがここで響いてくるか。気づかなかった穴にシノブは歯噛みする。ちゃんとデートでは互いの服を褒めることと調べてあったはずなのに。


「有瀬さんも、その。可愛いよ?」


 嘘はつきたくなかったので、シノブは服とは言わずにかわいいと返した。姑息な手だと自分でも理解している。いっそ有瀬が来ている服を脱いでくれたらどんな服かわかるのだが……いや脱いだら駄目だが。


「へ!? あ、ありがとね!」


 自分から催促していたくせに有瀬もシノブのように声を裏返している。本当に可愛らしい人だと思う。


 見えないことが本当に悔やまれるのだ。


「じゃ、じゃあ行こうか、シノブくん!」


 ざっざっと足早に歩きだす有瀬にシノブは「待って」と制止した。有瀬の足音が止まる。首を傾げているようなそんな気がした。


 シノブは声を震わせながら右手を差し出して言った。


「て、手を。繋がないか?」


 言い終わった途端、シノブの心に不安が押し寄せる。断られるんじゃないか。初デートでそんなことするやつがいるか。まだ付き合ってもいないのに。


 シノブは怖くて目を瞑ってしまった。どうせ見えていないのに。


 ふと手に柔らかな温かみが広がる。シノブははっと顔を上げた。有瀬がぶっきらぼうに言う。


「は、離さないでよね」


 ぎゅっと手を握られる。シノブの心臓が強く強く脈打つ。手汗が気持ち悪くないだろうかと心配していた。これからが本番だというのにこんな調子で大丈夫だろうか。


 期待と不安を織り交ぜてデートが今、始まった。

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