第5話 妹の帰還
「お、兄ちゃん。おかえりー」
高校からくたびれて帰宅したシノブを出迎える声が一つあった。シノブが項垂れた頭を上げると、声の主はリビングから顔を出す。
現れたのは黒髪の少女。長い髪をお団子にした彼女はにへらと笑う。眠たげな目元がどことなくシノブと似ている。だが全体を見ればシノブとは似ても似つかない美少女だった。童顔だが非常に整った顔立ちをしており、スタイルもいい。
根暗が滲み出るシノブとは正反対な妹、
「穂波か。ただいま……えっと、何でいるんだお前」
「ひどいなー兄ちゃん。かわいい妹が帰ってきたのに理由なんていらなくなーい?」
「いや、寮の方はどうしたんだって聞いてんだっつの」
「あはは……同じ部屋の子と喧嘩しちゃってさー。ちょっと居づらくて。適当に嘘ついて抜けてきちゃった」
「まったく、また何したんだお前は……」
リビングの椅子に腰かけるシノブに穂波は「違うんだよぉ!」とぐいと顔を寄せてくる。美少女に顔を近づけられれば大抵の男は喜ぶものだが、実妹相手では暑苦しいだけだ。
仰け反ったシノブに構わず、穂波は身振りを交えて話し始める。
「同じ部屋の子がね、彼氏がいるんだけどその男の子がやたら私にアプローチしてくるの。二人で出かけないだとか二人でカラオケ行こうとかさー。それでも友達の彼氏だしうまいことやってたんだけどね、それを同じ部屋の子が知って怒っちゃって」
「なんだそれ。穂波悪くないだろ」
「でしょ!? もう、ほんと勘弁して欲しいっていうかさー」
美人には美人の苦労があるらしい。知らずにすんでよかったと思うべきか、知らないことを憂うべきか。シノブがよしよしと頭を撫でようとすると穂波にやんわりと手をどかされた。ショックで「え」と声を漏らすシノブを放置して穂波は続けた。
「もうやだよー! いっそ私も彼氏作ろうかなー」
「かぁー! 嫌だね、中一で彼氏作ろうなんざ百年早い!」
「兄ちゃん。百年も待ったらよぼよぼになっちゃうじゃん……そんな邪険にしなくたってさ、兄ちゃんにもあるでしょ? 色恋の一つや二つ」
「……」
「え? 嘘でしょ兄ちゃん」
穂波は信じられないものを見たような顔をする。シノブはそっぽ向いた。
事実、シノブは色恋にそこまで興味がない。欲がないのかと言えば、そこはもちろん思春期の男子だ。それなりの希望や期待はあるがそれはそれ、これはこれだ。
シノブは凡人。世の中、誰も彼も恋愛を享受しているわけではない。高校のカップルの数など実際数える程度しかいないのだから。
誰も彼もに恋人がいるというのは妄想だ。少なくともシノブの狭い交流関係から見る限りはそうだった。
だがそれはそうと恋愛経験がないことで馬鹿にされるのは腹が立つ。シノブは立ち上がり椅子をガタリと鳴らした。
「う、うるさい! そういう穂波はどうなんだよ!」
「うるさいなぁ! こっちは作れるけど作らないだけだし!」
「僕だってそうだからな! 別に!? 俺には必要ないし」
「意地張っちゃって……まぁ兄ちゃんはいいんじゃない? ヒカリちゃんがもらってくれるだろうし」
「なんだよもらってくれるって。嫌だね。誰があんな意地っ張りと」
「お似合いじゃん」
「どこが?」
シノブはぼりぼりと頭をかく。
幼馴染というのはただの腐れ縁だ。距離は近いかもしれないが近すぎて家族というか親戚に近い。親戚の綺麗なお姉さんが好きになることはあっても、親戚の同年代を好きになるというのはあまりないだろう。それと同じだ。
「……それと、その。ごめんね兄ちゃん。風邪移しちゃって」
シノブはぱちぱちとまばたきをする。
新学期の始まり、シノブは風邪で寝込んでいた。その原因は穂波の風邪を看病していたことにある。寮の子に移したくないと言う穂波を、信夫が家で面倒見ていたのだ。両親は共働きでまさかのともどもに転勤していった。
それでシノブは一人、祖父母の残した実家に住んでいる。
穂波の友達と喧嘩した話は嘘ではないだろうが、主な目的はどうやらこっちだったらしい。律儀な妹だ。シノブは思わず吹き出してしまった。
「別にいいよ。風邪なんて誰だって引くもんだろ」
「でも兄ちゃん。あんなに新学期楽しみにしてたのに」
「おいおい。僕が何をそんな楽しみになんて」
「だって私の看病してるときにさー、クラス替えとか楽し気に語ってたじゃん」
「それは穂波が楽しみだろうなって思って」
「でもリョウと同じクラスになれたら楽しいだろうなとか、ヒカリと同じクラスだとぐちぐち言われてめんどくさそうだーとか笑ってさー」
そんなこと言ったっけか。シノブは鼻の頭を手の甲で擦る。他人の口から語られると恥ずかしいものがあった。
「い、いいんだよ。妹はお兄ちゃんに甘えてな」
「うん……でも確かリョウさんともヒカリちゃんとも違うクラスなんだっけ。クラス大丈夫そうなの? 兄ちゃん?」
「おいおい妹よ。そう兄を心配するな、別に困りごとなんて――」
そう言いかけてシノブの脳裏に過ったのは自分にだけ見えない隣の少女。
「なんて……」
しかも見えないあの子はきっと明日からは部活にも参加する。
「な、ないよ?」
目を泳がせる兄に、穂波は先が思いやられると肩を落とした。
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