五の二

 町人の姿をして、手にはなにか風呂敷包みを抱えていた。大きな目と厚めの唇はそのままに、思い出にあった丸かった顔は頬の肉が落ち顎がとがり、体つきも丸みが取れて腰が締まって胸と尻がほどよく膨らんで、

 ――ああ、大人の女になったな

 と新次郎は思った。

「いつかこんな日がくるだろうと、覚悟をしておりました」

 佐保は目線を落として言いながら戸を引いて、

「どうぞ、お入りください」

 少し震える声で新次郎を招いた。

 同時に、土間の向こうの障子があいて、背の高い切れ長の目をした女が顔をのぞかせ、無表情な冷ややかな眼差しで新次郎を見た。

「あなたが」

 とその女がつぶやいた。新次郎の来ることを従前から予期していた、そんな声音であった。

「こちらは、春原からおいでの」

「いいわ、存じています。金森様でいらっしゃいますね。先ほど梶原様が憂懼にかられて用心をうながしにやってこられました」それがかえって仇となったのがわかったのだろう、女はちょっと苦笑して、「佐保さん、上がっていただいて」

「はい、お姉さん」

 佐保に姉がいたのは初耳であったが、新次郎は招じられるまま、草鞋を脱いで六畳間にあがって、出された座布団に腰をおろした。

 佐保も続いて上がり、すぐに茶のしたくをし始めた。

 部屋は小ぎれいにかたづけられ、隅には琴や三味線が立てかけられているのばかりが目についた。西側の戸の向こうはすぐに塀なのだろう、まだ日は高いのに夕方のような暗い光が障子をぼんやりと照らしている。

 艶めかしい、どこか媚びるような手つきで佐保は茶を新次郎の前においた。新次郎はだまって湯呑みを口に運んだ。いれたばかりの茶なのに、なんだか味気ないのは、緊張で新次郎の舌が鈍感にでもなっているのだろう。

 しばらく三人の息だけが部屋に響いた。

 そうして、新次郎の前に座っている女が深々と頭をさげた。

「家老馬崎主計の娘、松乃でございます」

 ああそうか、と新次郎は思った。さほど驚かなかったのが、自分自身で意外であった。

「さて、なにからお話しいたしましょうか」

 松乃はちょっと佐保を見て、一瞬目顔でなにか語ったような雰囲気であった。

「私がお話しいたします」

 佐保が口を開いた。

「私は新次郎様を裏切りました。私の口からすべてをお話しするのが道理だという気がいたします」

 そう言って佐保は続けた。

「私とお姉さま、いえ松乃様は、愛し合っております」

 新次郎は黙ったままであった。頭のなかが真っ白になって、言葉がまるで湧いてこないという感覚だった。ただ佐保のうるんだ目をじっとみつめた。

「気がついた時には、ふたりの間はもはや離れがたいほどの愛情が芽生えておりました。五年前、ふたりはもう心中しようと決意するまでに思いつめておりました。ですが、お屋敷で下女奉公をしておりましたおまちという、同じ年ごろの人がおりました。その人は瘧にかかって、それもずいぶんひどいもので、衰弱して回復はもうおぼつかないという医師の見立てでした」

 佐保は口が渇いたのか、ちょっと茶を口に含んだ。その隙を埋めるように、松乃が口を開いた。

「おまちは、言いました。私がお嬢様の身代わりになるから、お嬢様は亡くなったことにして、おふたりは駆け落ちしてください」

 松乃はおまちを偲ぶように、ちょっとの間、そっと眼を閉じた。

「そこで私たちは計画を練りあげました。兄の名をつかって手形を作り、おまちが亡くなった晩、父に置き手紙だけ残し、私が男の姿に変装し、国を出たのです」

「わからない」新次郎はやっと口から声を出すことができた。「なぜそこまで……、

 人の死を利用してまで出奔する必要があったのですか」

 その問いに、また佐保が話を始めた。

「ご存じのとおり、ご家老様のお葬式は、ご遺体を座棺ではなく、寝棺に収める慣習になっています。お葬式の終わりには蓋をあけて、お顔をみながら手を合わせるのもならわしです。遺体がなければ、ごまかしきれないのです。そこで、松乃様と面差しが似ていたおまちさんが身代わりになってくれたのです。病気でやつれた顔だけ見せれば、松乃様だと思わせられるでしょう。かならずご列席の親類の方々の目をあざむけると確信しておりました」

 聞いていて、新次郎の体の芯に、怒気のようなものがじょじょに沸き起こってくるのを感じた。

「それは、死者に対する冒涜だ。参列者をあざむくというのなら、他の方法はいくらでもあったはずだ。げんに、おまちの許婚であった甚助という男は、いまだにおまちの死に不審を持っている。未練を残していまだに心がふさがっている。そう聞いてあなた達の心は平然としていられますか。悔恨に胸が締めつけられませんか」

「いたしかたなかったのです」松乃はなかば涙声になっていた。「そうでもしなければ、我らふたり、こうして愛し合い続けることができませんでした。あのままなら、ふたりの前途には死しかありませんでした」

「それがわからない。女どうしが愛し合うなどなにかの気の迷いにすぎない。あのまま佐保殿が私のもとに輿入れしてくれれば、今頃はそんな気の迷いなどは拭い去っていたはずだ」

「わかっていただけるとは思っておりません」松乃は新次郎の目を睨んで、きっぱりと言った。「私たちの気持ちは、男と女が愛しあうのと同様です。同様に女どうしで愛し合っているのです。この気持ちは普通や常識を標榜する人にはどうしてもわかってもらえないのです」

 新次郎はたしかにふたりの気持ちがわからない。男と女である以上、一緒に暮らし閨をともにすれば、いつか情が通じ合えるはずだ。女どうしで愛し合うなどあってたまるか。そんな馬鹿なことがあるものか。

「先を聞きましょう」

 怒気と渙然としない気持ちを押さえつけるように新次郎は言った。松乃が話を続けた。

「私たちはこうして江戸にでて、姉妹といつわってここに住み、琴や三味線を教えながら暮らしております。すぐに父には居所が知られてしまいましたが、時々様子をうかがいに梶原様などをよこすくらいで、実際勘当されたようなものです」

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