第27話 めなし様

 めぐるに連れられてきた神社、そこにはシノブが遭遇したあの目のない化け物の木像があった。


 シノブは言葉を失う。思考がうまくまとまらない。あまりにも多くのことが起きすぎた。先ほどのめぐるとの記憶の食い違い、あの化け物とであった渓流。欠落したシノブの記憶にあるあの場所――いや、待て。記憶?


 この神社をシノブは知らない。否、この神社のある山自体にシノブは覚えがない。欠落した記憶、シノブには見えない有瀬香苗、あの目のない化け物。


 ここだ。ここに関わる何かで自分は有瀬の姿を見ることができなくなった。


 シノブは直感的にそう悟る。じんわりと背中に汗が滲む。体中に纏わりつく生温く濡れた布を被せられたような不快感。身の毛をよだつというのはこういうことをいうのだろうか。


 逃げよう。シノブはめぐるの手を掴む。「ひぇ!?」とめぐるが変な声を上げるが構っている余裕はない。来た道を戻ろうとすると背後から声を掛けられた。


「あらら。お熱いねぇ、彼氏を連れてきたのかい? めぐるちゃん」


 シノブがばっと声の主の方へと振り返る。そこには壮年の男性が立っていた。浅黄色の袴に竹ぼうき、まだ若く神主というよりは神職なのだろう。髭を生やした二枚目といった整った顔立ちでなんだかチャラい。


 だがどことなく風格を感じさせるその立ち姿にシノブは思わず足を止めた。


「ち、違うよ笠木かさぎさん! もう! シノブくん、手離して!」


 顔を赤くしてめぐるはばっとシノブの手を振り払う。シノブは「悪い」とぼやきつつ笠木のほうを呆然と眺める。笠木もシノブのほうをじっと見て髭を撫でて呟いた。


「……うん? お前さんよぉ、もしかしてシノ坊か?」

「え?」

「景浦さん家のシノブくんだろう? いやぁ、丸くなったなぁ!」


 当惑するシノブをほっぽいて笠木は快活に笑い、シノブの肩を叩く。力加減が下手なのか割と痛い。どうやらシノブのことを知っているらしかった。


「は、はい。シノブで合ってます。でも、すいません。笠木さんのこと、覚えてなくて……あと僕そんな太りました?」

「覚えてない! そいつは残念だなぁ。ああ、丸くなったってのはそうじゃなくてだな。あのじゃじゃ馬坊主がきっちり制服着こんでるのが何だかおかしくてなぁ」

「あれ? シノブくんってそんなやんちゃだったの?」

「おうよ、めぐるちゃん。こいつはなぁ、それはもういたずら小僧でな。巫女さんの袴の紐解くわ、俺の尻にカンチョーかますわ、やりたい放題よ。はちみつが欲しいとか言って虫取り網持ってたときはあわてて止めたもんだ。懐かしいなぁ」


 めぐるが明らかにドン引きの視線を送ってくるが、シノブのほうがドン引きしている。覚えていないとはいえそんなことをしていたとは。


 屋外でミツバチの巣なんて見当たるものではないし、小さな巣を狙うとも思えない。おおよそオオスズメバチやらの丸くてデカい巣を狙ったのだろうが、命知らずにもほどがある。シノブは自分のことながら呆れてしまった。


 とはいえ笠木の話は貴重だ。思い出せないシノブの過去を知るための大きな手掛かりになる。己の痴態をこれ以上聞かされたくない気持ちもあるが、もっとエピソードを聞き出そうとシノブは唇を湿らせた。


 いざ口を開こうとするシノブよりも先にめぐるが言葉を発した。


「それも気になるけど、もう夜になっちゃうから。ほらコレ! ちゃっちゃとお祓いって」

「ああ、そうだったそうだった。どれ」


 めぐるが差し出したビデオテープを、ひょいと笠木が受け取る。そうだ。これのお祓いに来たのだ。


 中身も見ずにどういうものかわかるはずもないだろうに。まぁ、変化するはずもないだろうからもってきたわけだが。シノブがどこか懐疑的な視線で笠木の様子を伺っていると、何もせずにめぐるへと返した。


「コレ、何にも憑いてないな。そもそもお化けは映ってないんじゃないか?」

「「へ?」」


 めぐるもシノブはぽかんとした顔をする。それじゃ本末転倒だろうに。


 狼狽するめぐるはおろおろしながら声を震わせた。


「え? え? でもコレ天見先輩は呪いのテープだって……」

「そう言って脅かしたかったんじゃないかい?」


 おどけてみせる笠木に、天見ならありそうな話だなとシノブは苦笑する。考えてみれば危ないことは避ける天見が呪いのビデオを見ようなんて言う時点で違和感はあったのだ。


 シノブはその可能性は考慮していた。とはいえまさかお化けは映っていないんじゃないかと本職に断言されるとは思わなかったが。


 めぐるは上を向いて吠えている。


「じゃあ来て損しただけじゃん! もう! もう!」


 吠えているというかなんか牛の鳴き声みたいだな……。


 シノブは失礼なことを考えながらなだめた。


「まあまあ、めぐるさん。何もないことがわかったのが収穫だって」

「それは、そうだけどさぁ」

「ははは。納得いかないなら俺を疑ってもいいんだよ? 一応お祓いしておくか?」

「じゃあ私もシノブくんも疫病神ついてそうだからお祓いして、笠木さん。もうお金払ってるし」

「お安い御用だとも。さあさ、二人ともおいで」


 笠木に連れられて、めぐるとシノブはお祓いを受ける。神社なのに読経のような言葉をかけ、準備されていた焚火の前に座らせれる。笠木は葉のついた枝にジグザグの紙を付けたもので背中を叩く。


 真摯にやっていることはわかるのだがシノブには形式的なものに感じてならない。おそらくする必要はないからではないかとぼんやり思った。


 一通り終わると、めぐるは単純と言うか思い込みやすい体質なのか「肩が軽くなった気がする!」などと言う。シノブは何の変化も感じられなかった。めぐるから離れ片づけを始める笠木へとシノブは声を掛けた。


「笠木さん。ちょっとお話したいことが」

「おお、なんだシノ坊」

「神社にあるあの木像は何ですか? 実はさっき会ったんです」

「おいおい、またそんな冗談……」


 笑い流そうとした笠木だったが、シノブの表情を見て真顔になる。ちらとめぐるの方へ視線を送ってから声量を落として言った。


「見たのか?」

「見ました」

「……それはメナシ様だ」

「めなし? 目がないから?」

「本当に会ったのかシノ坊。驚いたな……お授け様、お隠れ様なんて呼び方はいろいろあるがメナシ様って呼んでそう答えるのは会ったことがある証拠だ。木像だけ見ても目の部分がおかしいとしか思わないだろうからな」


 シノブはにじり寄る。この情報だけは逃せない。もう回りくどいのはナシだ。直球に質問した。


「メナシ様って何なんです?」

「ここは神社だぞ? そりゃあ神様だよ、シノ坊。目を授ける神様だ」

「授ける……?」

「そう。自分の目をくり抜いて人に与えた神様だよ。悪い神様じゃないから会えたことは幸運だったなぁ。何かご利益があるかもしれないぞ」


 近づいたはずの真相がまた遠のく。それはシノブが直面している問題からブレている。聞きたいことは山ほどあったが、外はもう暗くなってしまっている。めぐるを一人で帰らせるわけにもいかなかった。


「帰ろー」と急かすめぐるに、シノブは切り上げることに決めた。


「……今週、は難しいですけど、来週の土日また来てもいいですか? お話したいことがあって」

「いいぞ。またな、シノ坊」


 礼を言って去ろうとするシノブに笠木はもう一声投げかける。


「そうだシノ坊。かなちゃんは元気か?」

「……はい。元気ですよ」


 シノブは短くそう答えて去る。


 やはり、ここだ。


 妹の穂波が言った呼び方と同じ。高確率でかなちゃんは有瀬香苗のことだ。ここは幼い頃に有瀬と出会っていた場所。


 答えは近づいている。「その記憶をほりおこしちゃいけない」。シノブの脳裏には天見の警告が響いていた。

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