五の三(完)

 ――勘当なものか。

 唾棄したいような気分で新次郎は聞いていた。真実家老が娘を勘当しているのなら、あそこまで必死になって、娘の居所を隠蔽することはあるまい。

「私たちは」と佐保が決然とした様子で、「私たちはこうして江戸のかたすみで静かに暮らしております。ですから、金森様ももう私たちのことはお忘れください」

 新次郎は眉間に皺を寄せて、まぶたをぎゅっと閉じ、数回深く呼吸をくりかえした。

「異常だ」

 しばらくして、やっと新次郎は口を開くことができた。閉じた喉から無理矢理声をだして、自分でも自分の声とは思えないようなくぐもった声音であった。

「あなたたちの言っていることは、一言一句が異常だ」

 ふたりは震えるまなこでじっと新次郎をみつめた。その冷えた視線をみつめかえして、新次郎は続けた。

「皆、世間とは違う一面を持っている。それでもどうにかこうにか世間一般の常識に合わせて生きている。それを、あなたたちは……。同性が好きだというくらいなんだというのです。さきほど申した通りしかるべき男と添えば自然と情が湧いて、そんな感情はどこかへ行ってしまうでしょう。そうでなくとも、無理に自分の気質を曲げてでも世間にあわせて生きていくのが普通の生き方というものでしょう」

 ふたりは眉をしかめ、唾棄したいのをこらえるような顔で、激昂する気持ちを抑えているようだった。

「あなたは、普通とおっしゃる」松乃が震える声で話しはじめた。「しかしあなたのいう普通という概念の境界は、しょせん偏見の境界でしかないとお気づきにならないのですか」

「偏見なものか。自分を曲げることもせずにこのように江戸に逃げ隠れるように生きているあなたたちは、どう考えても間違っている。間違っていないと言うのなら、国元で胸をはって生きればよいでしょう」

「私たちのようなものが世間に紛れて生きていくには江戸のような町でなくてはいけなかったのです。国元で暮らしていれば、あけすけに悪口を言われたりよけいな詮索をされたでしょう。しかし江戸では違うのです。あの姉妹はどうもあやしいと感じていても、ああそんな人間もいるだろう、くらいですまされるのです。もちろん良い人ばかりではありません。ですが、江戸には様々な物の見方を持った人間がたくさん暮らしていて、人それぞれが持つ人を計る物差しが雑多ゆえに、ふところが広いのです。異質なものをよってたかって疎外する田舎とは違うのです」

「わからない。私にはわからない。あなたたちの言っていることは、すべて言い訳としか聞こえない」

 新次郎は脇に置いた刀をつかんで立ち上がった。

 斬られるのではないか、と思ったらしい、佐保がびくりと肩を震わせた。

 しかし、新次郎はそのまま部屋をあとにした。叩きつけるようにして戸を閉めて外へ出た。

 ――勝手な生き物だ。

 新次郎はふたりの女を胸のうちでののしりながら、木戸を後にした。


 両国橋まで来ると、日はもう傾いていて、橋を目まぐるしく行き来する人々の足元には、濃く明確な輪郭を描いて影が落ちていた。新次郎はその目まぐるしく重なり、重なってはまた別れていく影を、夢を見るような気分で見つめながら歩いた。

 江戸には様々な物の見方を持った人間がたくさん暮らしていると言った松乃の言葉が耳の奥で反響しているようだった。

 松乃と佐保のような、新次郎からすれば理解しがたい性癖の者達もこの町には大勢いるのだろう。国元のような狭窄な視野でしかものを見られない人間ばかりでもないのだろう。

 田舎に住んでいれば、行きつく先は死しかないような異質な者達も、江戸という町では平常な人間と同じように暮らしていける。松乃と佐保の選んだ道は正しかったのかもしれない。

 ――いや、正しかったのだ。

 いくら他人とは違う生き方をしなくてはならない人間とはいえ、なにも死ぬことはない。生き抜くことこそが正しいのだ。

 ふと気がつけば、もう増上寺を過ぎていて、新次郎は新堀川に沿って道を折れた。

 しばらくして久留米藩の藩邸の脇に達した時、川端の木の幹からわきでるようにふと影がひとつあらわれて、道をさえぎるように立ちどまった。

 梶原であった。

 左手で腰の刀の鞘をつかんで、梶原はじっと新次郎を見つめていた。

 口封じにかかってくるのは目に見えていたが、新次郎は平静にようと声をかけた。

 その声の明るさに、いささか気がそがれたのだろう、梶原はいかめしい顔のまま怪訝そうに瞳を揺らした。

 新次郎は平然と梶原の間合いに入っていって、言った。

「明日、もういちどあの長屋まで連れて行ってくれ」

「…………?」

「もう、場所を忘れた」

 梶原は、ぷっとへの字に引き結んだ口から息をもらした。

「もう一度ふたりに会ってどうする」

「さあな」新次郎は遠い目をした。「いささか、きついことを言ってしまったからな、謝ろうと思う」

 あきれたというふうに相好をくずし、梶原は新次郎と並んで歩き始めた。

「しかし金森、馬崎家老には何と伝えておく」

「黙っておいてくれ。俺も、この件はいっさい忘れてしまうことにする」

「そうか、まあ俺も、無駄に人を斬らずにすんで気が楽になったよ」

「気が楽になったところすまんが、明日ついでに買い物につきあってくれ」

「なんだと?」

「国の者たちに珍しい根付けだの、歌舞伎役者の錦絵だの、帯留めだの、いろいろと頼まれておるのだが、どこで売っているのやら、まったく見当がつかん」

「あきれた。あんだけ毎日出歩いていて、まだ何も土産を買っておらんのか」

 新次郎は照れたように苦笑した。

 そしてふと、あのふたりにも、詫びのしるしになにか買っていってやろう、と思いついた。がしかし、なにを手土産にすればいいのやら、こちらもてんで見当がつかなかった。考えてみれば、佐保について、どのような食べ物が好きだとか、着物の好みはどんなだとか、新次郎はまったく知らなかった。そしてそんなことすら知らない女のことで、この数年間もだえるように苦しみ続けていたのだ、と気づくと自分自身にに嘲笑を向けたくなった。そうして霧の晴れた心で佐保の顔を思い描くと、自分を捨てたこともゆるしてやろう、という気持ちも湧いてくるのだった。

 ――いや違うな。

 ゆるしてもらうのは俺の方か、ともう一度新次郎は苦笑した。

「それとあのふたりの喜びそうなものもな」

「女の機嫌をとんなら、食いもんにかぎるな」梶原は国訛りで答えた。「けど佐保さんはまだしも、松乃様は口が肥えとるでな」

「こりゃあ、奮発する覚悟がいりそうだわ」

 新次郎を照らす暖かな陽射しが妙に目にしみた。




(了)

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春陽照らし 優木悠 @kasugaikomachi

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