四の二
次の日も、次の次の日も、さらに次の日も……、新次郎は両国橋までかよった。
駕籠はいっさい使わなかった。藩邸からだと両国辺りまで八百文もかかると梶原に教えられてからは、腹をくくって自分の足だけを頼りにすることに決めた。
そうまでして両国橋まで日参しても、佐保の影も形も見えはせず、ただ気力と体力を浪費しているとしか思えなくなってきた。
――これは何か他の手を考えねばなるまい。
帰る道すがら新次郎は疲れた頭を無理に回転させた。これでは徒労に徒労をかさねるだけだ。
「今日の収穫は?」
と、帰宅の挨拶よりさきに梶原が尋ねるのは、すでに恒例行事になっている。
「うん、まあなあ」
新次郎は疲れがたまって全身綿のようで、ついぞんざいな返事をした。
「けど、今日はいつもよりちょっと遅かったじゃないか」
しつこく訊いてくる陽気な声音に、かえって新次郎はいらだちを覚えて、つい嫌みたらしく、
「なあおい、おぬしはいつもここにいるのう。小納戸はそんなに暇なのか」
「いや、出仕は一日おきだよ。ただ参勤の疲れもあるから、夜勤は免除してもらっているんだ」
梶原の気さくさについ忘れがちであったが、小納戸は殿様に近侍する役職である。にもかかわらずそんな気軽な態度で勤めをはたせるものなのだろうか、と新次郎は不思議に思うのだった。
そうして、この梶原という男は新次郎のことを何かと気にかけているような顔をしながら、内実新次郎の行動を見張っているのではないのか、とふと思った。ただ相部屋になった男に、いちいち質問を浴びせかけてくるというのも解せないものがある。ひょっとすると馬崎家老の息のかかった人間なのではないだろうか。すべては新次郎の単なる疑心からくる憶測にすぎないのかもしれないが、さて……、
――ちょっと探りをいれてみるか。
ぞんがい瓢箪から駒が出てくることもありそうだ。
「明日は出仕する日かの」何気ない調子で新次郎は梶原に訊いた。
「ああ、それがどうした」
「実は、今日両国橋のたもとでそれらしき人を見つけたんだが」
「おおそうか、やったじゃあないか」
「あとをつけたんだが、途中で見失ってしまってな。明日はその辺りを重点的に探すつもりなんだ」
「そうか、役目のつごうで手伝えんが応援はしているぞ」
「なにせ、不案内な土地だろう、その場所に明日たどりつけるか心もとない」
「場所はどこだ」
「いや、口で説明できんほどややこしい場所でな」
「明日はいけないが、明後日なら空いているぞ。いくらでも手伝ってやる。なにせ、俺はもう江戸の隅々まで知り尽くしていると言っても過言ではないでの」
「そうか、それは頼もしいな。ま、とりあえず明日ひとりでうろついてみるよ。それで駄目だったら、お出まし願おう」
「お安い御用だ」
梶原は心底から、新次郎の手伝いができることがうれしいという顔をしている。
もちろんすべて新次郎の作り話であったが、笑顔を浮かべて相談に応じる梶原を見ていると、彼が馬崎家老の手先であったと感じたのは見当はずれであったかという落胆と、己の目的を遂げるために他人を詐術にひっかけた慚悔が胸によぎるのだった。
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