第一章 見えないあの子編

転校生が見えない編

第1話 僕には君が見えない

 つむじ風がわずかに残った桜の花びらを散らしていた。空は快晴だが風がまだ少し冷たい。景浦信夫かげうら しのぶは腕をさすり、気だるげに高校へと歩を進めていた。その足取りは重い。


 新学期の始まり、シノブは風邪をこじらせ寝込んでいた。三日ほど休んでいたのですっかり体がだらけてしまっている。


 だがシノブが気にしているのはそこではない。波に乗り損ねたことだ。

 無論サーフィンではない。シノブにできるのはせいぜいネットサーフィンぐらいだ。最も、よく変な記事ばかり踏むものだからしょっちゅう沈んでいる。あまりにもよく沈むものだからきっと来世は貝になるに違いない。


 まぁ冗談はさておき、シノブの言う波とはクラス替えのことである。ドキドキワクワクをし損ねたというのもあるが友達を作るのに出だしで躓いたのは痛い。

 赤信号で足を止めたシノブはスマホを開く。見ているのは張り出されていたクラス表の写真だ。ずらっと並ぶ中から自分の名前を探す。


「また三組なのはいいとして……うわ、結構人変わってるなぁ」


 シノブは苦い顔をする。

 クラス替えとは悪魔の行事だと思う。一年かけてコツコツと作り上げた友人関係を一瞬で打ち崩す賽の河原だ。


 シノブははぁとため息をついてスマホをポッケにしまう。信号を渡ろうとしたとき背後から声がした。


「おはようございます」

「え、あ……おはよ……う?」


 反射的に挨拶を返し、シノブは振り返る。だが声のした場所には誰もいない。信号待ちしている中にはおしゃべりしている女子高生もいる。彼女たちの会話を自分にされたものと勘違いしてしまっただろうか。


 恥ずかしい、とシノブは熱くなった頬を手で仰いだ。スマホをポッケにしまい青になった信号を渡る。高校はもう目と鼻の先だ。

 体育教師に挨拶をしてそそくさと校門をくぐる。シノブは早く椅子に座りたかった。番号の変わった下駄箱を探したりとごたごたした後、ようやく教室の前につく。


「ノブ!」


 ドアに手を駆けたところで声を掛けられてシノブは顔を上げる。

 相手は幼馴染の入江光いりえ ひかりだ。まだ春先なのに焼けた肌と艶やかな黒髪が揺らしてかけ寄って来た。


「ヒカリか。おはよう」

「おはようじゃないわよ! 何新学期から風邪引いてんのよ、このもやしっ子!」

「僕は馬鹿じゃないから風邪も引くんだよ」

「それ止めなさいよ! あんた私が風邪引いたことないこと知ってるでしょ!」


 知っているからだ、とは言わない。幼稚園からの長い付き合いだ。シノブはヒカリの扱いを心得ている。心得てはいるが、まぁぎゃーぎゃーとうるさい幼馴染だ。男友達からはよく羨ましいと言われるが現実はこんなものである。

 だが親しき中にも礼儀あり。シノブは一つ咳をした。


「ンン……クラス表の写真助かった。ありがとな」

「どうせあんた友達いないから他に教えてくれる人いないでしょ。もっと感謝しなさい。あと何か奢って」

「はいはい、購買の菓子パンな。じゃ、また今度」


 早々に会話を切り上げ、シノブは教室に入る。まだクラスメイト同士が顔を覚えいないためかシノブがクラスに入って妙だと思う生徒はいない。この様子ならまだ友達を作る猶予もありそうだと信夫はほっと胸を撫で下した。

 さて座席表はどこだと教室内をうろちょろするが、どこにも見当たらない。


 しまった当てが外れたか。どうしようかと考えを巡らせているうちに担任が来てしまった。


「あら、おはよう景浦くん。風邪はもう大丈夫そう?」

「おはようございます、僕はもう元気ですよ。ヨーコ先生」

「こーら、下の名前で呼ばないの。大磯おおいそ先生でしょ」


 口ではそう言いつつまんざらでもなさそうに口元を緩める担任は、去年の担任でもある大磯曜子おおいそ ようこ先生だ。みんなからヨーコちゃんなどヨーコ先生と親しまれている。

 長い髪を束ねた眼鏡の美人なのだが、なぜか嫁の貰い手がいない。普通にモテそうなのに何か裏があるのだろうか。

 失礼なことを考えているうちにヨーコ先生は座席を確認してくれていた。


「えーっと、景浦くんは一番後ろの端ね」

「お、やった。特等席」

「特等席がお望みなら今からでも最前列にしてあげるわよ?」

「じょ、冗談ですって、冗談」

「もう……あんまり落書きばっかりしていちゃ駄目よ?」


 シノブは顔を引きつらせる。まさかバレているとは。のほほんとしているのにヨーコ先生は意外とよく周りが見えている。


 なんだかんだキャリアは長い。流石は三十路手前。


「……景浦くん。いま何か失礼なこと考えなかったかしら?」

「き、気のせいですよ気のせい。そろそろホームルームですよね。僕は席に座ります」

「病み上がりなんだから無茶しちゃ駄目よ。あと、お隣の有瀬さんは転校生だから色々教えてあげてね」

「え? ああ……はい」


 新学期と同じタイミングで転校生とは珍しい。名前は有瀬とか言ったか。バックは置いてあるが席を外しているようだ。

 信夫は座席に着き上に大きく伸びをする。


「おはようございます。同じクラスだったのね」

「……へ?」


 近くから声がして信夫は顔を横に向けた。相変わらずそこは空席だ。その誰もいない空間から声がしていた。


「初めまして。私、有瀬香苗ありせ かなえ。親の転勤でこっち来たの……って始まっちゃうね。また後で」

「はーい。ホームルーム始めますよー、きりーつ」


 ヨーコ先生の号令で信夫は慌てて立ち上がり、隣の椅子が一人でに下がった。みんながおはようございますと挨拶をする中、シノブは唖然としている。皆が座っている中でも一人立ち尽くしていた。椅子もまた一人でにガタガタと動いている。


「おーい。かーげーうーらーくーん。座ってー」

「あ、ああ。はい、すいません」


 ヨーコ先生に注意されて信夫は着席した。未だに事態を飲み込めない。どうして周りは騒がないのか。透明人間がいるというのに。


 まさか見えないのは自分だけなのか?

 その有瀬香苗という透明は笑い声を上げた。


「あはは。君ってもしかして変人?」


 変なのは君だ。


 シノブは心の中で叫んでいた。

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