第15話 見せないあの子 その3

 翌朝、シノブは海馬めぐるのクラスの教室まで訪れていた。まだ教室に海馬めぐるの姿はない。どうするかと腕を組むシノブの横には有瀬がいる。どこに行くのと声を掛けられてついてきてしまったのだ。

 シノブには有瀬の姿は相変わらず見えていない。見えないとはいえ二人きり。シノブが気まずい空気に耐えきれず話しかけようとしたとき、有瀬が先に口を開いた。


「ねぇ、シノブくん。その海馬めぐるさんってどんな子なの?」

「めぐるさん? かわいい人だよ」

「へー。そうなんだ、かわい……えっ!?」

「どうした有瀬さん」


 素っ頓狂な声をあげる有瀬にシノブは首を傾げる。有瀬の表情がわからないのでどんな感情を抱いているのか察するのは困難だった。


「シノブくんって、かわいいとか言うんだなぁって……」

「そりゃ言うよ。そんな変なことか?」

「べ、別に変じゃないけどさぁ」


 もごもごと話す有瀬をシノブは訝しむ。もしや自分が有瀬の姿が見えていないことがバレたのはかとも思ったが、それならそう聞いてくるだろう。見えていないなりに有瀬に視線を向けているとシノブは新しい発見をした。


 影だ。有瀬の影が見える。


 いや、これまでも見えてはいたのだ。影が見えたところで視線をずっと下に向けていては棒にだって当たる。何の役にも立たないと思っていたが、影を見れば有瀬の仕草が何となくわかるのだ。

 今の有瀬の影はぶらぶらと足を揺らしていて、どこか落ち着かない様子。いやこれは不満を表しているのか。

 シノブは眉間に手を当てる。


「あー……なんか気に障ったなら謝るけど?」

「んー? 別にー? いいんじゃないのー?」


 やっぱり怒っていた。何がいけなかった。別にかわいいなんて普通に言う言葉だろうに。


 ……ああ、そうか。有瀬にかわいいと言ったことがないのか。


 シノブはそこに思い至るが、言葉にできなかった。姿も見えていないのにかわいいと言うのはなんだか違う気がする。声や話し方からかわいいというのは確かに感じていたが、シノブがかわいいと言ってしまえばきっと有瀬は容姿だと思うだろう。


 それは嘘をつくことと変わらない。シノブは有瀬に嘘をつきたくはなかった。


「……あー、めぐるさんがかわいいっていうのは、まぁ見ればわかると思うよ。有瀬さんなら」


 有瀬の頭の影が傾く。ちょうどそこへ目的のお相手がやってきた。


「……げっ!」

「お、めぐるさん。久しぶり」


 シノブが片手を上げた相手に、有瀬は「え」と声を漏らす。無理もない。

 そこには眼鏡をかけ長めの前髪で顔を隠している少女がいる。他の女生徒はスカートの裾は膝上まで上げるのが普通くらいなのに膝がしっかり隠れるくらいまで伸ばしていた。

 だがやはりというべきか、有瀬はすぐに「ああ」と察する。その隠した顔の良さに。


 めぐるは声を震わせて鞄をぎゅっと握った。


「な、何しに来たの? シノブくん」

「天見先輩に言われてさ、部室に顔出せだって」

「やだ! 絶対行かない!」

「そう言わないでさ、頼むよ。僕を助けると思って」

「嫌だよ。どうせ碌でもないことになるんだから……で、あなたが例のオカルト部の新入部員? うわさの転校生だよね。初めまして、海馬めぐるです」

「はい! 初めまして、めぐるちゃん! アタシ、有瀬香苗っていうの。よろしく!」

「おおう、距離の詰め方やばぁ……よろしく」


 めぐるが苦い顔をしているのを見て、影を確認するとどうやら有瀬が手を握ったらしい。めぐるは集団に混ざるのが苦手なタイプ、いわゆる陰キャだ。対して有瀬はまさしく陽キャという感じだ。

 どちらかと問われれば陰キャなシノブとしてはあのテンションが不得手なめぐるの気持ちはよくわかる。めぐるが目線で訴えかけてくるので、シノブは助け舟を出すことにした。


「有瀬さん、ちょっと抑えてあげてくれ。めぐるさんはそういうのあんま慣れてないから……」

「ええ? そうなの。わかった」

「あはは……ありがと。ねぇ、シノブくん。有瀬ちゃんはどんな弱み握られたの? わたしと同じ系?」

「違うけど、近い感じだな」

「え、何? どういうこと?」

「ああ。めぐるさんは天見さんに配信やってるのがバレて――」

「わぁー!? ちょっと、やめてよ! 他の人に聞かれたどうするの!?」


 しまったとシノブは口を塞ぐがもう遅い。有瀬は目を輝かせた。


「え、何やってる人なの? アタシ、気になるなぁ!」

「ほらもうこうなる!」

「ごめん口が滑った」


 シノブは即座に頭を下げる。本当にうっかりだった。

 構わず有瀬は声を弾ませている。すっかり興味深々なようだ。


「あー、やっぱりアレ? 顔がバレるから隠してる的な?」

「それはまたちょっと違うんだけど……とにかく、わたしは目立ちたくないの! 有瀬ちゃんならわかるでしょ。目立つってほら。疲れるし」

「わかるー!」

「でしょ!」


 なんだかよくわかんない方向で意気投合した二人に、シノブは喧嘩ならなくてよかったと胸を撫で下ろす。後は部室に来てもらうだけなのだが……。

 シノブは唇を湿らせて説得を再開した。


「なぁ、オカルト部に来てくれよ。顔出すだけでいいから」

「えー……」


 渋るめぐるに有瀬が加勢する。


「そうだよ! 一緒に呪いのビデオテープ見よ!」

「ちょ、ば――!」


 シノブは思わず馬鹿と言いかける。はっとめぐるの方を見ると後ろに一歩後退り、明らかに警戒している。

 加勢どころか油をぶっかけて火をつけていた。


 めぐるは声を1オクターブ下げた。


「……あー、そういう系かぁ。わざわざわたしを呼ぶってことは、そのテープ関連だよね? おおよそ壊れてるから直してー、ってとこかな」

「は、ははは。いやいや、そんなそんな」

「やば! なんでわかったの」

「ちょっと静かにしてようか有瀬さん!?」

「ぜっっったいに部室には行かないから! じゃ!」


 教室に駆け込んだめぐるはガラガラびしゃんと戸を閉める。がくりと肩を落とすシノブに有瀬は戸惑いつつ声を掛けた。


「あ、あれー……? もしかして、アタシなんかやっちゃった……?」

「そうだな……」

「うっそ! ごめん! アタシ、そういうつもりじゃ」

「いや。いいよ。どうせ疑われてたし、連れて行ってもどうせビデオテープを直してもらう交渉はしないといけなかったわけだし」


「そうなの?」と不安げに問いかける有瀬にシノブは「大丈夫」と虚勢を張る。部室に来ないとなると天見に説得を丸投げできない。コレは骨が折れるな、とシノブは次の一手に頭を悩ませていた。

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